4「神々を怒らせた代償を払え」
4
裏門の駐車場で原付に腰掛けて煙草を吸っていると、白のジャージに着替えた大蛸が戻ってきた。俺の服は夏の日差しである程度は乾いている。
「で、なに?」
有紀暮から受け取ったバケットハットをかぶって、大蛸は不愛想に訊いた。
「さっき云ったとおりだ。きみ、『午前21ヶ月』という詩集を借りただろ」
「知らない」
「逃げたのは、心当たりがある証拠じゃないのか」
「あたしはポエマーbot事件の名前を出されたから逃げたの。あんた達が犯人で、あたしを消しに来たと思ったから」
そこで有紀暮が「私達が? とんでもない」と反応する。
「私と正念坂さんはポエマーbotを追う立場だよ。大蛸さん、貴女が図書室から『午前21ヶ月』を借りている記録が残っているんだ」
「だから知らないって。本なんか読まないし」
たしかに本を読む人間というのは、もう少し落ち着いているものだ。
「正念坂さん、困ったね。大蛸さんはしらばっくれるつもりらしい」
「いや、どうかな。こいつが犯人なら、記録を残して借りる必要がない」
「うん?」
有紀暮はしばし停止した。
なんだ。天才とか自称していたのに、この程度のことに気付いていなかったのか?
「えーっと……そう思わせるために、あえて記録を残したのかも知れないよ」
「黙ってパクれば疑われることもないのにか? 勝手に名前を使われたんだな」
「しかし、それでは……」
有紀暮は未練ありげだが、もとから俺はその点では大蛸を疑っていなかった。
「それより、きみは狙われるような心当たりがあるのか。そっちの方が気になる」
すると大蛸は、照れたふうに視線を逸らして答えた。
「まあ。あたしも、ポエマーbotを追ってるから……」
「なるほどな。あんな瞬時に消しに来られたと思うくらいだ。よほどの手掛かりを掴んでいるのか?」
有紀暮がまた「そうだよ」と口を挟む。
「そうでないと、あの反応にはならないはずだ。しかし『午前21ヶ月』のことは知らないと云ったよね? では、どうやってポエマーbotを追っているんだい?」
「さっきからなんなの? 21ヶ月って」
有紀暮は鞄から例の便箋を取り出して見せると、簡単に説明した。ポエマーbot事件は二年前に失踪した姫乃由莉園が遺した詩集に沿って進行しており、その詩集は美濃和高校の図書室にのみ収められているが、七月一日から大蛸が借りていることになっていると。
聞き終えた大蛸は顎に手をやって、神妙な面持ちで考え込む。
「じゃあポエマーbotは、この学校にいるってこと?」
「そうだね。あるいは関係者。いずれにせよ姉の詩集を知る人物だ」
「その中で、天唱トンネルに反対している人……?」
訝しそうに問う大蛸。だが今度は俺達の方がよく分からない。
「なんだよ、天唱トンネルって」
「知らないの? 去年から天唱山にトンネルを掘ってるの」
「それは知ってるが、ポエマーbot事件になんの関係がある?」
大蛸は答えてよいものか悩む仕草を見せた。それが彼女の持つ手掛かりなのだろう。
「話せよ。こっちも話したんだから」
「……うちに脅迫状が届いたんだよ。『白虎と朱雀と青龍の怒りだ。玄武を返さなければ、この地に人が絶えるまで殺され続けるぞ』って」
「なんだそれ」
意味が分からないのでリアクションに困る。
しかし大蛸が「つまり」と続けようとしたところで、有紀暮が声を上げた。
「そういうことかい! 四神相応だね?」
彼女は興奮気味に「分からないかい、正念坂さん」と煽ってくる。
「分からねえ」
「四神獣に相応した地勢のことさ。我が国ではかつての平安京が代表例だね。東に青龍が好む流水、西に白虎が走る大通、北に玄武が棲む高山、南に朱雀が泳ぐ湖沼――これを満たす土地は神々の加護を受ける」
「よくそらで云えるな」
「歴史の授業で習ったからね。考えてみれば、この百条市もそれを満たしているんだ」
「ああ……」
東が清逸夜見川……西が国道一号線……北が天唱山……南が百条湖か。
「縁起が良い話だとは思うが、それがどうした?」
「ポエマーbot事件の現場は、西の国道一号線沿い、南の百条湖畔、東の清逸夜見川沿いの順でローテしているんだ。昨日の九人目で三周したところだね。ここまでは各所で指摘されていたことだが、大蛸さんに届いた脅迫状でその意味が分かるじゃないか」
「……白虎たちの怒りと云ったな。トンネル工事で天唱山が破壊されているせいか?」
「そのとおり! 玄武が棲む山を奪うなと云って、白虎と朱雀と青龍が順番に人を殺しているんだ。ポエマーbotが、連続殺人にそういう意味を込めているということだよ!」
「声が大きい」
大蛸が迷惑そうに云った。同意見だ。
「おっと失礼。それで脅迫状が大蛸さん宅に届いたのは当然、百条市長だからだね?」
「そう。天唱トンネルはパパが云い出したことだから。この市の発展のため、絶対に必要なこと。なのに自然を壊すなって、なにも分かってない奴らが喚き続けてる」
「ポエマーbotもそのひとりというわけだね。百条市民を人質にしてトンネル工事を中止させるための連続殺人。なかなか深いね」
そうか? 浅いと思うが。
大蛸は苦虫を噛み潰したような表情で続ける。
「あたしが脅迫状のことを知ったのはたまたま。パパと秘書の人が話してるのを聞いたから。だけど聞き流すわけにいかないよ。あたしは天唱トンネルに反対してる人達の中からポエマーbotを探してる」
「きみ独自にってこと?」
「そう。パパは警察にも相談してるかもだけど、任せていられない。パパの邪魔をする人はあたしが排除する。パパの夢はあたしが叶えるんだ」
いつの間にか、大蛸はなにかのスイッチが入ったようだ。妙に熱く語っている。
俺はついて行けないものを感じて「ファザコンなんだな」とだけコメントした。
「はあ? ちがっ――あたしはパパが好きなだけ!」
それがファザコンだよ。
彼女は顔を真っ赤にして、大きな身振り手振りをつけて弁解を始める。
「これって当たり前のことでしょ? あたしが生きているのはパパのおかげなんだから。この服もこの帽子もパパが買ってくれたんだ。髪を染めたのもパパのお金。毎日食べてるご飯も、寝る家も、ぜんぶパパが与えてくれたもの。違う?」
「違わないんじゃない?」
「なんだよその態度! ムカつく! 本当にファザコンじゃねーし!」
こいつが不良でもなんでもない親孝行な娘だってことは明らかとなったが、調査には役に立たない情報だ。
「話は分かった。きみがポエマーbotじゃないことも納得した。有紀暮、帰るぞ」
「ええ? ちょっと早くないかい?」
「きみ、まだ大蛸に訊くことがあるのか?」
数秒待つ。思い付かない様子だ。そりゃあそうだろう。
大蛸はダミーの手掛かりに過ぎない。脅迫状を送り付けられ、『午前21ヶ月』の借主として名前を使われただけだ。
有紀暮が原付の後ろに乗ったところで、大蛸がもじもじと話し掛けてくる。
「あんたらムカつくけど、事件を調べてるなら、これからも情報交換しない?」
というわけで有紀暮に連絡先を交換させてから、俺は原付を走らせた。
有紀暮は喋り続けないと死ぬ病気なのか、後ろでずっとうるさかった。
「ふうー! 風が気持ち良いね! ハマってしまいそうだよ! 私は暴走族に向いているのかも知れない!」
原付程度でこんなに騒ぐ奴は、むしろ向いていないんじゃないか?