3、4「ちらちらと揺れる彼女の影」
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鷹峰らは中郷の死体が警察に渡って色々と調べられると都合が悪いらしい。なので通報せずに処理することとなった。その方が俺も面倒が少ない。
中郷の死体は車のトランクに運ばれて、現場は鷹峰の部下二人が掃除する。俺と鷹峰は霞を車に連れて行く。有紀暮は「霞さんに乱暴しないでほしい」と訴えたが、「安心しろ。俺が紳士なのは知ってるだろ」と説得した。彼女は部屋で待機だ。
後部座席で、俺と鷹峰は霞を真ん中に挟んで座る。鷹峰が霞の肩に腕を回して、今夜の出来事は誰にも話すなと云う。お前の殺人を通報しないでおいてやるんだから逆らえないよな、みたいな理屈をしつこく説く。霞は歯がガタガタと鳴るほど震えている。
脅しが充分に効いたところで、俺は本題に入る。
「きみが人を殺したのは、今日が初めてか?」
「そ、そうです。初めてです。もちろん」
「じゃあ、きみはポエマーbotじゃないってことだな?」
「そうです。私は、ち、違います」
震えが止まらない様子だ。鷹峰が「どうした寒いのかよ」と笑って、彼女の身体の前面を手でゴシゴシとさする。彼女は「ううううう……」と泣きそうな声を洩らす。
「つまり、きみは中郷を殺したのをポエマーbot事件に見せかけるため、詩を書こうとしたわけだ?」
「え? あの、どういうことですか? ごめんなさい……」
「ポエマーbot事件に混ぜ込めばいいって考えたんじゃないのか?」
「あ、そうですっ。そう――思っただけです」
鷹峰が「こいつ本当か? ポエマーbotなんじゃねえか?」と口を挟む。
「いいや、お前がネチネチいじめてる間に調べた。本物のポエマーbot事件の被害者はさっき、別の場所で発見されている」
ちゃんと清逸夜見川の近くで、詩は『穴を掘り続ける/貴方がひとたび落ちれば/二度と月すら見られないように』。霞が書きかけていた詩と一致している。
「詩の内容を知っていたのは、『午前21ヶ月』を読んだことがあるのか?」
「はい。姫乃先輩の、詩集ですので。コピーも取っていて……」
「それでも浅はかな工作だな。本物とダブって、場所が規則性に従ってないからこっちが偽物だとすぐ分かる」
「なるほどなあ。馬鹿だな、お前!」
鷹峰に大声を出されて、霞は「ひい!」とすくみ上がった。
「で、きみはどうして有紀暮を殺そうとした? そのために来たんだろ?」
「あの――本当に、知らないんです、全然。有紀暮さんを殺そうなんて……」
俺は霞の眼鏡を取り上げた。地味なスクエア型の眼鏡だ。
「きみ、眼鏡を食ったことあるか?」
「え?」
「食いやすくしてやるよ」
両手でそのフレームを折り、レンズを割る。鷹峰が「はっはっは!」と堪らなそうに笑う。さすがにこの点は察しが良く、彼は霞の口に両手を入れて強引に開かせる。俺はその中に眼鏡の残骸を押し込み、顎を掴んで口を閉じさせようとする。
「はあああ、あ、はああっ、あああああああっ」
霞は口を閉じない。首を小刻みに横に振る。両頬を涙が伝い始める。
「なんだよ喋るのか? 本当のことを。どっちだよ。眼鏡食ってからにするか?」
首を横に振り続けている。「喋るんだな?」と念押しすると、縦に振る。
「じゃあ喋れよ」
俺も鷹峰も手を離す。霞は膝の上に眼鏡を吐き出す。
「ひ――姫乃先輩に、会ったんです」
ぼろぼろと泣いて、血が混じった唾液を垂らしながら、彼女は話した。
「部室を出るとき、廊下で待っていてくださって。姫乃先輩は、なにも、変わっていませんでした。お変わりなく、私が知る姫乃先輩で。それで、云われたんですよ。これからは私がポエマーbotとして、姫乃先輩の詩を世間に伝えていくんだって、云われたんです」
「おい、姫乃先輩ってのは姫乃由莉園のことか?」
鷹峰の質問に霞は「そうです」と頷く。
「そんなわけねえ! なあ正念坂、こいつ殺しちまうか?」
俺は鷹峰のことは無視して霞に訊く。
「いつの話だ、それは」
「昨日です」
「きみが有紀暮を殺すように、由莉園が云ったのか?」
「はい、そう仰いました。私は――選ばれたんですよ。姫乃先輩に!」
目を剥いて主張する。熱に浮かされたような狂信的な目だ。
その胸倉を鷹峰が掴んだ。
「出鱈目をほざいてんじゃねえぞ。この眼鏡、尻ん中に突っ込まれてえか」
「出鱈目じゃ――ないです。本当に、姫乃先輩が――」
「生きてたってのか? ああ? おいブス」
「いいだろ。由莉園が生きてると、なにか都合が悪いのか?」
俺が云うと、鷹峰は「そうじゃねえ」と否定した。
「お前は信じるのかよ。こいつが云うことを」
「どうだろうな。現実として、本物のポエマーbot事件は別に起きている。こいつが引き継いだというのは違っているな」
霞を見る。彼女は震えながらも、視線を逸らすことなく睨み返す。由莉園に会ったという部分だけは譲れないとでも云うかのようだ。
その後もいくつか質問したが、大した内容は返ってこなかった。由莉園は霞がポエマーbot事件を着実に引き継げれば再び会えると云ってすぐに去ったらしい。由莉園がそう云うなら、霞としては迷いはなかったそうだ。彼女はよほど由莉園に心酔しているらしく、まるで神を語るみたいな調子だった。
コツコツと窓を叩かれる音がした。振り返ると、有紀暮が手を振っている。窓を下ろすと、「ああ、良かった」なんて云って胸に手をあてる。
「えっちなことをしているんじゃないかと思って、ドキドキしてしまったよ」
「するわけねえだろ」
「エロ同人ではよく見る展開じゃないか。……え! どうしてひいてるんだい?」
有紀暮はいつもの調子を取り戻していた。
「掃除は終わったのか?」
「うん。綺麗さっぱりね」
鷹峰の部下二人がこちらに歩いてくるのが見えている。
「それよりも聞いてくれ。今日、ポエマーbot事件の被害者は別で発見されているんだ。霞さんは単なる模倣犯なのかも知れないよ」
「ああ、そのくだりはとっくに終わった」
ともかく、有紀暮についてはもう心配無用だ。俺達は引き上げることにした。
有紀暮には、霞が由莉園に会ったと話しているのは伏せておいた。霞のことは自宅に送ると説明したが、車が走り出すと鷹峰が「こいつ、もう少し俺らが預かっていいか?」と云うので「好きにしたらいい」と答えた。霞は口にガムテープを貼られている。
「よーし。じゃあオモチャ屋に寄るか」
「なんでもいいが、俺のことを送った後にしてくれ」
「お前も来るんじゃねえのか? 〈明日暮れぴおす〉で飲もうぜ」
「飲まねえよ。ああ、コンビニには寄ってくれ。酒のにおいがしないと絢が怪しむ」
絢のマンションが近づいてきたところで、鷹峰が「それにしても」と口を開いた。
「やっぱりお前といると面白いなあ。正直、絢のことを考えるなら姫乃有紀暮がどうなろうと知ったことじゃなかったが、お前はそうもいかないんだろ? 分かってるぜ」
「なにがだよ」
「姫乃由莉園がいなくなってから、お前は変わった。すべてのことにやる気がなくなって、まるで鬱病患者じゃねえか。絢は自分がカノジョになって尽くしてるから、お前はやる気になる必要がなくてそうしてるんだって云うけどな。実際はそうじゃねえって分かってるはずだぜ、心の中では」
「あっそう」
「なあ正念坂、俺に云わせれば、いつまでもいなくなった奴に囚われるなって思うぜ。もう二年だろ? 今日改めて分かったが、ただの気持ちの問題だな。お前はその気になれば、いつだって昔のお前に戻れる。そのための手伝いなら、俺は惜しまねえよ。絢だってそうだろう。要するにみんな、お前のことが好きなんだ」
一から十まで気に障る発言だったが、疲れていたので放っておいた。
4
部屋に帰ると、玄関で靴も脱いでいないうちから絢が抱き着いてきた。
「おかえりい。楽しかった?」
「普通」
「そっか。でもユウくんと仁太郎ちゃんがまた昔みたいに仲良くするのは、絢も嬉しいよ。でもお、寂しかったよおお」
「分かった分かった。靴、脱げないから」
べたべたと絡みつきながら、絢は携帯を掲げて見せてくる。
「これ見てたの。旅行サイト。もうすぐ絢、夏休みでしょお?」
「ああ、中間試験が明日からだっけ?」
「そう。テストが終わったら夏休み。二ヶ月くらいあるんだよ。だからどこか旅行しようよ。三泊四日くらい。どうかな?」
「良いんじゃない?」
「良いよねえ。なんかあ、高い旅館とか泊まりたいなあ。こう、食べきれないくらいご飯が出てくるの。部屋の中に露天風呂がある感じのとこ。ああ~」
想像だけで盛り上がっている絢。俺よりこいつの方が酔っ払いなんじゃないかという調子だ。それが妙に面白く感じられて、俺はソファーに並んで腰掛けたところで彼女の話を遮ってキスした。俺の方から唐突にキスすると、絢はいつもとろとろの表情になる。
「んふふ。お酒のにおいするよ?」
「飲んできたからな」
胸ポケットから煙草の箱を取って、一本摘まみ出す。口に咥えると、同じ胸ポケットに入れていたライターを絢が手に取り、火を点けた。
吸い込む。先端の火が明るさを増して、ジュウウ……と葉が燃焼する。咥内で煙を楽しんだ後、絢の顔面に吹きかける。絢は「きゃ~」とはしゃいだ声を上げる。
「やめてよお」
そう云う割には嬉しそうだ。お馴染みのやり取りである。
煙を吸って吐いて、またキスする。
「今度は煙草の味するう」
「どっちが好き?」
「ええ? う~ん、どっちもお~」
机上の灰皿に煙草を放り捨て、さらにキスを繰り返す。
気持ち良くなった絢は「んふふ~」と変な笑い声を洩らすようになる。
「絢、産毛剃っていい?」
「うん、いいよ。恥ずかしいけどお……」
裸にした絢を浴室に連れて行く。いつもの要領でローションと石鹸で泡立ててその身体に薄く延ばす。絢は再び旅行の話をしようとしたが、俺が剃刀を使っている間は黙らせておく。そして俺は考える。
先ほどの霞千津子の証言についてだ。
ポエマーbot事件を追っていて、俺は初めて由莉園の尻尾を捉えたのだろうか?
不可解な点は多い。霞は本気に見えたが、妄想に憑りつかれているだけかも知れない。ただし、仮に本当だとしたらどうなる?
由莉園は生きていて、この百条市にいて、ポエマーbot事件を手引きしている?
あるいは彼女がポエマーbot?
妹の有紀暮を殺させようとしたのはなぜだ?
ポエマーbot事件の被害者は今日で十八人目が殺害された。タロットの大アルカナは0から21まで。あとは〈19:太陽〉〈20:審判〉〈21:世界〉の三人か、その後にもうひとり〈0:愚者〉が殺されれば、この長い連続殺人も終わるだろうと云われている。
俺は由莉園に辿り着くことができるのか?
そもそも由莉園が無事で、自由に行動できる状態なら、どうして俺に会おうとしない?
やっぱり霞の証言は真に受けられないように思われてきた。いや、しかし……。