3、4「吸って吐いて望み絶える」
3
這入ったのは適当なカラオケ店だ。個室だし飲み食いできるし携帯も充電できる。
阿僧祇は職員室のデスクでずっと仕事しているようだ。手元は映っておらず、なにをやっているのかは分からない。時折カメラ目線になるのが鬱陶しい。こちらの映像は映していないし、自分の映りを気にしているのか?
有紀暮は俺が注文したポテトチップスをつまみながら、真面目に画面を見詰めている。
「そんなにずっと見てなくていいぞ。人を殺して戻ってくるのに数分じゃあ済まない」
「分かっているけれど、性格上ずっと見てしまうんだ」
「なんか歌ったら?」
「ええ? 歌――は、遠慮するよ。歌える曲がない」
「カラオケに来たの初めて?」
「中学生のとき、クラスの打ち上げで一度行ったよ。でもそのときも歌わなかった。居心地が悪かったなあ、あれは。ほら、私は友達がいないからね!」
悲しい話だった。
なら俺も歌わないことにして煙草を吸っていると、
「二十歳未満の者の喫煙は、法律で禁じられています。喫煙は、あなたが肺気腫など慢性閉塞性肺疾患になり、呼吸困難となる危険性を高めます」
机上に置いた箱を拾い上げて朗読された。
「構わんね。何事にもメリデメはある」
「どうして吸うんだい?」
「さあ……なんだろうな」
指に挟んだ煙草を眺めてみるが、分からない。
暇潰しだろうか。
「だが見てみろよ。火が点いたもんを持って、しかも口に咥えるなんて凄くないか? しかもほら、刻一刻と火が迫ってくるんだぞ?」
「だぞと云われても困るけれど……口から煙を吐き出すのも狂気の沙汰だよ」
「人間が、だもんな。機関車とかじゃなくて」
「機関車!」
ツボに入ったのか、有紀暮はしばらく笑った。
「買うときに年齢確認とかされないのかい?」
「されないよ。俺は人生に絶望してるからな」
「どういうこと?」
「普通の十代は人生に絶望してないから、顔を見ると分かる。そういう奴が年確される」
「私の顔はどうだい?」
「されるね。希望に満ち溢れているよきみは」
「それは、喜んでいいのかな?」
「いいんじゃないか。しかしまあ、正しいのは俺の方だね。人生に絶望ってのも、実は重複表現だからな」
「重複表現って?」
「頭痛が痛いとか、返事を返すとかと同じだろ。人生って言葉に既に絶望って意味が入ってるから。人生に絶望と云ったら、絶望と二回云っていることになる」
「ええ、そういうこと? 斬新な解釈だね?」
阿僧祇は七時近くになると学校を出て車に乗った。ここは多少、ちゃんと見張っておいた方がいい。夜道をひとりで歩いている若者を見つけて車を停め、一分くらいでパッと事を済ませるのも不可能ではないだろう。
だが特段おかしなところはなく、途中で夕食を買うため弁当屋に寄っただけで、自宅に帰ってきたことが分かる。詳しい立地は不明だが普通のアパートだ。
「ここまでくると、先生は無実な気がするよ。もとは私が疑い始めたことだが……」
「これで今日新たな被害者が出なかったら、まだ分からないぞ」
その約一時間後、八時半を回ったころに、本日の被害者が発見された。
現場は清逸夜見川近くの廃工場。麻雀牌の刺青はまだ不明だが、規則性に従うなら一の牌だろう。
『悪の華、踏み散らして魔性/キスをしたって味がしないガムのよう』
相変わらずのよく分からない詩が、まるで俺を嘲笑っているかのようだった。
どっと疲れを覚えつつ、ミュートを解除して阿僧祇にも容疑が晴れたことを伝えてやる。彼はほっと息を吐いてから、急に調子づいてべらべらと喋り出した。
『ああ、良かったよ。きみ達にしてみれば、当てが外れて残念という感じかな……。ただ、ひとつ云わせてもらうと……これもパスカルの三角形と同じだよね。上から順番に数字を埋めていかないと、途中が抜けていたら、完成しないんだ。なにかを調べるには、証拠をひとつひとつ集めていかないとね……。面倒ではあっても、正しい数字を導くには――』
これだよ。パスカルの三角形に結び付ける必要あるか?
俺はそれ以上は聞かず、強引に打ち切った。
4
「先輩、おかえりなさいですー」
徒労感をひきずって帰宅したところにまつりの声を聴くと、全身が弛緩する。
「阿僧祇先生。殺人鬼でしたー?」
「違ったよ。殺人鬼だったら殺してたんだけどな」
「えー、殺しちゃったらミイラ取りがミイラじゃないですか」
「ミイラトリってどんな鳥?」
「ミイラ取り、ですよ。もう先輩、分かるでしょー?」
ゲーム中の彼女を後ろからぎゅうと抱き締める。風呂上がりで良い匂いがするし、もこもこのパジャマは素晴らしく触り心地が良い。撫でまわすと、くすぐったそうに笑う。
「エイムがずれちゃいますよー」
「頑張ってみて」
「あっ、やめてください、あははっ」
「ほら死んじゃうよ」
「あー、死にたくないですー、あはっ、死にたくないー」
だいぶ癒される。この子と暮らしていくことを真剣に検討すべきかも知れない。
結局死ぬと、まつりは「もーゲームやめます」と云ってコントローラーを置いた。それから振り向いて、物欲しそうな顔で俺を見上げてくる。めちゃくちゃ可愛い。
「本当に顔ちいさいよな。顎とか。全部の歯、収まってんの?」
「下の歯は一本抜いてますよ。中学生のとき、矯正したんです」
「やっぱりね」
指先をまつりの咥内に差し入れて、綺麗に並んでいる歯を触ってみる。お利口な彼女は、俺が見やすいように自分から口を開く。しばらく続けていると、彼女はじれったそうに足をもじもじとさせ始めた。そこで俺は指を抜く。
「云っておくけど、セックスはしないよ」
「え? あ、はい……分かりました」
特に残念そうな顔をするでもなく、聞き入れるまつり。足のもじもじも止まる。
「この前気付いたんだけど、俺って歯の並びをなぞったり、咥内の上側をこすったりするのが好きみたいなんだよね」
「ボクは前から気付いてましたよ」
「ああ、そうなの? まあ、これは絢とキスするときの話なんだけど。俺が舌の先でそうすると、絢はスイッチが入ると云うか、なにがなんでもセックスに持ち込もうとするんだよ。俺はそこまでするつもりないのに」
「あー……ジレンマですね?」
「そうだな。前に絢がしつこく誘ってくるのを断り続けたら、あいつ泣き出してさ……ひと晩中『セックスだけがすべてじゃないよ』と云って慰めたんだけど、想像してみてくれよ。すげえ変な状況だぞ。絢も泣きながら『うん、うん』なんて頷いてたし」
「……先輩はどうして、伊歳さんと付き合ってるんですか?」
まつりにしては踏み込んだ質問がきた。
「勘違いしてるみたいだけど、付き合ってないよ」
「え? 同棲してるじゃないですか」
「それはなんと云うか……雇用関係だよ。絢が俺を雇ってる。俺は絢の色んな要求に応える代わりに、住居とか食べ物を与えられてるわけだ。だから今はストライキ中だな」
「伊歳さんのこと、好きじゃないんですか?」
「好きじゃないよ。俺は誰のことも好きじゃないんだ」
絢と交際しておらず、好きでもないなら、ボクと……という流れに持って行きたかったのだろうが、俺は気付かないふうを装いながら彼女の期待を裏切る。
「そうなんですねー」
彼女は落胆を顔に出したりはしない。しかしその心を濁らせているのは明らかで、俺はそれを知って楽しんでいる。この子には飴と鞭を繰り返しながら、肝心なところをずっと焦らし続けるくらいが丁度良い。
もっとも、俺が話したことは冗談ばかりでもない。俺が絢と恋人のつもりでないというのは本当だ。由莉園が失踪した後、彼女が当たり前のように恋人らしく振舞うようになって、なし崩し的に今の関係があるが。
ところで彼女は俺が帰らないので一昨日はひっきりなしに電話を掛けてきたけれど、すべて無視していたら昨日はなんの連絡もなく、そして今日の夕方にメッセージを寄越していた。
『絢はポエマーbotさんに殺してもらうことにしたよ。これから清逸夜見川沿いをひとりで歩きます。絢が死んだらユウくんは喜ぶと思うから、そうします』
ご苦労なことだ。こういう奴は殺されないと決まっている。




