1、2「ポエマーbot事件にようこそ」
生は限りなく自分の力と資源を使い尽くす。生は、自分が創造したものを際限なく滅ぼす。生ある存在の多くはこの運動のなかで受動的である。しかし極限において私たちは、私たちの生を危険にさらすものを決然と欲する。
――バタイユ『エロティシズム』
1
夕方に起床して煙草を吸って本を読んでいると、夜になって絢が帰ってくる。
「ユウくん、ただいまあ。すぐにご飯つくるからねえ」
肩まで垂らしたツインテール。とろんとした目つきが特徴で、口元には悪戯っぽい微笑が刻まれている。元気溌剌というほどではないが、陰気さとは無縁なタイプだ。
それから三十分後。彼女がつくったオムライスとサラダを食べながら、愚痴を聞く。居酒屋のバイトはストレスが溜まるらしい。大学生の彼女だが、親からの仕送りでは俺を養うには足りないので働いている。
愚痴はやがて世間話に移行する。俺達が住む百条市で連続殺人事件が起きていると云う。都会とも田舎とも付かない地味な地域だが、それで珍しく盛り上がっているようだ。
「無差別殺人なんだって。絢が殺されちゃったらどうする?」
「それは困るな」
「ええ? ユウくん、困ってくれるのお?」
「そりゃあ、絢がいなくなったら俺は野垂れ死ぬから」
「わあ、嬉しい……そんなに必要としてもらってるなんて」
空になった食器を片付けると絢は俺に絡みつく。
俺は携帯をいじる。ネットで適当に連続殺人のことを調べると、詳細が出てくる。
通称、ポエマーbot事件。
七月一日から市民が毎日ひとりずつ殺されて、今日で九人目とのことだ。
現場には被害者の血で短い詩が書かれており、この特徴から同一犯と見られている。botとは一定の処理を自動で実行するプログラムの意味で、この事件の淡々と進行していく様子を表しているようだ。
犯行時刻は夕方から夜にかけて。死体はその日のうちに発見される。被害者は十代から二十代の若い男女で、特段の接点はない。
「これ、犯人はすげえ暇な奴だな」
「ん。連続殺人のこと?」
「そう。毎日って、間違いなく無職だろ。俺じゃないが」
「ユウくんには、絢に愛を注ぐお仕事があるもんねえ」
「それを無職と云うんだけどな。俺の場合は、自覚があるから。こういうことをするのは自覚がない暇人だよ。自分では精一杯なつもりの奴」
「ああ、いるよねえ、そういう人」
絢は相槌を打ちながらも、もっと構ってほしいという雰囲気を醸し出してくる。応じてやらないと機嫌が悪くなるので、俺も事件について調べるのはやめにした。
俺には関係ないし、どうでもいいと思っていた。
2
朝。化粧を終えた絢が、ベッドで寝ている俺のもとまでやって来た。
「どお? ツヤ感強めで、いつもより色っぽくない?」
「分からんけど、まあ可愛いよ」
きゃーと嬉しそうな声を上げて、俺の頭をぎゅうと抱き締める。
「ユウくんのカノジョには、絢しかいないよ。絢は世界一の女の子」
お決まりの台詞を云ってキスまでしてから、彼女は大学へと出かけて行った。
俺はいつもどおり、本を読んだり携帯で動画を観たりしていると昼になる。それから夕方まで眠るのだが、今日は二時過ぎにインターホンで起こされた。無視しても二度、三度と繰り返し鳴るのでベッドから下りた。
モニターまで行くと、映っているのは知らない女子だ。通話ボタンを押して「なに?」と問う。荒い映像でも相手が笑ったと分かる。
『正念坂ユウさんだね? 私は姫乃有紀暮と云う。知っているかな?』
「知らないが……姫乃と云ったか?」
『そう、姫乃由莉園の妹だよ。話がしたい。入れてもらえるかい?』
俺はエントランスを開錠する。部屋の扉を開けて待っていると、やがてエレベーターホールから地味な風貌の女子高生が現れて、大股歩きでこちらに向かってきた。
野暮ったい黒髪ロングに、黒ぶち眼鏡。制服のブラウスは第一ボタンまで留めてリボンを付けているし、スカート丈も膝まであって、黒いハイソックスを履いている。
「やあ、はじめまして。姉が世話になったみたいだね」
「妹がいるなんて聞いてなかった」
「そうかい。私は貴方のことを姉から聞いていたよ」
やけに馴れ馴れしいが、まあ構わずに部屋に入れる。
「美濃和高校の制服だな。いま何年だ」
「二年生だよ」
俺は同校を二年の夏ごろに退学となった。こいつの入学はその翌年ということになる。
「今日は仮病で早退したんだ。ふふ。優等生の私だが、非行に手を染めてしまったね」
「ソファーに座ってくれ。飲み物とかいるか?」
「お構いなく。正念坂さん、危険人物だと聞いていたが、随分と優しいね」
俺の方はベッドに腰掛けて、有紀暮を観察する。彼女はソファーに浅く座り、背筋をピンと伸ばしている。それで得意そうな笑顔を浮かべ、俺を見つめ返している。
「ああ、こう見えて敬語が使えないんだ。帰国子女だと思って許してほしい。帰国子女ではないのだがね」
「顔は由莉園に似てるけど、他は全然だな」
「よく云われるよ。ところで用件に入っていいかい?」
彼女は鞄から一枚の便箋を取り出して、俺に手渡した。
「これがなんだか分かるかな。懐かしい字のはずだよ」
「……由莉園が書いた詩か?」
そこには直筆で六編、奇妙な文章が綴られていた。『午前1月』から『午前6月』とそれぞれ題されている。由莉園にはこういう趣味があった。
「その他になにか、気付かないかい?」
有紀暮はえらく楽しげだ。
「なにが?」と訊き返したところ、便箋を指差される。
「ポエマーbot事件だよ。現場に残されている詩と一致しているんだ」
「本当に?」
「調べてみるといい」
俺は携帯を手に取る。全量をまとめているサイトがすぐに見つかる。
被害者の血で書かれた詩は現場にそのまま残されており、行けば誰でも確認できるらしい。
一人目。国道一号線沿いにあるパチンコ店の裏。詩は『逢魔が時に、どろりどろり/益体もない権謀術数だって/師曰く、それが啓示なのだ』。
二人目。百条湖畔の釣り堀。詩は『黒甜郷裏、あり得ない女に教わる/皇子を摘み取り、また隆起すると』。
三人目。清逸夜見川の堤防。詩は『頭が割れた女がひとり/天帝が嗜む血肉なれば/赦して下さい、赦して下さい』。
四人目。国道一号線沿いにあるコンビニの裏。詩は『飛翔する皇居を一瞥、珈琲を淹れる/帝國が推奨する低酸素エアロビクス』。
五人目。百条湖畔の遊歩道。詩は『異教の者共、雑誌の付録で皇胤となる/明日の我が身を嗤われまいと必死みたいね』。
六人目。清逸夜見川に架かる鹿倉橋の下。詩は『恋する気持ちをすり潰しては/ジャリジャリと噛んで飲み込んだ/人間になることを恐れるあまり』。
七人目。国道一号線沿いにあるガソリンスタンドの裏。詩は『貴方が眠れない夜のために戦う/朝焼け、涙と空回る車輪/穢れを知らない子供の声を聴く』。
八人目。百条湖畔の遊覧船乗り場。詩は『きみを力一杯、絞め殺す癖がなおらない』。
九人目。清逸夜見川沿いのサイクリングロード。詩は『一緒に隠れた屋根裏部屋で/何者かの思惑が朽ちていた/ウィん、ウィーーーん、と』。
たしかに六人目のそれまでは、由莉園の詩『午前1月』から『午前6月』と一字一句違わず、順番まで揃っている。
「七番目の事件以降も、由莉園が書いていた詩なのか?」
「そのはずだよ。姉は高校二年のとき、『午前21ヶ月』という詩集を一冊だけ製本して美濃和高校の図書室に収めた」
云われてみると、たしかにそんなことをしていた憶えがある。
「その便箋は姉の部屋で見つけた下書きだ。『午前7月』以降の下書きは見つけられなかったけれど、六つも一致していれば充分だろう」
言葉の意味は理解できるが、まだ実感が伴わない。
つまり、由莉園の詩を引用しながら、連続殺人をしている奴がいる?
「……それをわざわざ、教えに来てくれたのか?」
「無論、教えて終わりじゃないよ。私はこの事件の犯人――ポエマーbotを見つけようとしている。正念坂さんにはそれを手伝ってほしい」
「なんでだよ」
「正念坂さんだって、放っておけないだろう? 誰が、どんな目的でこんなことをしているのか。それに、私はこうも疑っているんだ」
眼鏡の奥で、有紀暮の目が細められる。
「この事件を追った先に、姉がいるんじゃないかとね」
「まさか……」
俺と姫乃由莉園は恋仲だった。
しかし彼女は高校二年の夏に突然、失踪した。
あれから二年、その行方は分からないままだ。
「『午前21ヶ月』を利用しようとする者は限られている。そもそも存在自体ろくに知られていない詩集だ」
「由莉園がその、ポエマーbotだって云うのか?」
「そこまでは云わないよ。姉が連続殺人鬼だとは思いたくない。だが深く関与していても不思議はないだろう。姉は現実から足を離したところで生きているような人だったからね」
「それは、そうかも知れないが」
俺は考える。本当に、彼女なのか?
俺とは無関係だと思っていた連続殺人事件。それが彼女からの二年ぶりのメッセージだなんてことが、あり得るのか?
分からないが、有紀暮が云うとおり、放っておけないのは事実みたいだ。
「だけど俺は、別にきみとタッグを組まなくたっていい」
「そう意地にならないでくれよ」
まるで俺が冗談でも云ったかのように苦笑された。
「私と行動した方がいい。自分で云うのもなんだが、私は天才だ。卓越した推理力で真相に迫れる。あと、ついでに云うと犯人に繋がる手掛かりも持っているんだ」
「ついでの方が大事じゃねえか」
「手掛かりを話したら、私と行動してくれるかい?」
すかさず、片手を差し出された。期待の眼差しが向けられている。
「じゃあ……しばらくはそうするよ。合わないとなったら別行動だ」
「それでいい。必ず信頼を勝ち取ってみせよう。よろしくね、正念坂さん」
釈然としないが、仕方なく握手にも応じることにした。
ペースを狂わされるこの感じだけは、姉と似ているかも知れない。