靡かない婚約者6
フィリップ王子は伯爵子息達をその場から下がらせた。助けてくれたのだろう。しかし、王太子殿下と私が一緒にいるのは余計に目立っている気がする。こちらを窺う視線をやたらと感じる。きっと気のせいではない。
「で、カトリーヌに聞いたんだけど、二人、誤解し合ってるって?」
カトリーヌ王女、筒抜けなんですね!?
兄妹仲が大変宜しいのですね!?
フィリップ王子から問いかけられているのに私もルーカスも無言だ。なんとも不敬な態度になっている。
「ルーカス」
「……はい」
「何で?」
「……こんなところで言うべきことじゃないでしょう」
「散々協力してきたのに、何だその態度」
協力?何のだろう……?
「…………」
「こんなところじゃなきゃ良いか?ちょっとバルコニーに出ろ」
ルーカスが大きく溜め息をついてから、私の肩を抱いたままフィリップ王子の後についていく。ルーカスの大きな手で肩が包まれているようで、熱が集まるのが分かった。歩きながら多くの人に何事かと見られた。恥ずかしくて肩だけでなく顔も熱くなったが、バルコニーに出ると冬の冷たい風が頬に当たり気持ち良かった。それに少し暗いから顔が赤いのが分かりづらいので助かった。
フィリップ王子の従者がバルコニーに備えられた小さなファイヤーピットに火を入れてくれた。柔らかな火が少しずつ立ち上っていくのと同時に、ほんのり温かな空気と火の明るさがバルコニーに広がっていく。
「カトリーヌの話では、マリアはルーカスとの婚約を政略的なものだと思っていると、本当かな、マリア?」
「は、はい」
政略でなければなんなんだろうか。同情婚?憐れみ婚?貴族の結婚なんてほとんどが政略結婚なのではないのだろうか。
「どう言うことだ、ルーカス?」
「……ええ」
「お前は根性無しの意気地無しか!」
フィリップ王子が怒っておられる?呆れているのかしら?こんなフィリップ王子は見たことがないので戸惑ってしまう。
「マリア」
「はいっ」
フィリップ王子が私に麗しい王子様スマイルを向けてきた。ルーカスに対する態度と明らかに違う。
「一人の憐れな男の話をしようか」
「はい……?」
「殿下っ!」
「ルーカスは黙っていろ」
ルーカスはフィリップ王子に制されてしまい黙るしか無いようで、ちらりと盗み見たルーカスは額に手を当てていた。
「私の友人の話なんだが」
「はい」
「幼い頃に幼馴染みの令嬢と結婚の約束をしたそうなのだが、その令嬢とある日突然会えなくなり私の婚約者候補になってしまったらしい」
ん?どこかで聞いた話だ……
「彼は絶望したけれど、私の正式な婚約者になるかはまだ分からないし、候補である間は誰かに奪われる心配は無いと、彼女に相応しい男になれるように勉強も剣術も努力をしてきたそうだ。だが今度は自分自身が妹の婚約者候補になってしまった」
フィリップ王子の友人の話を聞きながらドキドキと心臓の音が騒がしくなる。
「彼女に遅れること二年、王宮へと上がり妹に対面するや否や『結婚を約束した人がいるので婚約者にはなれません』と言ったそうだ。妹は呆気に取られたが話を聞くうちに楽しくなってきてしまったらしく、彼に『協力する』と言ったそうだ」
「協力……ですか?」
「婚約者候補になった彼とお茶会をする時はいつも彼女のことを話して教え、彼女とお茶会をする時は彼のことを話してあげていたそうだ」
カトリーヌ王女がいつもルーカスの話を私にしていたのはそういうことだったのか。私はてっきり王女がルーカスのことを好きなのだと思っていたが、それは勘違いだったということなのだろうか。
「斯く言う私も二人が鉢会わせるように何度も仕向けたんだけど、二人とも全く会話をしようとしなくてね。お互いが王族の婚約者候補だから変に噂が起ってはと用心していたんだろうね。そんな二人の関係が動き出したのは私の婚約者が正式に決まった後だ。婚約者候補だった者はとても人気があってね、数多の縁談が降って沸いてくるようになる。だから彼は彼女の父親に予め根回しをしたんだ。『自分も王女の婚約者に選ばれることはないから娘と結婚をさせて欲しい』とね」
ドキドキはもう収まる気配は無く、フィリップ王子の話を聞きながら前で重ねていた両手が震えていた。優しく微笑んでくれるフィリップ王子の顔を見続けるのが恥ずかしくなり下を向いてしまった。
バルコニーは寒いからとファイヤーピットに火を入れてくれたけれど、消して欲しいと思うくらい顔が熱かった。
「彼女の父親はそれを了承した。彼女が体調を崩し領地に戻ることを希望したのも、数多の縁談や誘いを断るのに丁度良いと快諾したそうだよ」
何も知らずに私はお父様にとって用無しになったのだと勝手に思っていた。もしくは領地で体調を戻してちゃんと跡継ぎを産めるような体にしないと嫁ぎ先も無いのだと、自分で追い詰めていた。お父様は全くそんな意図等無かったのに。
「そう言えば、彼女が体調を崩して寝込んでいたのを聞いた彼がお見舞いをしたいけれど立場的に出来ないことを妹に漏らしたところ、彼が選んだ花を妹が代わりに贈ったそうだよ」
「えっ……あの、薔薇……?」
カトリーヌ王女ではなくルーカスが選んだ……?
「何でも二人の思い出の花で、昔彼女が大好きだって言っていた花だって」
大好きな、花……?
そうだっただろうか。クッキーと同じく、昔好きだったものはすっかり忘れてしまっていた。
私が忘れていたことをルーカスは覚えてくれていたの?
いつも贈ってくれる花は薔薇だった。季節の花の話題を手紙に書いても贈られてきたのは季節違いの薔薇だった。それに、手土産に持ってきてくれた菓子はクッキーだった。
「そこまでやってあとは彼自身が婚約者候補の役目を終えるのを待つだけとなって、やっとその時がやって来たのに婚約はしたけれど何故か二人が上手くいっていない。誤解ばかりが生まれ政略婚になっていたと言う話なんだけど」
私が誤解ばかりをしていた?一人で思い込んで確かめることから逃げていた?
「私からしたら恋愛婚だと思うんだけどねぇ、単純に彼に言葉が足りなさ過ぎなんだよ。彼女も父親の話では彼が妹の婚約者候補になってしまった時に、ショックで怪我をしてしまったと聞いていたからね。だから私も彼に協力をしたんだ」
「!?」
その話まで知っている……!?
お、お父様!?お父様が話した!?
えっ!フィリップ王子に?……ルーカスも、知って、る……?
もう限界だった。重ねていた両手をほどいて顔を覆ってしまった。
(は、恥ずかし……!!!)
「とまあ、私の憐れな男の話は以上かな。マリアは今日せっかくのデビューの日だ。楽しんで行くと良い」
最後にそれだけ言ってさっさとバルコニーを出ていってしまった。慌ててお辞儀だけしたけれど、バルコニーにルーカスと二人っきりにされてしまい、恥ずかしくて頭を上げられなくなってしまった。
散々思い込みで誤解をしてきた私だけれど、ここまで分かりやすくフィリップ王子から教えられたら誤解のしようがない。
「マリア……」
ルーカスから話し掛けられてビクッと肩を跳ねさせる。ゆっくりルーカスの方を向くと、恥ずかしいのか視線は合わなかった。頭をガシガシと掻きながら明後日の方を見ていた。せっかく綺麗に整髪された髪が乱れて、ボサボサの髪がいつもより少年らしく見せていた。
「……憐れな男の話の続きを、聞くか?」
「教えて頂けるのなら……」
ルーカスははぁと溜め息をつき、腕を組んだ。
「王女の婚約者候補の役目を終え、彼女の父親と共に下準備を全て終わらせて、やっと彼女の元へ行けると逸る気持ちを抑えながら領地に向かって再会出来たのに、久し振りに見た彼女に見惚れていたら呼ばれた名前が如何にも壁がありショックを受けて言葉が出てこなくなってしまった。本当はその場で求婚をしようと思っていたのに」
私が"侯爵子息"って言ったから?
「……求婚……して、くださったら……良かったのに……」
そうしたら私は誤解なんてしなかったのに。嬉しくて直ぐにルーカスの手を取ったのに……。
「……馬に乗せようとしたら断られてさらにショックを受けて、それでも父親に会う前にどうにか求婚をと思ったけれど、領館に着いて馬車から降りるのに差し出した手に重ねられた手が震えていて……もしかして怖がられているのか、もしくは嫌われているのかと……そう思ったら求婚しても断られてしまうかもしれないと。父親から婚約の件を伝えられれば引き受けざるを得ないかと……憐れどころか最低な男だったな」
「ルカ……ごめんなさい。私は、カトリーヌ王女がいつも貴方のことを話すから好きなのかと思っていました。だから貴方に近づいてはいけないと、馴れ馴れしい態度は良くないと、一緒に馬に乗るのも良くないと思って……」
「君は悪くないよ。寧ろ令嬢として正しいだろう」
誤解が一つずつ解けていく。あの無表情の裏には彼の感情が隠れていたんだ。貴族として顔に出さぬよう教育されたからルーカスは自然と表に出なかっただけなんだろう。
「いつも薔薇を贈ってくださった時、手紙が無かったのは……?」
「君に嫌われていると思っていたから、手紙に何を書いたら良いのか分からなかった。薔薇だけ贈ったって君が靡くわけないのは分かっていても、下手に書いて余計に嫌われ気味悪がられたらと思うと何も書けなかった。だから茶の席で君が倒れた後に君から貰った手紙が質問ばかりだったのが嬉しくて、かなり調子に乗って返事を書いてしまった」
もっと早くから疑問形の手紙を書けば良かった。返事が貰えなかったらと怖くて避けてしまっていた。
聞けばきっと答えてくれていたんだ。今、聞いたことを教えてくれているように。
「今さらかもしれないが、コルニー侯爵領で出来なかった求婚をさせてもらえないか?」
予告をされて急にドキドキが激しくなる。真剣に見つめられて恥ずかしくて俯きたくなるけれど目を逸らしたらいけない気がして、囚われたようにルーカスの瞳を見た。
ルーカスの右手が私の左手を持ち上げる。また手が震えてしまう。怖いからじゃない、嫌っているからじゃないと言い訳したい気分になったけれど、緊張で震える手を取ってダンスをしてくれた経験からか、ルーカスは気にしていない様子で真剣な表情のままだった。
「マリア。俺は殿下曰く根性無しの意気地無しで、憐れどころか最低な男だけれど、君を好きな気持ちは薔薇の四阿で約束した時から変わらない。誰にも奪われたくなくて君の気持ちを確認せずに婚約を進めてしまったことは申し訳ないとは思うが、俺はもう君を手離す気は無い。ずっとこの手を取っていたい。俺と、結婚して欲しい」
六歳の私は何と答えたんだっけ。世間も社交も分からず妃教育で学ぶ教育教養も何も知らない幼い頃の私は、ルーカスの言葉を素直に受け止めて不安も何も無かった。嬉しいという気持ちだけで答えていただろう。
「はい。私を……ルカの、お嫁さんにしてください」
私もルーカスと一緒で、薔薇の四阿で約束した時から気持ちは変わらないということを伝えたかった。
言ってやっぱり子どもっぽい台詞だったなと恥ずかしくなる。
「ありがとう」
ルーカスの大人になってから初めて見る笑顔に胸がいっぱいになる。さっきガシガシと頭を掻いたからボサボサになってしまった髪にこの柔らかい笑顔は、可愛いなと思ってしまう。つられて私も笑みがこぼれてしまった。
「抱き締めてもいいだろうか?」
ドキッとしてしまう。笑っている場合ではないらしい。意識しすぎてしまって返答の言葉に困ってしまい、小さく頷いた。そのまま下を向いてしまってルーカスの顔が見えなくなってしまったから、伝わったのかが分からない。けれどきっと顔は真っ赤だから顔を上げられなくなってしまった。
でも直ぐにルーカスの腕に優しく包まれる。こんなにくっついたら胸のドキドキが伝わってしまうだろう。でも同じ位速い鼓動がルーカスから聞こえてきて、嬉しすぎて涙が出てきそうだった。
◇◇◇
舞踏会の日からルーカスとは度々お茶会をしたり、デートに出掛けるようになった。婚約者候補だった頃はほとんど出掛けず家に籠っていたので、劇場に行ったり博物館に行ったりするのがとても楽しかった。
今日はルーカスとのお茶会の日。
「…………」
コルニー侯爵家でお茶会をする時は、いつもルーカスがお菓子を土産として持ってきてくれる。
「どうした、マリア?そんなにクッキーを見つめて」
お菓子を持ってきてくれるのはとても嬉しい。私が昔クッキーが大好きだったことを覚えていてくれたのも嬉しい。
しかし、毎回毎回クッキーなのだ。クッキーしか持ってきてくれない。
とても美味しいよ?決して不味い訳ではない。
けれどクッキーが大好きだったのは昔なのだ。
「ルカ、気を悪くしないで聞いてね。クッキーが大好きだったことを覚えていてくれて、それを手土産に持ってきてくれるのはとっても嬉しいわ」
「ああ」
ニコニコと爽やかな笑顔だ。あの無表情顔は何だったのだろうと思う程。
「でも今の私はどのお菓子も好きよ。一番はどれかなんて決められない位、ケーキもパイもマフィンもチョコレートも、クッキーと同等に好きなの」
「あ……なるほど。次は違うのにしよう」
爽やかだった笑顔は眉が下がり、少し心苦しさを感じさせる笑顔に変わってしまった。
そんな表情をさせてしまって申し訳ないなとは思うが、ちゃんと言わなければ伝わらない。それは散々に思い知ったのだ。伝わって良かったと思う。さすがに今後もずっとクッキーは……飽きる。
「ありがとう、ルカ」
ちゃんとお互いに気持ちは伝え合って誤解を生まないように向き合っていこうと思ったのだ。小さなことでも。
もし誤解を生んでしまっても、話し合うことから逃げずに思い違いをしないよう気をつけていきたい。
「こちらこそ教えてくれてありがとう。もしかして花もか?今一番好きな花は、薔薇じゃないのか?」
きっとルーカスとこれから共に歩む人生は、同じようなことを繰り返すだろう。気をつけていても誤解を生んでしまうと思う。
「一番好きな花は薔薇よ。それは変わらない。私にとって特別な花だから」
ルーカスはちゃんと話を聞いてくれる。誤解が生まれてしまってもこの人となら何度でも向き合い直し、修正していける気がするのだ。
「じゃあ、また薔薇の花を贈ろう」
「うん、でも、季節の花も好きだからね。その季節を感じさせてくれる花も素敵だと思うの」
「なるほど……」
ルーカスは素直だ。下手をすると好きだと言ったものだけを延々と贈り続けてくる危険性がある……。
その後も何が好きか、何が苦手か、お互いに言い合った。それはささやかなのに、とても優しく楽しい時間だった。それがこれからも続くのだと思うと嬉しいことだなぁと思う。
END
最後までお読みくださりありがとうございました。