靡かない婚約者5
とうとうデビューをする舞踏会の日がやってきた。
ルーカスが邸まで迎えに来てくれ、私はペリコール侯爵家の馬車に乗って会場である王城まで向かった。
(気まずい……)
ルーカスと会うのは私の誕生日パーティー以来だった。それ以降も変わらず週一で花が届いていたが、手紙は無かったので交流らしい交流は何も無いのと同じだ。
先日カトリーヌ王女に言われた通りにお父様と話しをした。知らなかったお父様の気持ちを知れて嬉しかった。カトリーヌ王女は「まずはコルニー侯爵と」と言っていた。と言うことは、次はルーカスともと言いたかったに違いない。
馬車の中は二人っきりだから、何か会話を……と思ったのに、ルーカスは目を瞑って腕を組んで、さらに長い足も組んでいる。とても話し掛けられない。
目を瞑っているのを良いことに、じっとルーカスを観察する。
癖のあるダークブラウンの髪はいつも下ろしている前髪を上げているので、くっきりしている顔立ちがよく見えた。昔の丸みを帯びた可愛らしさは無くなったけれど、男らしい骨格でシャープな印象になった。目を閉じている分いつもの無表情の怖さや冷たさは感じない。
「……何だ?」
急に目を開け視線がぶつかり声を掛けられる。ビクッとして視線を落としてしまった。
(……ダメだ!これじゃあ変な人だ)
じっと観察している辺りもう変な人かもしれないけれど。
(逃げたらダメだ!)
もう一度顔を上げて視線を向けると、ルーカスとしっかり目を合わせた。
「お疲れですか?今日は付き合わせてしまい申し訳ありません」
「……いや」
…………
もう会話が終わった。
心の中で泣いた。
心が折れた私は口を噤んで目を伏せた。
「……今日、体調は良いのか?」
話し掛けられたことに驚いて顔を上げると、ルーカスは窓の外を見ているようだった。
「はい、今日は大丈夫そうです」
「そうか」
「ご心配ありがとうございます」
「……いや」
折角話し掛けられたのに、話を続けられない。
窓の外を見ているのは、義務的な会話だからか。それとも優しさを見せるのが恥ずかしいのか。
「……もし途中で辛くなったら遠慮無く言え」
おそらくだけど、後者な気がする。
「はい。お気遣いありがとうございます」
王城に着いてルーカスにエスコートされ馬車を降りる。今日は乗るときも降りるときも手が震えなかった。そのまま腕を組んで会場に入る。ルーカスはゆっくりと歩いてくれた。
けれど、お陰でコソコソと噂話をされているのまで聞こえてしまった。
王太子殿下に選ばれなかった令嬢とか、ルーカスに拾われた令嬢とか、金で無理矢理縁談を決めたとか、色目を使ったとか……
聞こえないふりをして背筋を伸ばして歩いた。ルーカスが堂々としていたから、私も前を向いて隣を歩いた。
舞踏会の会場は豪華絢爛で輝きが眩しくて息を飲む程だった。とても多くの貴族が華やかな衣装を纏い、誰もが美しい宝石を身につけていた。
(邸の中の一番高価な宝石をつけていたりするのだろうか)
私は婚約時にルーカスから贈られたネックレスと、誕生日にルーカスから贈られたイヤリングを身につけていた。
ドレスも宝石も家の豊かさを表している。それだけのものを買える資産があるのだと。そう考えると今身につけているものは物凄く高いのではないかと思えてきた。正直宝飾品にもさほど興味が無いので石の大きさとか、使われている石の数とかでしか判断がつかない。
ルーカスは見目の良さだけでなく、侯爵家の嫡男であり、婚約者である私にも高価な宝飾品を贈っている為、令嬢からの注目度が高い。ルーカスには熱い視線を送り、隣の私には妬みが込められた視線が投げつけられる。
(覚悟はしていたけれど、やっぱり辛いものがあるわね)
今日がデビューなのに、既に散々に注目され噂されている。
隣のルーカスはと言うと、全く何も聞こえていないかのように相変わらず堂々としている。侯爵家の当主になるような人は、こんなことでは動じないらしい。私もしっかり前を向こう。
王族が会場に入場し、本日デビューする者の名が呼ばれる。音楽が流れ始め、ダンスが始まる。フィリップ王子もカトリーヌ王女も其々の婚約者と手を取り踊る。さすがの美しいダンスだ。あれを見ると自信が無くなる。そして緊張が襲ってくる。
「……大丈夫か?」
私の異変に気づいたルーカスが声を掛けてきた。
「緊張してきてしまって……」
喋りながら自身の心臓の音が煩くて、何て答えたのかも分からなくなる。
王族のダンスが終わり、ダンスをする時間が近くなりさらに緊張してくる。呼吸が上手く出来ない。
私がフィリップ王子の婚約者に選ばれなかったのは、フィリップ王子と現婚約者の公爵令嬢の仲が良かったからだけではなく、私のメンタルが弱いからだろう。王妃になるような人がこんな小さなことで緊張して顔色を悪くし、笑顔も忘れてしまうようではとてもではないが務まらない。
(緊張のせいか、マイナス思考になっているわね)
自嘲すれば少し呼吸も楽になった。
「マリア」
「……はいっ」
「いこうか」
「はい」
ルーカスに手を引かれ私達もダンスの中に入る。緊張のせいか体がフワフワして、感覚が無いような気がした。そしてパッと出した足でルーカスの足を踏んでしまった。
「ごめんなさっ……」
途中まで言って周りが気がついていないのに聞こえてしまったら恥になると思い、慌てて口を噤む。
「気にするな」
「…………」
誕生日パーティーでもこんな失態はしなかったのに、私は大舞台で失敗をしてしまうタイプなのだろう。
「マリア、顔を上げろ」
恐る恐る顔を上げる。
「周りの目なんか気にするな。せっかくのデビューの日だ。楽しんだら良い。俺の足くらいいくら踏んでも構わない」
ルーカスがうっすらとだけれど笑っていた。初めて見た。
お陰で別の意味で心臓がドキドキしてしまった。さっきまで緊張でドキドキしていたのに。
とても顔を見ていられなくなって、今日もルーカスの赤色の石のタイピンを見つめた。
「……ありがとうございます、ルーカス様」
頑張ろうとすると失敗しそうだったので、ルーカスにリードしてもらい合わせるように踊った。誕生日パーティーで一度踊っておいて良かった。
「……ルカでいい」
ダンスも終わりの頃、頭上から聞こえてきた声に驚いて足が止まりそうになる。
「え……」
「いや、何でもない」
そろりと顔を上げて見ると、視線は合わなかったけれど、ルーカスの顔が少し赤かった。よく見れば耳も。
ルーカスは優しさを見せるのが恥ずかしいと言うより、そもそも恥ずかしがり屋なのだろうか。いつも無表情で手紙も無いのは……
「ルカ……様?」
「……様も、いらない」
「ルカ」
名を呼んだタイミングでダンスの曲が終わる。離れてお辞儀をすると自然と手を差し出してくれ、ルーカスにエスコートされダンスの輪の中から出た。
"ルカ"と何年振りかに呼んだことで、当時の懐かしさや愛おしさが巡り、恥ずかしくなってしまった。彼の腕に触れている手が汗ばんでいるのは、ダンスを踊ったからだけではないだろう。
チラリとルーカスを見ると、耳がまだ少し赤い気がした。
どうして「ルカでいい」なんて言ってくれたのだろう。聞いても良いのだろうか。聞いたら答えてくれるだろうか。
「酷いダンスだったな。あれで王太子殿下の婚約者候補だったなんて信じられないな」
「王太子殿下に選ばれない訳だよな」
突然聞こえてきたのは嘲笑する会話。どう考えても私のことだろう。私にも周りにいる人にも聞こえるように言い、笑う。それにつられて同意するようにクスクスと周りも笑う。
ルーカスのことで頭がいっぱいになっていたのに、あっという間に現実に引き戻された気がした。居心地が悪く、気分も悪くなる。
(こんなのが婚約者だなんて、ルーカスに申し訳ないわ)
笑われ者の私の側にいるルーカスが気の毒でならない。ルーカスの腕に触れていた手を下ろして息を長く吸い、精一杯の作り笑顔をする。
「ルーカス様、ご挨拶回りがございますでしょう?私はここにおりますので構わず行って来てください」
デビューする私のエスコートをしてもうダンスも踊った。ルーカスの今日の役目はもう終わりなのだから、私から解放してあげたかった。
けれどルーカスはその場を去ることはせず、私の顔にスッと顔を近づけてきた。
「ルカだろ?」
耳元で私にだけ聞こえる小声で囁かれ、肩が上がるのが分かった。ルーカスの息が、舞踏会の為に髪を上げて露になっていた耳にかかった。悲鳴すら上げられないくらい驚き、初めて聞くような声音に心臓が跳ね上がった。
そんな私のことなどお構い無しに、顔を離すと肩を抱かれ引き寄せられた。
「貴方は確か伯爵子息だったな」
ルーカスがあろうことか私を嘲笑した者に話し掛けた。
「……ええ、ペリコール侯爵子息殿」
「王太子殿下の婚約者が決まった後に伯爵家がコルニー侯爵家に縁談の申し込みをして断られたと聞いているが?」
(えっ!?)
初耳だ。そんな馬鹿な。ルーカスとの婚約話以外、全く何もお父様からは聞いていないのに。
「そ、それは父が勝手にしたことだ。俺はそこの令嬢なんて願い下げだね」
「つまり君の父である伯爵は、彼女の素晴らしさや価値を十分に理解しているということかな。君と違ってね」
「なっ……」
「それからもう一人のお仲間の伯爵家は、彼女と同じ王太子殿下の婚約者であった公爵令嬢に縁談を申し込んでやっぱり断られたそうだね」
「どうしてそれを……!」
「婚約者候補に選ばれるだけでも誉れ高いことだ。家格や政治的優位性、令嬢自身の品位の高さ。様々なところから縁談の話が来る。貴殿方が断られるのも当然だ。縁談を断られたからと言ってその令嬢を笑い者にして仕返しでもしているつもりか?俺の婚約者を嘲笑うのであれば相応の覚悟をしてもらおうか」
ルーカスに肩を抱かれながら、何が起こっているのか理解が追い付かなかった。あんなにも無口なルーカスがペラペラと喋っていることにも驚くし、内容にも驚いた。私の価値……?
「いやー、いいね、ルーカス。婚約者の騎士、格好良いね!」
ニコニコとこの中に堂々と入ってきたのは、まさかのフィリップ王子だった。
慌ててその場にいる者達が頭を下げる。ルーカスだけポツリ「殿下……」と呟いていた。気のせいか少し嫌そうな声だった。
「マリア、久しいな。今日はデビューだったな。おめでとう」
「ありがとうございます、フィリップ王太子殿下」
お辞儀をしながら、あぁそうか、と思う。この場で一番にフィリップ王子に声を掛けられること、それこそ私の価値なのかもしれない。
「困っていることは無いか?君の為なら苦労を惜しまないよ。何でも言ってくれ」
フィリップ王子は妹のカトリーヌ王女と同じ年の私を婚約者候補になってからとても可愛がってくれた。それは今も変わらず、この場でもはっきりと態度に表してくださっている。
先程の伯爵子息達は息をひそめ完全に小さくなっている。私の一言を恐れているのだろう。
「お心遣いありがとうございます。困っているのは私自身の弱い心ですから己で向き合います」
「そうか。頼られないのも寂しいが、君にはルーカスがいるから大丈夫かな」
相変わらず綺麗な顔の王子様スマイルを向けられた。