靡かない婚約者4
「お誕生日おめでとうございます」
「ありがとうございます」
私の十六歳の誕生日祝いのパーティーが開かれた。けれど友人なんてカトリーヌ王女くらいしかいない私は、特に令嬢を招待しなかった。親族の他はルーカスとご両親と弟が来てくれたくらいで、ささやかなものだった。
ルーカスのご両親は幼い頃から何度か顔を合わせているので、婚約したからといって特に身構えて緊張してしまうことは無かった。それにお二人はとても親しげに話し掛けてくれ、有り難かった。
(ルーカスがこのお二人の子どもだなんて信じられないくらい)
ルーカスには弟がいる。男兄弟で娘がいないからか、ルーカスのお母様は私をとても可愛がってくれる。今日もとにかくやたらに褒めて褒めて褒めまくってくれた。
ルーカスはと言うと、初めにお祝いの言葉をくれたっきり、相変わらずの無表情と無言だ。いつの間にか姿が見えないと思ったら、弟と一緒に私の弟と男三人で親しげにしている姿を見つけた。
(あんな表情もするのね)
笑っているように見えた。私には見せない顔を弟には見せていた。弟に少しジェラシーを感じてしまう。
パーティーが進みダンスが始まる。親族でのダンスは好きだ。男女ペアを組んで踊らず、女同士皆で手を繋いで輪を作りキャーキャー言いながら踊るのだ。下手とか気にせず、年齢も気にせず、誰もが沢山笑って楽しく踊る。年頃の令嬢がはしたないとか言われたりもしない。
沢山踊ってうっすら汗も搔いて、疲れてドリンクで喉を潤す。
「マリア」
お母様に声を掛けられ振り向くと、とても不気味な笑顔をしていた。
「……どうされました?」
ニコッと笑顔がさらに深くなる。
「もうじきワルツになるわ。来月の舞踏会の為にもルーカスと踊りなさいね」
サーッと何かが体を駆け巡った気がした。
「……練習、と、言うことですか?」
「貴女の誕生日パーティーよ。婚約者と踊るのは普通でしょ?誘われたらちゃんと踊るのよ」
誘われるでしょうか?誘われない気もするけど。
いや、お母様のことだから根回し済みかもしれない。ルーカスへ誘いなさいと指令が下っている可能性がある。何故だかルーカスに申し訳ない気持ちになる。
「……髪の毛ぐちゃぐちゃになっていないでしょうか?」
散々に踊って髪もドレスも乱れているかもしれない。汗を搔くまで楽しんでしまったけど、臭わないだろうか。出来ることなら羽目を外すより先にワルツを踊りたかった。
「少し待ちなさい」
お母様が手で髪を整えて、ドレスもぐるりとチェックしてくれた。
「これで大丈夫よ!」
急にドキドキし出した。心の準備をしようとすると、余計にドキドキしてしまう。何だかんだダンスの練習は少ししか出来なかった。
誘われなければ良いのにと思いつつも、誘われなかったらそれはそれで悲しくなるだろうなとも思う。
心臓がドキドキするのと闘いながら待っていると、音楽が変わる。
(ルーカスはどこにいるのかしら?)
音楽が変わって、お父様もお母様の手を取っているし、他の人達もパートナーに声を掛けている。
(やっぱり、誘われないのかも……)
「マリア」
後ろから声を掛けられ振り返ると、ルーカスが立っていた。
「お相手をお願いします」
いざ誘われるとドキドキはさらに加速し、まともに顔が見られない。それでも応えなければと心の中で自分を叱責する。
「よ、喜んで……」
ルーカスに声が届いたかは定かではないけれど、恐る恐るルーカスが差し出した手に手を乗せる。手に触れるのは、侯爵領で馬車から降りる際にエスコートされた時以来だ。そして今日も手が震えてしまった。こんなに手を震わせているのに「喜んで」なんて、マニュアル通りの受け答えだと分かってしまったことだろう。
ルーカスに誘われて皆が踊る中に入る。
お互いに貴族でダンスは昔から習っているし、お互いに王族の婚約者候補だったのだから厳しく学んできた。けれど……何故だかお互いに下手だった。いや、多分私がもともと下手な上に緊張で動きが硬くなり、ルーカスに迷惑を掛けているのだと思う。私の動きに合わせられなくてルーカスまでも下手に見えてしまっているだけな気がする。
(申し訳ないわ……申し訳なさ過ぎるわ……)
自分が恥ずかしくてとてもルーカスの顔なんて見られず下を向いてしまう。
来月の舞踏会、皆の笑い者になってしまうかもしれない。それこそルーカスに迷惑を掛けてしまう。また胃が痛くなりそうだ。
「……私、下手で……申し訳ありません」
私に今出来るのは謝ることだけだ。
「……俺の方こそ、上手くリード出来ず、すまない」
意外にも優しい言葉が返ってきた。
「ルーカス様は何も悪くありません」
「…………」
言葉が返ってこなかった。会話出来るかと思って調子に乗ったかもしれない。下手なのに喋る余裕はあるのかと思われたかもしれない。
口を噤んでステップに集中することにした。
すると、頭の上から溜め息が聞こえ、びくっと肩を跳ねさせてしまった。
(あ、呆れられてる……?)
こんなので本当に王子の婚約者候補だったのかと思われても仕方がない失態だし、呆れられて当然だろう。
「……顔を、上げて。さっきのダンスはあんなにも楽しそうだった。俺とのダンスは楽しくないかもしれないが……上手く踊ろうとしなくていい」
思いがけない言葉にルーカスを見つめてしまった。固まったと言った方が正しいかもしれない。ルーカスは相変わらずの無表情だけど、怒ってはいなかった。私は頭がぽっかり空いた感覚で、ステップも頭から飛んでいった。お陰でルーカスに引っ張られるままに足が動いていたので、さっきよりかはマシなダンスになっていた。
ルーカスのタイピンが目に入った。赤色の石が嵌め込まれていた。
手紙に書かれていたことはおそらく本当のことだろう。手紙を書いたのが本人か別人かは分からないけれど。
彼の手元に目をやると、カフスも同じ赤色の石が嵌め込まれていた。
一度目を逸らすと再び目を合わせるのを恥ずかしく思い、とりあえずルーカスのタイピンを見つめることにした。綺麗な赤色。いつも贈ってくれる薔薇もこんな赤色だ。
(さっきは、彼なりの優しさなのだろうか)
上手く踊ろうとしなくていいと言われ、彼に体を預ければ不思議と緊張で固まっていた体も自然と動いた。
(すごく、分かりにくいけど……)
無表情だから言葉だけでは分かりにくい。無表情だからこそ言葉が冷たく感じる。でももともと優しい人だということはよく知っている。昔は笑顔も見せてくれていたし、優しくもしてもらったのだから。
この無表情の裏に隠されたものを感じ取れるようになれるだろうか。
◇◇◇
「久し振りね、マリア!」
嬉しそうな笑顔を見せてくれているのは、カトリーヌ王女。今日は王女に誘われ王城でのお茶会に来ていた。と言っても二人だけだけれど。
「お久し振りにございます」
「どうぞ、座って!二人だけだから堅苦しいのは無しよ」
「では、失礼します」
沢山の見た目にも美しく、また可愛らしいお菓子と、いかにも高級そうなティーセットに季節の花が飾られたテーブルに着席した。
王宮の侍女がお茶を注いでくれるとその場から離れる。それを待っていましたとばかりにカトリーヌ王女が前のめりで話し掛けてきた。
「で、どう?」
「何がですか?」
「ルーカスとの婚約よ!」
いきなりそれを聞いてくるんだ……。
しかし、私はカトリーヌ王女がルーカスのことを気に入っていると思っていたから、どう答えたものか考えてしまった。どんな答えを期待して聞いてきたのかが分からない。
「どう、とは?」
「んもう!仲良くやってる?」
仲が良いかと問われれば……どっちだろうか。
愛を伝え合うような間柄ではないけれど、喧嘩をしたりいがみ合ったりは無い。この間の誕生日パーティーでもダンスを踊ったし、相変わらず週一で薔薇の花は届くし、簡素な手紙でお礼はしている。
「仲良くかは……分かりませんが、政略的な婚約なら、まあ、普通でしょうか……」
そう。婚約者としての義務はお互いに果たしているといった感じなのだ。
「何それ……どういうこと?」
「カトリーヌ王女は婚約者のメディエール公爵子息様とは如何なのですか?」
「私のことはいいのよ!彼とは仲良くやってるから問題ないわ。それよりマリアよ!あなた達、政略婚なの?」
カトリーヌ王女は婚約者と仲良くやっているのか。さらっと流されたけれど……。問題がないなんて、なんて羨ましいことなのだ。
「"フィリップ王太子殿下の婚約者になれなかった憐れな令嬢"になってしまった私の為にお父様が思惑込みで決めた婚約だと思っています」
「その思惑とやらはコルニー侯爵に確認はしてないの?」
「親の言う通りにするのが貴族の娘ですから、婚約しろと言われれば何も言わずに受け入れるだけです」
「まあ、そうかもしれないけれど……マリアは我慢のし過ぎよ。だから急に寝込んだりしてしまうんじゃなくて?」
「寝込んでしまうのは私の心の弱さです。社交界に出たらもっと醜聞にさらされ、さらに体調が悪化するかもしれません。それをお父様が懸念してデビュー前に婚約を決めたのかな、と」
カトリーヌ王女がはぁと大きく溜め息をつく。教育係が見ていたら怒られそうだ。
「聡いのね、貴女は。聡すぎて誤解しているんだと思うわ」
「誤解、ですか?」
「話し合うことはとても大事よ!話し合うことから逃げないで」
「お父様と話し合えと言うことですか?」
「……そうね。まずはコルニー侯爵と話し合っても良いかもしれない」
何を話し合うんだろう……?
婚約について……だよね、きっと。
その後、カトリーヌ王女は「私のことはいいのよ!」と言っていたのに、結局婚約者の話を散々に聞かされた。驚くことにただの惚気話だった。
◇◇◇
「お父様、少しお話をするお時間を頂けないでしょうか」
「マリア?」
カトリーヌ王女に言われた通りにお父様と話し合う為に、お父様の執務室を訪れた。
「ああ、良いよ。もうじき手が空く。ソファに座って待ってて」
お父様の機嫌は良さそうだ。怒鳴られ怒られたりはしなさそうかなと思った。
お父様は本当に直ぐに仕事を終わらせて、お茶や菓子の用意までさせてから、私が座るソファの斜め向かいに座った。
「それで、話とは?」
「婚約のことですが、何故ペリコール侯爵子息との婚約に至ったのか、教えていただくことは出来ますか?」
目が合っている筈のお父様が驚きを通り越して固まってしまい、私を見ているように感じなかった。
「……出過ぎたことを聞いてしまいましたでしょうか。それならば大丈夫です。部屋を出て──」
「待て待て!」
腰を浮かし掛けた私を制して、ゴホンと咳払いをする。
「婚約の件は……言えなくてな。ただ、私はお前に幸せになって欲しいと思って決めた婚約だと言うことは信じて欲しい」
「……はい」
やっぱりお父様は、私が昔ルーカスのことを好きだったから喜ぶと思って決めたのかもしれない。
それに加え私には言えない事情もあるようだ。
「私はお前に悪いことをしたと思っている」
「悪いことを、ですか?」
「お前の意思を無視して力ずくで王子の婚約者候補にし、その後も言う通りにさせるためにお前に手を上げた。お陰でお前は従順な娘に育ったけれど、昔のような笑顔と希望も奪ってしまった」
「…………」
お父様がそんな風に思っていたとは全く知らなかった。
「従順になったのと引き換えに、主張を何もしなくなった。自分の好みを言うことも無くなった。私のせいだ。すまなかった」
「……いえ」
謝られるとは思わず、混乱してしまう。こんなことは初めてだ。
「お前の笑顔は可愛らしかった。ルーカスと一緒になれば幸せにして貰え、それにまたあの笑顔が戻るかと思ったが、そう簡単なことではないみたいだな」
可愛らしかったと言われ恥ずかしくなる。確かに昔は心から笑っていた。今は、作り物の笑顔で、歯を見せないように扇で口元を隠している。そう妃教育で習ったから。
「お前には幸せになってもらいたい。夫になる相手に自分を殺す必要はない。遠慮もしなくて良い。主張したいことがあればすれば良い」
「……そんなことをしたら嫁いだ家を追い出されませんか?」
「追い出すような家なら戻ってきたら良い。ここはお前の生家だ。いつでも受け入れてやる。幸い領地は隣同士だからな、直ぐに帰ってこられるな」
私の中のお父様は、一度嫁いだのなら戻ってくるなと言うタイプだった。でも目の前のお父様は笑顔で反対のことを言っている。お父様の優しさを初めて知り、嬉しいような恥ずかしいような気持ちになる。
私は色々なことを思い込みで処理していたのかもしれない。
カトリーヌ王女の言う通り、きっと誤解していることが多いのかもしれないなと思った。
「今日の菓子はクッキーか」
お父様が執事が持ってきてくれた紅茶を飲みながらポツリと言う。
「お前は食べないのか?」
「……頂きます」
真面目な話をしていたから手をつけずにいたけれど、どうやら話も落ち着いたようだしお父様に促されたことだし、一つつまみ上げ口に入れた。サクッとしてバターの香りがする美味しいクッキーだった。
「昔、マリアはクッキーが好きだって言ってたよな」
「……そうでしたか?」
ゴクリと飲み込んで、そうだったかなぁと考えた。
いつの間にか好きな食べ物も嫌いな食べ物も何も無くなり、何でも食べられるになった。お父様の言う通り、好みを言わなくなったかもしれない。言わなくなったというより、無くなったんだろう。昔自分が好きだったものが分からなくなるくらい。
それは、諦めていたということなのかもしれない。