靡かない婚約者2
驚いて口から出てしまったことに、しまった、と思った。
「失礼いたしました!ペリコール侯爵子息ルーカス様」
慌てて礼をした。
「頭を上げろ」
言われた通りに頭を上げると、ルーカスの眉間にシワが寄っていた。
(怒ってる……?思わず名を呼んでしまったからな……)
私としたことが失敗した。暫く気が抜けた生活をしていたからかもしれない。もうじき王都へ行くし引き締め直さないといけない。
しかし何でここにいるのだろう。ペリコール侯爵領は隣ではあるが、この湖は少し離れている。間違えて入ってきてしまったとは考えにくい。
「迎えに来た。馬に乗れ」
そう言って手を差し出してきた。
(迎えに!?それに、乗れって……)
急いでいるのだろうか。何かあったのか。
しかし婚約者でもない男性の手を取ることは問題無いだろうか。それに馬に乗ったら密着してしまうだろうし、それは良いのかと躊躇い、黙ってしまった。それにルーカスはカトリーヌ王女の婚約者候補だ。どこからどんな噂が立ってしまうか分からない。大したこと無いだろうと思ってした行動が大事になることもあると、妃教育で散々に教え込まれた。妃の恥は王の恥になると。何事も注意を払い、考え得る可能性を考慮して行動せよ、と。
「ルーカス様のご厚意に対し失礼を承知で申し上げますが、異性の手を取るのは憚られます。どうかご容赦くださいませ」
ルーカスは差し出した手をグッと握ってから引っ込めた。
「……君の父上が待っている」
(お父様が?こちらに戻ってきた?事前に何も知らせを受けていないが……館に私がいなくて怒っているかもしれない……)
一気に憂鬱になるが、とりあえず急いで戻るのが良いだろう。
「馬車で直ぐに向かいます」
「…………」
ルーカスの眉間のシワが一層深くなったかもしれないが、今は急ぎ帰るのが良いだろうと従者に指示をして馬車に乗り込み湖を離れた。
ルーカスは馬車の隣を馬で並走している。馬車の窓からこっそりと覗き見る。およそ一年振りに見たルーカスは一段と格好良かった。また背が伸びたのか、大きく感じた。冬が来たら十八歳になる筈。
ルーカスが侯爵領に何故いるのかが全く分からない。
(カトリーヌ王女の伝者とか?)
でもお父様が待っていると言っていた。ということは一緒にこちらに来た可能性がある。
(隣接する侯爵領同士で何か取引があるのかしら?)
昔から両家の仲は比較的良好だ。争い事もない。だから幼い頃はルーカスが頻繁にうちに遊びに来てくれ、その事についてとやかく言われたことも無かった。
馬車の中いろいろ考えてみるが全て推測でしかない。まあ、領館に着いてお父様に会えば何かしら伝えられるだろう。面倒事でなければいいのに、と願うしかない。
領館に到着し、馬車の扉が開けられ出ようとした時、差し出された手に手を乗せようとしてそこに立っている人に気がついて、一瞬手をびくりと止めてしまった。ルーカスが手を差し出していたのだ。
(えっ……!)
どうしようと思ったけれど、この程度のエスコートなら普通だし、と自分に言い聞かせてそっと手を乗せた。緊張で手が震えてしまったけれど、気づかれてしまっただろうか。
「…………」
ルーカスは特に何も言わなかった。フィリップ王子にエスコートされるときは「気をつけて」とか気遣う言葉を言ってくれていたけれど、それも無かった。でもカトリーヌ王女にはきっと声を掛けるのだろう。私だから何も無いのだろうなと思った。
馬車から降りると直ぐに手を離され、背を向けてさっさと館に向かってしまった。
(紳士としての義務か……)
寂しい気持ちになり下を向いてしまう。
(当たり前なのに、私は何を期待しているの)
感情が出ないようにとキュッと口を引き結ぶ。そしてルーカスに遅れて私も館に向かった。
館に入ると執務室でお父様が待っていると伝えられ、直ぐに向かった。侍女に着替えを勧められたが、さらに待たせると機嫌が余計に悪くなるかもしれないので断った。お父様の機嫌が悪いと誰かに伝えられた訳でもないのにそう思ってしまうなんて、私の中のお父様ってそういう存在なんだな、と俯瞰してしまった。
執務室の扉は開け放たれており、中にはお父様とルーカスがいた。
「マリア、来たか」
「遅くなり申し訳ございません、お父様」
「いい。中に入りなさい」
怒ってはいないようでほっとした。久し振りに会うのに挨拶もせず、謝罪で頭を下げただけで促される。どこか急いているような雰囲気を感じる。
ルーカスがソファに座らずにお父様の執務机の前に立っているので、私も机の側に立った。
「マリア」
「はい」
「縁談だ。ルーカスとの婚約が決まった」
………
………
(えっ……!?)
そんな馬鹿な!あり得ない!
夢?冗談?聞き間違え?
何も言葉が出てこなかった。絶句だ。
お陰で執務室に静寂が訪れた。時計の針がカチコチ鳴る音だけ妙に大きく聞こえた。
「何だ?嬉しくないのか?お前昔はルーカスと結婚すると約束していたんだろう?」
……今さら!?
お父様に言われて聞き間違えや冗談では無いとは分かった。前で重ねている手をこっそりつねって痛みを感じ、夢でも無いと分かった。
痛みのお陰で少し冷静になれた。
「……お父様、宜しいでしょうか」
「何だ?」
「ルーカス様はカトリーヌ王女の婚約者候補ではございませんか」
「カトリーヌ王女の婚約者なら決まったぞ。メディエール公爵子息だ」
(知らなかった……!カトリーヌ王女は何も言ってなかったしそんな素振りもなかったのに……)
「正式には本日公表された筈だ。明日の新聞に載るだろうな。だからルーカスとの婚約は何も問題ない」
お父様が珍しくご機嫌な笑顔を浮かべている。
馬鹿な話でも、あり得ない話でも、夢でも冗談でも聞き間違えでも無いらしい。
「……分かりました」
親の決めたことに逆らえる筈もない。それは散々に思い知った。だから承ける返事と共に頭を下げた。
けれど頭を下げながら不安になる。
確かに幼い頃結婚の約束をした相手だし、恋い焦がれてきた人だ。けれど、今頭を下げている私の隣にいるルーカスは、何も言葉を発していない。湖で会った時からずっと不機嫌そうな顔をしているのだ。
私との婚約が不本意だったのだろうか。
カトリーヌ王女の婚約者に選ばれず、同じく王族の婚約者に選ばれなかった私との婚約を外れクジと思っているのかもしれない。
父が私が喜ぶと思って無理矢理この婚約を決めてしまったのかもしれない。
そんな人とどうやってこの先向き合っていけば良いのか。
◇◇◇
「マリアお嬢様、本日またお花が届きました」
週に一度、花が届けられるのが習慣になった。
「ありがとう」
婚約を伝えられた日から三週間が経った。あの日からきっちり一週間おきにルーカスから花が届くようになった。いつも花だけで、メッセージカードや手紙は付いていない。それはまるで婚約者への義務といった感じ。
(無理して贈らなくても良いのに……)
私の部屋に飾られたその花を見て小さく溜め息をつく。初恋の人から贈られる花に本来なら喜ぶところだろうが、それよりも申し訳なさが勝る。
(また、お礼の手紙を出さないと……)
花を受け取ってそのままと言う訳にはいかない。マナーとしてお礼はしなければと思い手紙を出してはいるが、こんな風に毎週花が届くとは一番初めの時は思いも寄らず、手紙に載せる話題も何も思い付かない。せめてメッセージカードや手紙が一緒に届いていれば返事も書きやすいのに、書き初めの挨拶とお礼を書いたらもうペンが止まってしまう。
(私の手紙なんてもらっても嬉しくないかな。それどころか読まれてもないんじゃ……)
一生懸命話題を探すのも無駄かもしれない。ルーカスから返事が貰えるように疑問形の手紙にでもしようか。でももしそれで何も返事が来なかったらと思うと、ただただ恥ずかしいだろうなと思う。花を贈られたからと言って愛がある訳ではないと直接言われてしまったら……。
来週になれば私も王都に行くことになっている。ルーカスはあの日から直ぐに王都に戻ったらしい。私も王都に行けばこの花の贈り物もきっと無くなるだろう。
手紙は当たり障り無く体を気遣う言葉で締めた。
(一番初めの手紙に比べたらかなりの短文だわ)
初めは嬉しい気持ちが強かったのもありいろいろ書いてしまった。だって薔薇の花だったのだから。それでも調子づくのは良くないと書いては直しを繰り返して、かなり時間を掛けて手紙を書いた。けれど翌週も同じようにメッセージカードも手紙も何もなく同じ薔薇だけが届いた。それで義務的に贈ってくれているのだと悟った。その結果、お礼の手紙も義務的に返した。内容が半分なら掛かった時間は半分以下だ。
手紙を出すようお願いをして、王都に行く準備を少しずつ進めておかなければと思う。
デビュタント・ボールはルーカスがエスコートをしてくれるらしい。嬉しいような、気まずいような。それにルーカスとファーストダンスを踊らなくてはならない。侯爵領に来てから全く踊っていなかった。もともとダンスは苦手だった。でも妃教育で散々に練習をさせられた。他の婚約者候補よりも下手だったから、誰よりも多く練習日を設けられた。
(ちゃんと踊れるかな。また練習しておかないと)
王都に行くことに対して気が重くて仕方がない。
ダンスの練習も嫌だし、デビューの日も自信がない。何よりルーカスとどんな顔をして会えば良いのかが分からない。
婚約者となったのだから歩み寄る努力をすべきなのかもしれないが、どうしたら良いのだろう。
頑張って話し掛ければいい?うるさい女と思われないだろうか。
彼の隣で微笑んでいればいい?喋らない女はつまらないと思われないだろうか。
それに笑ったところで可愛くもないのにと思われそう。美しく気品のあるカトリーヌ王女の側にいた人だ。何一つ彼女に優る部分なんて私には無いのだ。
溜め息ばかりで今日も準備が進まない。
王都に行くのが憂鬱で仕方がなかった。