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靡かない婚約者  作者: 知香
1/6

靡かない婚約者1

それは六歳の頃の記憶。


「マリア、大好きだ」


「私もルカが大好きよ」


「大きくなったら結婚しようね」


「マリア、ルカのお嫁さんになりたい」


「約束だよ?」


大好きだった幼馴染みと交わした約束は、コルニー侯爵領にある領館の広い庭園の薔薇に囲まれた四阿の中で。隣のペリコール侯爵領の嫡男であったルーカスは二歳上で毎日のように遊びに来てくれ、回数は覚えられない程何度も同じ約束を交わした。

花の香りがする優しい空間で二人で過ごした思い出は甘く淡く儚かった。


幼い子どもの口約束。それを貴族の親が一緒に守ってくれる訳もなく、一年後に私は王太子殿下の婚約者候補に選ばれてしまい、王太子妃教育を受けることになった。

嫌だと反抗しても幼い子どもに選択権など無く、お父様に頬を叩かれ貴族の娘であるということを散々に思い知らされた。

王太子様の婚約者候補になってからルーカスと会うことを禁止され、彼に何も言えないまま王太子妃教育を受ける為に王都へと移された。


王太子であるフィリップ王子に初めてご挨拶し、顔を上げてその姿を見た時、綺麗な人だと思った。ルーカスと同じ二歳上。私はこの方の妃を目指し勉強をするのか、と。

しかし婚約者候補は私の他にも二名いた。二人とも公爵令嬢でフィリップ王子と同じ年。私が婚約者候補に選ばれたのは政治の派閥が関係していた。

数年すれば婚約者候補の三名の中から正式な婚約者が選ばれる。私が選ばれなければまたルーカスとも会えるのではないかと思い、それまでじっと耐えることにした。

だが妃教育は大変だった。年上の同じ婚約者候補の公爵令嬢二人と比べられるのも辛かった。けれど別に王太子妃になりたい訳じゃないから、ただルーカスに会える日まで堪えればいいだけ。そう考え、怒られても注意されても何を言われても、涙を堪えて我慢した。


辛い王都での生活の中で唯一の救いが、王太子様の妹君のカトリーヌ王女と友人になれたことだった。カトリーヌ王女は私と同じ年でとても気が合い、王太子妃教育で王城を訪れ授業が終わるとフィリップ王子とお茶会をするよりも、カトリーヌ王女とばかり約束をして遊んでいた。カトリーヌ王女も王女としての厳しい教育を受けていたから、お互いに理解し合える部分が多かったのもある。



そんな日々を過ごして二年が経った九歳の頃、王都の邸で朝食を取っていた時にお父様に突然聞かされた話に手にしていたティーカップを落として割ってしまった。


ルーカスがカトリーヌ王女の婚約者候補に選ばれた、と。


頭が混乱してしまい、ただ二人が手を取り合っている姿が脳裏に浮かんだ。涙がポロポロと落ちて両手で顔を覆うと、お父様に「王太子殿下の婚約者候補である侯爵令嬢が涙を見せるな!」と叱責され、堪らず立ち上がりその場を去ろうとした。その時に自分が落としたティーカップが割れた破片を踏んでしまい、足裏に痛みが走った。室内用の靴底の薄い履物だった為、破片で怪我をしてしまった。けれどお父様のいる食堂から逃げたくて、今は一人になりたくて、フラフラしながら食堂を出ようとした。それを見た使用人が慌てて私を抱き上げ、手当てをする準備を指示しながら自室へ連れていってくれた。


それから怪我の痛みが消えるまで妃教育を休んだ。


ルーカスに会える日を楽しみにし、カトリーヌ王女と励まし合う日々は私の心の支えだったのに、一気に両方を奪われたような感じだった。

休んでいる間、ただ寝台の上で泣くことしか出来なかった。



足の痛みが無くなり妃教育で王城へと赴いた時、間が悪いことにカトリーヌ王女の手を取りエスコートしているルーカスを見掛けた。二年振りに見たルーカスは背が伸び格好良かったけれど、寄り添う二人を見るのは胸が締め付けられた。

私はこれからこうやって二人が並んでいる姿を嫌でも王城で見掛けることになるのかと思うと、逃げ出したい気持ちになった。

でも逃げ出してどうする?コルニー侯爵領に戻っても、もうルーカスはいないのだ。王都の邸にはお父様がいて無理矢理に王城へ連れられるだけだ。私に逃げ場なんて無く、親の決めた道を進むしか選択肢が無いのだ。


それからはまるで人形のように感情を持たずに生活した。王城へ妃教育を受けに行き、淡々と勉強をし、たまに茶会に参加し、休みの日は自室に籠って本を読み刺繍をする日々だった。お父様が求める侯爵令嬢らしい生活だ。私の意思は何もない、ただの人形。



それから五年が経ち、私は十四歳になった。フィリップ王子の十六歳の誕生日が過ぎ、正式に婚約者が発表された。私は選ばれなかった。


婚約者が決まり私の王太子妃教育も必要なくなった。私は妃教育の為に王城に行かなくてもよくなった。寧ろもう来るなと言う方が正しいかもしれない。私は用無しになったのだ。これまで一生懸命学んできたことは全て無駄になったのだ。


でも王城に行ってルーカスとカトリーヌ王女が一緒にいる姿を見なくてもよくなったのは有り難かった。

ルーカスは剣術で名を上げ、体も大きくなり、多くの令嬢から羨望の眼差しで見られていた。美しいカトリーヌ王女とその側にいるルーカスは、誰が見てもお似合いだった。


感情を持ってはいけないと自分を律してきた緊張の糸が切れたのか、暫く体調を崩し寝込んでしまった。高熱が出て意識が朦朧とする中、昔のルーカスとの約束を思い出し、コルニー侯爵領に帰ってあの庭園に行きたいと思った。お見舞いとしてカトリーヌ王女が贈ってくださった薔薇の花束が部屋に飾られていたので、その香りで記憶を呼び起こされたのかもしれない。庭園の四阿の周りに咲き誇っていた薔薇と同じ香り。


熱は下がったけれど体調はなかなか良くならず、お父様に侯爵領で静養したいと伝えると、意外にも反対されず了承して貰えた。お父様にとっても私はもう用無しなのだろう。時期をみて家の為の結婚をさせられるだろうが、嫁ぐにしても体が弱ければ後継ぎを産めないのではと警戒され、縁談が決まらなくなる。体調を戻すことを一番に優先させられたのではとも思った。


そして私は七年振りにコルニー侯爵領に戻った。


七年振りに庭園の四阿へ行き、ルーカスと二人並んで座ったベンチに腰掛ける。四阿の周りの花は変わらず綺麗に手入れされていたけれど、薔薇はもう散ってしまい葉だけ繁っていた。

あの頃はベンチに腰掛けると足がつかなかったのに、今は踵までしっかりとついた。

二人並んで座れたベンチは、私が一人で座っても広さを感じなかった。

手を伸ばしてもベンチの上に立っても天井に手が届かず広い天井空間だったのが、少し背伸びすれば手が届いた。


思い出の場所なのに、思い出とは変わってしまっていた。変わったのは私だけれど。





一年後────



馬車に乗って湖に来ていた。私のお気に入りの場所。初秋の今は木苺の実があちこちに成っていて、それを摘まんで食べるのが好きだ。夏は湖に足を浸けて涼んだ。とても気持ちが良かった。春には花がたくさん咲くので花冠を作って、帰りに近くの町に寄って子ども達に配った。


お父様は夏の避暑の時期も侯爵領に戻って来ず、お母様も三歳下の弟も一緒にずっと王都にいたので、自由気ままに羽を伸ばしていた。


けれどそれもあと二ヶ月。二ヶ月後には十六歳になる。女性は十六歳で社交デビューする。三ヶ月後の舞踏会がデビュタント・ボールだ。


ごろりと寝転がる。目の前に広がる空は広く大きい。この空の下にずっといられたら良いのに。

王都にいた頃は空なんて眺めなかった。日に焼けないように屋内にずっといた。今も一応は長袖を着て帽子を被ってはいるが。

笑いたくもないのに社交的な笑顔を貼り付けて、そんなこと思ってもいないのに相手を喜ばす言葉を吐いて、踊りたくもないのにダンスをして……

そんな日々がまたやってくる。


憂鬱だ。


それに"王太子の婚約者に選ばれなかった令嬢"が付きまとうのだ。妃教育を受けたのだから完璧な淑女と評価もされるが、体調を崩し領地に閉じ籠ったことで王太子への恋慕が叶わなかった令嬢と噂をされているようなのだ。心外だ。


(そもそも、フィリップ王子と婚約者の公爵令嬢は昔から想い合っていたのに。それなのにわざわざ他に婚約者候補を二人も立てるんだもの。選ばれないことを分かってて妃教育を受けなくてはならなかったのよ!)


本当に何の為の七年間だったのか。

王都にいて得たものは教養とカトリーヌ王女との友情くらいだ。他に友人と呼べる者は一人もいない。


カトリーヌ王女とは気まずい気持ちを抱えてはいたが、王女に対してそれを見せる訳にもいかず、平静を装って接した。カトリーヌ王女は私の恋心を知らないので、お茶会の際よく婚約者候補のルーカスの話を私にした。他にも婚約者候補はいるのに、他の人の話をあまり聞いたことが無かったから、カトリーヌ王女はルーカスのことが好きなのだと思った。


ルーカスはフィリップ王子と同じ年ということもあり、王子とも仲が良かった。月に一度は王子とお茶会をして親睦を深めるのも婚約者候補の努めであったので、王子といるところにルーカスが現れることもあった。


ルーカスと会っても昔のように気安く会話など出来ない。私は王子の婚約者候補であり、ルーカスは王女の婚約者候補だ。いつも挨拶をするだけだった。そしていつも冷たい目をしていた。昔のような笑顔は一度も見たことがない。それどころか、挨拶が終わればすぐに目を逸らされた。親しくしてはいけない間柄になってしまったのだから仕方ないと思いつつ、それだけではなく嫌われているかのような冷たさを感じ、会う度に気持ちが沈んでしまっていた。


(カトリーヌ王女は誰と婚約するのかしら。やっぱりルーカスかな……)


先日カトリーヌ王女の十六歳の誕生日だった。侯爵領に帰ってもカトリーヌ王女との友人関係は継続し、時々手紙のやり取りをしていたので、誕生日にあわせてプレゼントも贈った。


カトリーヌ王女がルーカスと婚約したら、私はカトリーヌ王女に笑顔でお祝いを言えるのだろうか。


(いつまでも昔を引きずって……私は惨めな女ね)


お父様にお願いして、私もさっさと婚約してしまえばいい。



鳥の鳴き声や木が風で揺れる音ぐらいしか聞こえない静かで穏やかな湖に、突然馬の駆ける音が聞こえてきた。


(何かしら……?)


私に付いてきていた従者が警戒して私の側に来た。


「馬車の陰に──」


従者が言い終わらない内に凄いスピードで馬が湖の周りの林を抜けてきた。そして私の目の前に現れ、急停止する。


大きな体躯に、少し癖のあるダークブラウンの髪、腰には剣を帯び、冷たい目を私に向ける。


「ルー……カス……」


思わず名を呟いてしまった。




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