第二話 犬神
「さぁ、入って入ってー」
「ただいま」
「おじゃま……します……っ」
まじないが成立した状態で家に帰るのは危険。ということで、俺と宮本は師匠の家に泊まることにした。ちなみに俺がただいまと言ったのはよくここに来ているのと、ちょっとした見栄である。
「ご家族の方に……挨拶を……っ」
興奮収まらず俺の腕に絡みついている宮本が必死にマナーを守ろうとする。だがその必要はない。
「ああ、うちの家族みんな死んでるんだよね」
「そう……でしたか……すみません……」
宮本は謝罪したが、これを予期しろと言うのも無理な話。師匠の家は綺麗なマンションの一室にあり、とても女子高生が一人暮らししているとは思えないからだ。だから仕方ないとはいえ、よくない話題を上げてしまった。なぜなら師匠は家族の話になった時、決まってこの話をする。
「謝らないで。あたしの家族はあたしが殺したんだから」
あまりにも平然とそう言い放った師匠に、宮本の抱きしめる力が強くなる。その怯えた姿を見た師匠はうれしそうな顔をして笑った。
「でも法的にはあたしが殺したってことにはなってない。つまり、呪い殺したんだよ」
「そ……んなはずは……」
「うん。これはあたしが思ってるだけかもね。あたしの両親はさ、あたしに暴力を振るってたんだよ。でも2人とも教師で人格者だと知られてたから、あたしがいくら訴えてもまともに取り合ってくれなかった。そこで手を出したのが、呪い。始めてから1ヶ月後。2人とも事故で死んだよ。だからあたしのせいじゃないかもしれないけど……あたしは呪いのおかげだって信じてる。それがあたしのオカルト道の始まりさ」
「…………」
革製のブーツを脱ぎ、リビングへと続く廊下を歩きながら普通に語る師匠に宮本は何も言うことができない。俺も初めて聞いた時は同じ反応だった気がする。境遇的に責めることはできないが、何か言わずにはいられない。それでも適した言葉は見つからず、黙ってしまう。あんな体験初めてだった。
「じゃあちょっと待っててね」
師匠が俺たちをリビングに置き、自室に向かう。宮本と二人きり以上に、このリビングが苦手だ。広いだけの真っ白な部屋。テーブルや椅子、ソファーにテレビ。華美なインテリアなどはなく、生活感を感じさせないお手本のような一室。まるで時間が止まったかのようで、師匠にとっては実際そうなのだろう。
「すいません……少しいいですか……」
三人掛けのソファーに腰かけていると、隣の宮本がそう言って俺にもたれかかってくる。まじないの影響で顔は紅潮し、息は常に荒い。とろんとした瞳で俺の胸に顔をうずめてくる。
「ふー……っ、ぅ……あぁ……ふーっ、ふーっ……」
やがて俺に抱きついていた「それ」は、自身の胸のことなど一切気にも留めず、匂いをつけるように身体を擦りつけてくる。
「あぁ……っ、ぅあぁ……っ」
「ちょっ……みやも……っ」
やがて彼女は普通の女子高生とは思えない力で俺をうつ伏せにすると、その上に乗ってきた。
「あぁっ、はぁっ、うぁっ、ふぁっ、へぁっ」
そしてまるでマウンティングのような行動を取る宮本。そう。まるで犬のように。
「師匠っっっ!」
「はは、想像通りすぎる。最悪だね」
思わず助けを求めると、変わらず制服姿の師匠がリビングに入ってきた。そして手に持った黒いベルトのようなものを、宮本の首に装着した。
「空、命令」
「ま、まて!」
師匠の言う通りに命令を出すと、せわしなく振動していた宮本の身体が俺とソファーから落ちる。
「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ」
ようやく見えた宮本の姿は本物の犬のように。女の子座りで腕を前に置き、舌を垂らして激しく息を吐いていた。口からはとめどなく唾液が垂れ、白いカーペットを汚していた。
「はい、起きて」
「……はっ、私は何を……!?」
そんな宮本の頭を師匠が揺らすと、狂気に染まっていた宮本の瞳が元のものに戻った。だが体勢は犬のおすわりから戻らない。
「簡単に言うとさ、君は犬に憑かれてるんだよ。だからチョーカーを嵌めることで首輪の代わりにした」
「犬って……そんなわけがぁ……!?」
続いて師匠は。宮本の後ろに回って制服を脱がし始めた。
「何をしてるんですかぁっ!?」
「イメージの話だよ。犬には首輪をつけることで。君にはメイド服を着させることで、服従のイメージを植えつける。気休め以上の効果があると思うよ」
師匠が持ち込んだ手提げ袋の中からは去年の文化祭で着たメイド服がはみ出ている。そして清廉なイメージとは正反対の黒い下着が露わになり始めた。
「空、目離しちゃ駄目だよ。宮本さんもね。お互いがなるべくイメージするんだよ。主従関係があるってね」
「いや……みないでぇ……っ」
そして正反対なお願いを受けるが、どちらを選ぶかといえば完全に師匠だ。いや決して下着が見たいからではなく。この非日常な状況で唯一頼りになる師匠の言葉に反するなんてありえない。
「もう……やだぁ……っ。ちゃんと……説明してください……!」
「説明、ね。じゃあ聞いてもらおうかな。空の実家、大空神社のことを」
そして師匠は語り出す。去年俺と2人で調べ上げた、俺の家の過去のことを。
「大空神社は犬神を祀っている。ああ犬神と言っても呪術的なやつじゃなくて、文字通りの犬の神様ね。そして遥か昔、天明の時代。この地だけじゃないけど、飢饉が襲った。いわゆる天明の大飢饉ってやつだ。それを神のせいだと思った人々は、神様に生贄を捧げようとした。ソラ、という女の子だったそうだ」
俺と同年代の同じ名を持つ女性が、人々に殺されそうになった。
「だが彼女は逃げ出した。彼女には別の村に恋人がいたらしい。最後に彼に一目会うためにね。だがそれを逃走だと思った村人は犬を放ち、捕まえた。そしてボロボロになった状態のソラは、今の大空神社に放置された。彼女は長い苦しみを経て、衰弱死したそうだ」
制服を脱がされているのにも関わらず、宮本はそれには反応を見せず、ただ師匠の話を聞いている。
「それから一時的に飢饉は収まったが、再び飢饉が起こる。天保の大飢饉ってやつだ。歴史を知っている私たちからすれば、それは意味のないことだけれど。当時の人々はソラの怒りだと思い、収めようとした。彼女を苦しめる犬の名前を消し、彼女を神様にして。『大空』神社は生まれた」
結局は歴史の一ページ。その行為に意味がないことを、俺たちは知っている。つまりはオカルトだ。でもそのオカルトが、現在にまで影響を与えている。
「そして大空神社の管理を司る一族の長男を、ソラの恋人の役割にすることにした。ソラと同名にし、結びつけることによって。それが空の名前の由来。つまりはさ、空は神様に魅入られてるんだ」
そう。俺は時々。師匠は常に。巫女服を着た少女の神様の姿が見えている。
「それ以来長男は結婚を認められていない。神様の夫だからね。それを不思議に思ったところが私と空の出遭いだけど……これは関係のない話だ。大事なのは、神様の夫と縁を結ぼうとした女性がいるということ」
やはりあのまじないはするべきではなかった。あの程度なら大丈夫だと思った俺が間違えていた。
「名前のおかげで犬を操ることができるようになったソラは、君に犬をけしかけた。それがこのまじないの、結果だ」
ようするに宮本には今、犬の神様「だった」ものが憑いている、というのが師匠の考え。かつて神だった存在が堕ち、犬に成り下がった存在。そう。ただの犬だ。
「じゃあさっそく、躾をしようか」
ちょっとホラーになりすぎましたかね? 基準がよくわからないです。あんまりホラーに寄りすぎないようにするので、これからも応援よろしくお願いします!




