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“アリウステラ”の物語

だってそういうことでしょう?

作者: 杜野秋人



「そなたとの婚約、今日ここで破棄させてもらう!」


 夜会の会場に現れた婚約者様は、わたくしに指を突き付けて声高らかにそう宣言なさいました。

 その大きなお声に、周囲の参加者の皆様が一斉に好奇の視線を向けてくるのが分かります。


「えっ?」


 突然のことに、思わず我ながら間抜けな声が喉をついて出ました。貴族令嬢として日頃から鍛えた笑みを顔に貼り付けることも、つい忘れてしまいましたわ。


「そなたがこれほど性根の卑しい女だとは思わなかった。これ以上私の婚約者としておくことは出来ない!ゆえに今日この場をもってそなたとの婚約を破棄する!」


 驚き固まるわたくしを尻目に、婚約者様は同じことを二度仰いました。

 何故二度繰り返したのでしょう。大事なことだからかしら?


 というか、このことは両家の方々は了承されていらっしゃるのかしら?少なくともわたくしは寝耳に水なんですけれど。


「あの、一体何を⸺」

「言い訳など浅ましいぞ!」


 いえまだ何も言ってませんけれど。

 むしろ詳しい説明を求めたいのですけれどね?


「はっ。どうせ人品卑しい小心者のそなたのことだから、我が家とそなたの家の了承が、などと卑小なことを考えているのだろう?」


 なぜかさり気なく罵倒が含まれているように感じるのですけれど。

 もしかして、以前からそのようにお考えだったのかしら?


「だが残念だったな!」


 婚約者様、いえ婚約を破棄したつもりになっている自称元婚約者様(・・・・・・・)は勝ち誇ったようなお顔で胸を張られます。

 ええと、なんでしたっけ。………ドヤ顔?確か庶民たちの間ではそう呼ぶのですわよね、こういうお顔のことを。

 話に聞く限りですけれど、きっとそうなのでしょう。わたくし初めて拝見しましたわ。


「私は新たに婚約を結ぶから心配ない!」


 そう高らかに宣言してもう一度胸を張る自称元婚約者様。

 その横に進み出てきたひとりの令嬢を見て、またしても唖然としてしまいました。さきほどよりも酷く、思わずポカンと口を開けてしまうほど。


「私は彼女と新たに婚約するから何も心配いらぬ!残念だったな!」


 彼の横に立ったのは、わたくしの妹だったのです。

 2つ下の、まだ成人の儀も済ませていない妹が、彼の隣でやはり勝ち誇ったようにニヤリと笑います。


 あらやだ、おふたりのお顔、ソックリじゃあありませんか。意外とお似合いなのかも?


「残念でしたわねお姉様。彼はお姉様よりわたくしをお選びになられたのよ!」


 そうなんですのね。

 確かにわたくしに会いに邸を訪れる際、よく妹とも話してらっしゃいましたっけね、そう言えば。


 ………あら?じゃあ、ということは。


「私は彼女と婚約して伯爵家を盛り立てていく!だからそなたは伯爵家に居場所などない!どこへなりとも出ていくが⸺」

「まあ!」


 つい興奮して、彼の言葉に言葉を被せてしまいましたわ。おまけに思わず手まで叩いてしまって。我ながらはしたない振る舞いだとすぐに気付いたけれど、もう遅くて。

 でもそんな事より、今仰ったことが本当なら。


「え、」

「では貴方は、わたくしの“義弟(おとうと)”になるということなのですね!」


「「………………え?」」


 わたくしの言葉に、呆気に取られたように同時に呟く彼と妹。

 え、そんなに驚くような事かしら?だってそういうことでしょう?


「違いますの?」

「い、いや、言われてみればそうだが………」

「では合ってますわよね?」

「う………」


「あら?でもそうしたら、貴方は『人品卑しい小心者』の『性根の卑しい女』の『義弟』になる、ということになりますわね?」

「う……あ、いや………」

「だってそういうことでしょう?間違っておりませんわよね?」

「そ………そうなるのか………」


 そうなりますわよ。わたくしとその子は血を分けた姉妹ですもの。


「ちょっと!お姉様と一緒にしないで!」

「しないでも何も、血を分けた姉妹という事実は変えられないでしょう?」

「そ、そうだけど……!」

「あっ、ということは、お父様はその『人品卑しい小心者で性根の卑しい女』の『父』ということになってしまいますわ」


「「……………えっ!?」」


「あらやだどうしましょう。そのような者が国に仕えて陛下に忠誠を誓っているということになりますわよね。わたくし急に心配になってきましたわ。陛下のご不興を買わなければよいのですけれど」


「あっ、いや、その、今のはだな………」


「あっそれに、お母様もそのような男に嫁いで、わたくしのような『人品卑しい小心者で性根の卑しい女』を産んだ悪女ということになってしまいますわ!」


「いや待ってくれ!君の母上は公女だろう!?そんな事があるはずないじゃないか!」

「だって貴方がそう仰ったのですもの。間違いございませんわよね?」


 お母様は公爵家の四女。比較的自由な恋愛が許されるお立場であったことに加え、幼い頃に賊徒に襲われたところを駆けつけて救ったお父様に一目惚れをされたそうで、身分違いを物ともせずに嫁いで来られたと、よく自慢気にお話し下さいました。

 妹もその話は飽きるほど聞いていたはずですわね。


「あら?でもそうなると、貴方のお選びになった妹も同じ血が流れているのだから⸺」


「だ━━っ!もういい!さっきのはナシ(・・)だ!とにかく!私はそなたではなく彼女を選ぶ!そなたとの婚約は破棄だ!」

「あら、まあ。そうですか」


 あらあら。結局そこに戻ってくるんですのね。

 でも、ナシだと仰るのなら理由もなく婚約破棄することになってしまいますけれど、大丈夫なのかしら?

 それに………。


「けれど困りましたわね。その子は伯爵家の次女、貴方は侯爵家の三男。継ぐべき爵位は侯爵家にはおありですの?」


「「……………は?」」


 またしても同時に呟く彼と妹。

 え、なにかおかしなことを言いましたかしら?


「いや、だから私が伯爵家を継いでだな」

「あら。伯爵位は『わたくしが継ぐ』と決まっておりましてよ?」

「えっ?」

「だってわたくしが長女で嫡女ですもの。当然でしょう?」


 そして貴方は『わたくしの婿になった場合』にのみ、伯爵家に入れますのよ?


「何を言ってるのお姉様?お姉様はこの方に見捨てられて、お家からも追放されるんですのよ?」

「どうして?伯爵(おとうさま)がそんなことお認めにならないわよ?」

「そんなことないわ!お父様はわたくしを可愛がって下さるから、後継だってわたくしに⸺」


「無理ですわよ?」


 だって我が国の法で決まってますもの。継爵は直系の嫡男か嫡女のみ、と。もしそれが不可能ならば親族から養子を取るよう定められておりますもの。

 そして養子を取る場合というのは、例えば子がない場合とか、嫡子に健康上の問題があって継爵が不可能な場合にのみ認められるのですよ?


 ……ああ、妹は継爵に関わりのない次女だから、そのあたりの教育を受けてないのだわ。きっとそうね。


「それにお父様は貴女を可愛がるのと同様にわたくしのことも可愛がって下さってますから、わたくしは問題なく嫡女のままですわ」


「そ、そんな………」


「うむ、その通り」


 低く太い男らしい声がして、振り返るとそこにはお父様のお姿が。若かりし頃に騎士として名を馳せられたお父様は、今なお鍛錬を怠らず筋骨隆々。今すぐにでも現役復帰できそうなほどのお姿です。

 あらやだ、迎えはいらないっていつも申し上げているのに、今夜もお迎えに来て下さったのね。

 あ、でも今夜は未成年の妹も来ているから、それで来られたのかも。


「お父様⸺」

「いやしかし、君が伯爵位を手放してまで妹のほうを取るとは思わなかった」

「えっ、いや、」

「そこまで気に入ってくれていたのならば、もっと早く伝えてくれていればよかったのに」

「いや、その、そうじゃ━━」

「だが済まんな。我が家門には空いている子爵株も男爵株も今はないんだ。だから侯爵家の方で空いている株があればいいのだが」


 腕を組んで滔々とお話しになるお父様。彼が何やら言葉を挟んでいるようだけれど、全然聞いておられませんわ。

 お父様ったら昔っからそうよね。ご自分のお考えを話し出すときは他の人の言葉なんてちっともお聞きになりませんもの。

 そして侯爵家の方にも確か空いている株はなかったはず。去年甥っ子様、つまり自称元婚約者様の従弟の方が成人されて子爵位をお継ぎになったのが最後だったのではなかったかしらね?


「い、いや、侯爵家(わがや)にも………」


「そうなのか?では平民となるか、志願して騎士になるということか」


 君がそこまで覚悟を決めていたとは、改めて見直したよ、と言いながら満面の笑顔で彼の肩をバシバシ叩くお父様。

 何故だか彼の顔色が悪いけれど、お父様のこのお顔はもうお父様の中で確定事項になった証拠ですわね、これ。


 ちなみに、認められて騎士に叙任されれば士爵(ししゃく)と言って一代限りの準貴族として認められますわ。一代限りなので、頑張って功績を挙げて男爵位を賜らなければ子孫はゆくゆくは平民となるしかありません。

 士爵は継げないけれど、騎士の子が騎士に叙任されればふたたび士爵として貴族の末席に加えてもらえますわ。もちろんその家族も。

 ですから騎士の皆様は、頑張って早くに結婚されて跡継ぎを設けられ、ご子息が成人して騎士に叙任されるまで現役で頑張られるのだと、学術院の騎士課程の子から聞いたことがございますわ。そうやって代々騎士として家系を繋いで、どこかのタイミングで功績を挙げて男爵位を賜るのを狙うのだとか。


 でも、彼ったら剣の扱いなんてからっきしですのに、本当に騎士になんてなれるのかしら?魔術だってサッパリなのに、将来のことちゃんと考えてらっしゃるのかしら?


「かっ、彼女は!」


 とか思っていたら、彼がわたくしを指さして声を張り上げました。


「今まで妹にさんざん陰湿ないじめを繰り返していた悪女です!そんな女に伯爵位を継がせるなど!」


 だから妹に爵位を継がせろとでも?

 だから法で決まってますのに、分からない方ね。


 あ、そうよ。彼も侯爵家の三男だから後継教育は(・・・・・)受けてない(・・・・・)のだわ。


「ふむ、それはおかしいな」


 ここで初めて訝しげになるお父様。


「ウチの娘はふたりとも王立学術院の寮に入っていて、学年も学科も違うから普段は顔も合わせないはずだが」

「え?」

「姉妹そろって昔から仲がよく、母親とともに街へ遊びに行ったりして三人仲睦まじいところを見られてなあ。それを人づてに聞いたりして頬が緩んだものだよ」


 懐かしそうに語るお父様。その話を使用人たちにも嬉しそうに話すから、とても恥ずかしい思いをしたのをお分かりになってらっしゃるのかしら?


「しかも君が指差した姉のほうは、学業のない日は邸に帰ってきて領政の勉強がてら私の仕事を手伝っている。ますます妹を虐める暇などなかったはずなんだが?」

「……………。」

「だが、君がそこまで言うからには何かしら証拠があるのだろう?ひとつ見せてくれないか」

「あ………いや………」

「ああ、なるほど。今手元にないのだな。よし分かった、では明日にでも邸に持ってきてくれたまえ」

「あ、う、あ」


 どうしたのかしら。彼のお顔が赤くなったり青くなったりして、ついには声も出せないほど青褪めてしまったけれど。

 どこか具合でもお悪いのかしら?


 そう思って、彼に対する優しさアピールよ!と目配せしようと妹を見たら、妹も同じ顔をしているわ。

 あらあら、そんなところまでソックリなんて。本当にお似合いね。


「さて、ではそろそろお暇をしようかふたりとも。主催の侯爵夫人にご挨拶してきなさい」

「あ……お父様、わたくしは……」

「そうよお父様。(この子)はまだデビュタントも済ませてないのですから、今ご挨拶に伺うのはおかしな話になりますわ。招待頂いたのはわたくしだけですから、わたくしはご挨拶に行って参ります」


 話を切り上げて帰ろうと仰るお父様。

 途端に気まずそうになる妹。


 だからわたくし、さり気なく妹がこの場に(・・・・)居ては(・・・)いけない(・・・・)ことを仄めかしつつ、お父様と妹に背を向けました。

 えーと、夫人はどちらに…………ああ、いらっしゃった。まあ、やだ、すっごく面白そうにこちらをご覧になってらっしゃるわ。


「……………そういえば、何故お前はここに居るんだ?」


 後ろで少々怒気を孕んだ父のお声がして、妹が息を呑む音が続きます。

 お父様、普段はわたくしたち姉妹を溺愛してらっしゃるけれど、間違ったことや道理の通らないことをしたらお怒りになるし、怒らせたらものすっごく怖いのよねえ。




  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇




 結局、わたくしと彼との婚約は解消(・・)となりました。もちろん彼の有責で。

 そして彼は妹の婚約者に……………なんてことになるはずもなく、今は侯爵家で軟禁状態だと聞いています。


 まあ、それはそうでしょうね。わたくしに冤罪をかけてまで婚約破棄を謀って我が家と侯爵家の縁を壊し、呼ばれてもいない他所様のお家の夜会で騒動を起こして迷惑をかけた挙げ句、主催の侯爵夫人からの連絡を受けて飛んできた侯爵さま(彼のお父様)に全部バレたのですから。

 彼のお父様は侯爵夫人に必死に詫びて話を広めないよう頼み込んだそうだけれど、あれだけの人が見ていた中での騒動ですもの。噂にならないわけがありません。

 だからきっと彼は、もう貴族としては致命的でしょうね。まあ元々、学業も剣術も魔術もイマイチな残念な方でしたから、彼の“被害”がこれ以上広がらないという意味では却って良かったのかも知れません。


 そんなダメな男を何故婚約者にしていたのか、ですか?

 わたくしの婚約者は、正味誰でも(・・・)良かった(・・・・)のです。だって伯爵家を継ぐのはあくまでもわたくしですから、旦那様に求めるのは第一に子種。それを生む健康な肉体と、ほどよく見目の良いお顔と、あと強いて言えばわたくしに心を砕いて大事に扱ってくれる優しさがあれば、それで良かったのです。

 まあ、最後のひとつはありませんでしたね、どう考えても。思えばそれでわたくしを貶めようとなさったのですから、『強いて言えば』などと言わずに必須条件とすべきでしたわね。


 ただまあ困ったことに、彼が居なくなったおかげでわたくしは一から婚約者を探し直さねばなりません。幸いにもあの夜の件はわたくしが一方的な被害者ということで皆様ご理解下さいましたし、婿の来手(きて)がなくなるという事はないでしょうけれど、それでも人の噂が落ち着くまでは無理でしょうねえ。

 ま、それはお父様にあと数年頑張って頂ければ済むお話なので。問題ありませんわね!


「私はこれでやっと家督を譲ってゆっくりできると思ったのだがね………」

「諦めて下さいましお父様。孫の顔が見たいのであれば、今度はちゃんとした方(・・・・・・・)を見繕って下さいね?」



 あ。ちなみに妹はというと。


「お姉様ああぁぁぁ!たぁすけてぇ〜!」


 何やら上階から聞こえてきましたけれど、どうかお気になさらず。自業自得ですし、今後このような事がないように、あの子にもしっかり教育を受けさせ直さなければなりませんので。

 でもあの先生、わたくしの時もそうだったけれど、やたら厳しい(・・・・・・)のよねえ………。





【注】

固有名詞がないので分かりづらいですが、婚約者の父の侯爵と夜会の主催者の侯爵夫人とは『別々の侯爵家』です。夫婦ではありません。

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[一言] ずいぶんと家の維持の難易度が高い国だなぁと思いましたが スペア次男の必要がなくて必然的に嫁入り先候補が少なくて 長男に嫁げず次男に嫁いだら養子に全部持っていかれて当主の弟の地位もなくなる可能…
[良い点] 落とし所も含めていい感じですね。 妹ちゃんはしっかりと学び直して下さいw
[一言] 返信ありがとうございます。 はい、さほど年の差はないのは知っていますが、この手の設定ではデビュタント前って時点で子供扱いされるので、それに手を出して婚約破棄させようとした時点で「デビュタント…
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