9話:株の儲けと土地を売る話
「9月下旬、高科博和が通う小学校の運動会が開かれた」
「祖父母と親が小学校へ出かけた。高科博和は、徒競走に参加し結果は、真ん中くらいだった」
「しかし、初めての運動会に高科博和も妹の若子も興奮していた」
「その後、今年も横浜中華街で日曜日の昼、1部屋借りて忘年会を開いた」
「子供達は中華饅頭とシュウマイを美味しそうに食べていた」
「量も多く、お腹いっぱいになり腹ごなしに元町をぶらつき17時頃に高尾に帰ってきた」
「やがて、1984年が終わり1985年となった」
「1985年2月に小学校でインフルエンザが流行しソロバン塾でも流行った」
「そのため、数日休みになったほどだったが、我が家では長男の博和が罹り若子は罹らなかった」「奥さんの桂子さんも2日間病欠したが、何とか回復した」
「1985年の夏はサマーランドに8月の日曜日に2回、出かけて博和も若子も上手に泳いだ」
「9月、奥秩父に家族で旅行へ出かけた」
「11月には熱海温泉に出かけ温泉と海の幸を楽しんで1泊して帰って来た」
「今年から小学校に入学した長男の博和が、集団登校にやっとなれた」
「祖父母が見送る時も泣かなくなった」
「そして、友人ができた様で楽しそうに小学校へ登校するようになった」
「愛想が良いようで友達が多くなったようだ」
「足が速く、すばしっこい可愛い男の子に育ち、勉強では数学が得意であった」
「父の影響を受けているようで買ってきた絵本も数字の入っている絵本を興味深げに見ていた」
「その後、お買い物をするストーリーの絵本が大好きになった」
「しかし、温泉の湯が熱いので子供達は、なかなか入れず、入っても、すぐ出てきた」
「金目鯛の煮付けは、お値段が高いので2人で1匹を食べたが確かに美味しい!」
「12月は、毎年恒例の横浜中華街で1部屋借りて忘年会を開いた」
「今年の反省と来年の抱負を話し楽しく過ごし元町を巡って帰って来ると1987年を迎えた」
「1987年10月9日、早朝、証券会社の担当者から電話が入った」
「電話でNEC株の気配値が2600円と高く売りと言われ全株成り行き売り出した」
「その後、高科昭二さんから電話が入ったので成り行き売りを指示した」
「NEC株は以前2回の株式分割で株数が1.21倍になっており24200株になっていた
「そのため、税引き後利益が5580万円となり残金が5620万円となった」
「その後、高科孝明が、高科昭二さんに自分も株取引を始めたので手数料は入らないと断った」
「ほんとにそれで良いのかと聞き返したが大丈夫だと答えると本当に悪いなと言ってくれた」
「1990年、バブル景気最後の年。翌年には土地バブルも崩壊し平成不況へと突入した」
「地元の土建屋さんから電話が入り1990年の高尾の地代が過去最高の価格だと言われた」
「470坪を売った方が良いと教えてくれた」
「今年1988年か来年1989年当たりが地価が一番高いのではないかと教えられた」
「そこで、調査してみようと言うので売却手数料金を売価の5%で契約した」
その後、坪70万円で、買うと言う話が、出たと聞かされ、みんなの総意で、売却を決意した。そして、売却名義人を家族3人で前代からの相続という形にすると税金が有利になると言われ,手はず通りにした。470坪を税引き後3.3億円で売却し父と母と孝明の3人で1.1億円ずつに分けた。
それを象徴するかのように2月21日、日経平均株価が1日で1161円下がった。
そして終値が3万5734円になる。2月23日には936円安の終値3万4891円,同2月26日日には1569円安の終値3万3322円に落ち込んだ。これを見て高科孝明は、さすがに肝を冷やしたが、冷静に行けと自分で自分を励ました。子供達は、元気に、夏休みはサマーランドで、疲れを知らずに泳ぎ回っていた。
やがて秋となり、冬となり1990年が終わり1991年を迎えた。1991年、冬は、長女の若子がインフルエンザにかかって、4日間小学校を休んだが、長男の博和は、インフルエンザにかかる事なく、過ごした。その後、春になり、車で、山梨に花見に出かけた。