4話:幼なじみとデートとソロバン塾の副塾長
「その頃、高科孝明は、塾の給料をしっかり貯め年間50万円の貯金を目標にした」
こうして1974年となった。
「高科孝明が株投資での約束をしてくれるなら、これからも継続して付き合うと言った」
「その後も昭二との約束通り、年に4回、発売される四季報と株関連の月刊誌を買ってきた」
「その頃、高科孝明は、中学時代の級友の池内桂子と仲良くなり映画を見に行くようになった」
「春は、中央高速道路を使って山梨の桃の花と桜の花を同時に見に行った」
「それができる場所は、石和温泉の郊外で桜並木と桃を栽培する農園が近くにあった」
「その桜と桃の花の開花を同時に見ることができ多くの写真を撮ってきた」
「夏になるとサマーランドのプールへ出かけ、2人仲良くなり、1976年があけた」
「そこで春、また池内桂子と仲良く花見に行って日帰りで帰って来た」
「その後、夏の早朝、八王子を出て富士急ハイランドと富士山周辺の高原をドライブした」
「この頃、高科孝明は、秋葉原へ行き、気に入ったステレオを買いそろえた」
「S&G、カーペンターズ、オリビアニュートンジョン、ABBAを聞い」
「彼女も音楽が大好きで高科孝明の住む離れの部屋で心ゆくまで素敵な曲を聴いて過ごした」
「1976年、日本初のTK-80と言うマイクロコンピューターのシステム開発用のトレーニングキットが新発売された」
このニュースを聞いて、高科孝明は、コンピュータに興味を持っていた。そして、たまらず、9月20日、秋葉原ラジオ会館にてサポートセンター 「Bit-INN」へ実物を見に行った。しかし、TK-80は、実用で使用するためにはメモリと拡張性が不足していた。同じ時期、サードパーティのメーカーよりテレビ出力とBASICインタプリタを搭載した拡張ボードが提案された。
このボードをTK-80に組み込んだバージョンが1977年末にTK-80BSとして発売された。しかし、どう見ても能力不足だと考えて買うつもりになれず、「Bit-INN」で早く、1台でROMメモリ、RAM、その他の拡張性を高めて使えるマイコンを出してくれと言った程だった。
それに対して、ROMメモリ、RAM、その他の拡張するために必要に部品の単価が下がったら、きっと1人、1台の、いわゆるパーソナルなコンピュータを発売するはず出るだと若いNEC技術者が言った。それまで楽しみに待っているよと告げて秋葉原から帰って来た。もし彼の言ったことが本当ならNEC株は、きっと大化けすると高科孝明は直感してNEC株を買おうと考え始めた。
そして1976年の10月、
「彼女が、そろそろ結婚したいねと言うと、そーだなーと答えた」
「俺みたいな、しがない算盤塾の先生で良いのかと聞き返した」
「すると、関係ない、私か、好きかどうか、しかないわと、じっと高科孝明の顔を見た」
あなたは、どうなのと、聞かれ、高科孝明が
「本当に俺みたいに、うだつの上がらない、男で良いのかと聞き返した」
「良いに決まってるわよ、冗談で、こんなを話するほど馬鹿じゃないわと言い涙ぐんだ」
「その後、彼女を肩を抱いて早く結婚したいよと言った」
「それを聞いて彼女の涙が止まらなくなったため、高科孝明が困ってしまった」
「俺が、君に、何か変なことでもしたみたいに見えるからお願いだから泣き止んでと懇願した」
「すると来年、ジューンブライド、1977年6月に結婚しましょうとつぶやいた」
「その発言に対してわかったと答えるしかないので君に結婚式場や日時を任せると告げた」
「この言葉を聞き彼女が今年1976年中に結婚の申し込みを池内家に来て両親の前で話してくださいと言われ了解するしかなかったので了解と答えた」
「11月6日の晩、高科孝明が池内家に行き御両親の前で池内桂子さんと来年結婚したいと言った」「池内さんのお父さんが君は実家の算盤塾の先生をしてるのだってと言った」
「そして、なぜ、東京高専まで出て一流企業に入らないのかと聞かれた」
「確か、高専でもトップクラスの成績だと評判だったじゃないかと言われた」
「そこで、実は私、人と話すのが苦手なのですと答えた」
「確かに人には、弱みがあるのもわかると彼女の父が言った」
「金はあるのかと聞かれ総額で500万円と以上あると答えた」
「どうして、そんな大金を貯めたのかと聞かれた」
「そこで、得意の数学を生かし株を売買して稼いだと話すと彼女の父が驚いた」。