3話:株の儲けと土地を売りたい
「その後、近くの洒落たレストランで洋食を食べ珈琲、紅茶を飲んでいた」
「そんなある日の昼、桂子が行ってみたいと言っていた白糸の滝の見物に行った」
「そして、滝つぼに足を入れて滝の落ちるのを見ていた」
「すると実に気持ちが良く心が洗われる気がした」
「その後も父の持っていたシビックを借り、夏、富士急ハイランドへ行った」
「その他、秦野の郊外、丹沢山大倉登山口駐車場に車を止め塔ノ岳に登山をして楽しんだ」
「確かに最近、父がソロバン塾を任せて自分だけラジオをイヤホンで聴いてる姿を見た」
「あれは株価の情報を聞いていたと判明し、やがて1972年が終わり1973年を迎えた」
「そして1973年1月4日、早朝、証券会社の担当者から高科昭二に電話が入った」
「その電話で以前、購入した伊藤忠株の気配値が1310円で高いから売り言われた」
「そこで、どうしようと言われ、高科孝明が全株売りを指示しろと指示した」
「その日の昼、高科昭二が算盤塾に来て売った伊藤忠株が620円で全てて売れたと告げた」
「そして、税引き後利益が554万円で口座残金が584万円と教えてくれた」
「高科昭二さんが半々に分けようと言い292万円をお前の預金口座に入れると言ってくれた」
「そこで入金をお願いし高科孝明も高科昭二さんと同じ証券会社に証券口座を作り3百万円と送金」
高科孝明の本家は、大きな農家の家と離れ、隠居部屋と3軒あり孝明の2歳上の姉、高科則子は、以前、八王子の女子大学を卒業後、両親の紹介する人と見合いをさせられた。しかし、それに反発し東京へ出て行った。農家の中でも一番新しい家に高科孝明と両親の3人で生活を始めた。八王子駅までバスで5分と便利の寄り場所にあり税金が高いので520坪の土地を分割して売却して減らし現金を手にしたいと考えた。
すると、父の昔からの友人の地元の土建屋の佐藤さんが、古い2軒の農家と納屋を解体を200万円で請け負うというので、お願いした。そして、3人で暮らすというと、50坪も残せば、十分じゃないかと言われた。そこで、残り470坪を地価が上がった時に売るのか一番、賢いと助言され、そうしようと考えた。秋は、稲刈りで忙しく夕飯をとって風呂に入ると、すぐ寝る生活だった。
やがて農閑期になると、父は、近所の親戚達と山梨の昇仙峡、河口湖、河口湖の紅葉を観賞したり、湯村温泉や石和温泉に2泊3日の旅行に行き、疲れを癒やすのが楽しみ一番の楽しみだった。ソロバン塾の副塾長として子供達を教え月給8万4千円をもらい実家で3食いただき両親に面倒みてもらう生活を続けた。その代わり、父は、息子にソロバン塾を任せて旅に出た。
その他、近所の農家が忙しい時には手伝いに行き、その報酬として米や野菜をもらって食料にした。農繁期には、田植え、トラクターの運搬、稲刈り、野菜の収穫などの手伝いには、いつも参加して重宝がられた。そのアルバイト代金と、少しの米、野菜をもらい自宅家での鶏卵を使って堅実に生活していた。そのため、高科孝明は、生活費が、ほとんど、かからず貯金がたまった。
今年も冬となり、農閑期を迎えた。そこで山梨の湯村温泉に行き、夜には宴会をして楽しんだ。翌日は、富士五湖の紅葉を眺めて御殿場を抜けて箱根に行って箱根の温泉に浸かり旨いものを食べ、その翌日、高尾に帰って来た。父はたまに、八王子の証券会社に行っては株仲間と情報交換したり、N証券の美人の女の子をからかったりして、人生を楽しんでいた。
その他、スーパーで肉や魚、おかずを買って比較的、質素な生活をしている。しかし、意外に金を持っているらしいと、噂されていた。そしてケチで、稼いだ金は、大事に郵便局に貯金して、かなり金を持っているとい言う評判になった。しかし、父は、誰にでも愛想が良く好かれていた。