1話:高科昭二、伯父さんの、お願い
東京北部の高尾でソロバン塾を経営する厳格な性格の父、高科巌男と高校の数学教師で口うるさいタイプの母の高科律子を持ち、教育熱心な家に、この物語の主人公である、高科孝明「たかしなたかあき」は、1952年2月14日生まれた。彼の2歳上の姉、高科則子は、その教育熱心な親が、大嫌いで地元の高校を出ると家を出て、ある電気会社の寮に入った。
「そのため、めったに実家に帰ってこなくなった」
「高科孝明はと言うと小さい頃からソロバンとなじんだ」
「そのため、物心ついた頃から数字に興味を持ち数学大好き人間となった」
「計算に、めっぽう強い子供に育ち、小学校6年でソロバン3級をとった」
「中学卒業時、既に全珠連初段の腕前であった」
「そんなある日、叔父で6歳年上の高科昭二さんが日曜日に高科孝明の所へ来た」
「そして、顔を見るなり、お前は数学が強いなと聞くので、えーと答えた」
「すると、突然、一緒に日本株投資で稼がないかと言い出した」
「その後、四季報と株関係の本はすぐに、お前の所へ持ってくると言った」
「ラジオ短波の株放送が株価が一番、早くわかるとわかったので買ったと告げた」
「伯父の昭二の話が終わり高科孝明が了解しましたと告げて帰って行った」
「翌週の日曜日、貸してくれた株の本を読むと1970年代は、混とんとしていたので日本の5大商社、中でも伊藤忠と丸紅の成長性に期待がもてると投資雑誌に書いてあった」
「高科孝明は、その記事を見て伊藤忠が良いと考えた」
「高科昭二は、商業高校を出た男だが人に指図されるのが嫌いだった」
「そこで甥の高科孝明が高科昭二に僕と一緒に株で稼ぎませんかと笑いながら告げた」
「すると、お前は、東京高専に入って数学が得意なんだろ言われ、まー、そうですねと答えた」
「俺は、この地区で野良仕事の手伝いだとか算盤塾の手伝いして日銭を稼いでいるだけで金はない」「だから遊ぶ金が欲しいんだと打ち明けた」
「高科孝明が、俺は、あがり症で人と話すの苦手だから父のそろばん塾で手伝いするしかない」
「そこで力を合わせて自分達の資産を作りませんかと提案した」
「それに対し、そうよな確かに東京高専なら数学はめっぽう強いはずだからなーと言った」
「わかったと言った高科昭二だが俺の財産は70万円しかないと言い大丈夫かと聞いた」
「そこで、私も小さい頃からお年玉を貯めて70万円ありますと告げた」
「すると一緒にやってみるかと言うので是非やりましょうと高科孝明が言った」
「それをを聞いて高科孝明が儲かった時の顧問料はと高科昭二に聞いた」
「そこで、利益の10%もらえば結構だと答えた、そうですと言った」
「そうして1970年8月4日、八王子のN証券に高科昭二と孝明が一緒に行った」
「ここで証券口座を開きたいと高科昭二が言うと若い男性が来て口座か施設の書類を持って来た」「それを見ながら高科昭二と孝明が書類を書いた」
「そして自動車運転免許証を持ってますかと高科昭二が聞かれた」
「その話を聞き免許書を見せるとコピーさせてと言い24歳で問題ありませんと言った」
「入金は、すぐできますかと言われできると答えた」
「10分して口座開設できたと答えた」
「すると投資をされる前に銀行口座から入金してくださいと言われ、わかりましたと答えた」
「近く銀行から高科昭二が50万円、孝明が50万円の百万円と高科昭二の証券口座に入金」。
「10分後、口座開設したN証券へ行くと入金されたので株投資できますと言われた」
「そして、担当の立川淳一ですと挨拶してくれた」
「大事なお知られするかもしんれないの高科昭二様の電話番号教えてと言われ伝えた」
「その後、高科孝明は、叔父の高科昭二に伊藤忠商事の株を買いたいと考えているから安値が出たらすぐ電話して欲しいと伝えた」
「すると分かったと言い、1970年10月には、担当者に伝言した」
「実は、6年前の高科昭二も似たようなものだった」
「彼は、工業高校機械科を卒業し家の近くのスーパーに入社したが、店長の言うことを聞かないためにやめさせられた」
「噂では、スーパーに入った同じ商業高校の女の子につきまとったらしいと聞かされた」
「それが元で、女の子と問題を起こしてやめさせられたという妙な噂が立った。