緊張の初戦と味方
「おはよう、綾乃……。」
「おはよう沙織、大丈夫?」
寝不足で重くなった瞼を擦りながら部屋から出てきた沙織を、綾乃が心配そうに見つめる。
「とりあえず調整は終わったから安心して。」
「今、私が心配してるのは沙織の体調の事なんだけど……。
とりあえず調整お疲れ様。」
綾乃は沙織の肩をぽんぽんと叩き、労いながら2人揃って学生寮を出た。
普段、朝から部活や生徒会の仕事がある時と同じ時間に学生寮を出た2人だが、今日は一層眠そうだ。
沙織を労っている綾乃も、時々あくびをしていていつも通りの睡眠をとったようには見えない。
「そういえば、朝のうちにめぐみに渡すんだよね?
めぐみは来れるって?」
「うん。
今日は陸上部の朝練が無い日だから果穂って人には会わないし、他の2人はそもそも登校時間がめぐみよりも遅いから『今日はラッキーデイだ!』って言ってた。」
「てことは、めぐみは朝からやられた事もあったのか……。」
今日の朝、3人で学食で落ち合い、沙織からめぐみにボイスレコーダーを渡す事になっていた。
そのために、めぐみはいつも以上に早起きをして学校に来る事になっていた。
ここまで早朝に学食に向かう人は寮生でも少なく、人影はほとんど無い。
「私は今日の放課後は、昨日の中等部での取材内容を記事に起こさなきゃいけないんだけど、沙織はどう?
今日の予定は。」
「私は放課後に生徒会の仕事があるけど、急ぎの仕事は無かったはずだから少し余裕はあるかな。」
『綾乃も昨日の夜は新聞部の記事をまとめてたんだろうな。
いつもなら取材の次の日はお昼休みも部室に行ってたし。
お昼休みにめぐみとの時間を確保できるように頑張ってたんだろうな。』
睡魔で覚束ない足取りの2人は学食に到着した。
時計を確認すると、めぐみとの待ち合わせ時間より15分ほど早い到着時間だった。
「朝ごはんでも準備して待ってようか。」
綾乃が早速トレーを2枚持ち、1枚を沙織に手渡す。
「そうだね。
そう言えば私、あの後家族に連絡したんだけどね。」
沙織は朝ご飯を取りながら昨日の夜、綾乃が部屋に帰ってからの事を話し始めた。
「うちの両親、中学校での事もあったからめぐみの事をほっとけないって言って、美味しいものでも食べさせてあげなさいって言われてね。
今日の朝に会うって伝えたら、好きなだけご馳走しなさいって。」
その言葉通り、沙織の持つトレーの上にはとんでもない量の朝ごはんが乗っかっている。
めぐみの分も入っているとはいえ、普段の沙織の一食分の更に倍以上だ。
両親と仲が良い沙織は、両親から良いと言われた事には素直に全力で応えようとする傾向があるが、本人にはその自覚は無い。
横で沙織のトレーに次々と乗っていく朝ごはんを、綾乃は心配そうに見ている。
「めぐみがそんなに食べられるかわからないけど……。」
「めぐみなら、きっと食べられるよ!
朝ごはんを家で食べて来たって言ってた時も、普通にこのくらいの量を食べてた気がするし。」
「沙織がそう思ってるなら……まぁいっか!」
沙織の笑顔を見て、綾乃は止めるのを辞めて話題を変える。
「ところでさ、昨日も思ったけど、沙織のご両親はびっくりするほど協力的だね。」
「そうだよね、娘の私でもそう思う。
しかもそれだけじゃなくて、今日の放課後に荷物も持ってきてくれるみたいでね。」
「荷物?」
朝ごはんを選び終えてテーブルに戻って来ると、沙織は綾乃にだけ聞こえるよう、耳打ちで伝える。
「私が中学生の時に役に立った道具をね?
今日中にお母さんが段ボールにまとめて準備してくれて、夕方にお父さんが持って来てくれる事になったの。」
耳打ちで伝えられた為、綾乃も顔を近づけて小声で返す。
「それってボイスレコーダーみたいな物を他にも持ってきてくれるって事?」
沙織はニコッと笑って頷いた。
そんな沙織の笑顔を心強くも、一体何を持ってくるのかと緊張した表情を浮かべる綾乃に対して、沙織はフフッと笑った。
『そこまで怖いものは持ってこないよ〜。多分。』
綾乃が結構な不安を抱えた状況の中、久しぶりにめぐみが学食に姿を現した。
「おはよう、めぐみ。」
「おはよう。」
今まで通りに笑顔で迎える2人につられて、めぐみの表情も明るかった。
「うん、おはよう。」
沙織はめぐみに隣に座るよう袖を引っ張り座らせると、めぐみの目の前に次々と朝ごはんを並べていく。
「これは?」
「うちの両親から、少しだけ話したらめぐみにいっぱいご飯を食べさせてだって。」
「ありがたいけど、すごい量……朝ごはんは家で食べてきてるんだけどな〜。」
「そうだよね〜、私も沙織にそう言ったんだけど。
沙織の認識ではめぐみはそのくらい食べてた気がしたらしいけど。」
「あれは急いで登校してたから、たまたまお腹が空いちゃっただけで。」
「まぁ、いいじゃん? 今日くらい。
せっかく沙織のご両親からのご厚意なんだから、めぐみも素直に受け取っておきなよ。」
沙織は気にせず並べていき、結局ひとり分の朝ごはんがボリューム満点で揃ってしまった。
既に朝ごはんを自宅で食べてきためぐみには、完食するには結構大変な量かもしれないが、沙織は終始めぐみの為にと全力だ。
「ほら、食べて食べて!」
沙織からお箸を渡されると、めぐみは「それじゃあ……いただきます。」と言って2回戦目の朝食を食べ始める。
めぐみがご飯を食べている姿を見て、沙織は少し安心してその姿を見ていた。
「ほら沙織、私たちも食べよ?」
「うん、いただきます。」
「いただきます。」
朝ごはんを食べながら、沙織の実家から役に立つ道具を持ってくる事と、ボイスレコーダーの使い方をめぐみに説明していく。
沙織が持って来たボイスレコーダーは2種類あり、ひとつは昨夜、綾乃にも見せたペン型のもの。
もうひとつは、いかにもボイスレコーダーな見た目のものだが、小型で持ち運ぶのも支障無い大きさだ。
沙織は昨夜の調整を終えてから、試しに鞄や制服の至る所に入れた状態で録画と録音を繰り返し、1番撮りやすい場所をピックアップしておいたのだ。
ペン型はブレザーのポケットに差し込み、普通の型はめぐみの鞄の内ポケットに仕込むのが1番良い場所だと伝えて、早速めぐみのブレザーにペン型ボイスレコーダーを差し込んでみた。
「どうかな? 着け心地は悪く無いけど。」
「うん、普通に違和感無い。」
「そうでしょ?
私も中学校で使ってたけど、全然バレなかったの。」
「強いて違和感を感じる点は、めぐみがペンを持ち歩いてるってことくらい?」
「どういう意味?」
「冗談だよ。」
沙織と綾乃ははめぐみの胸ポケットから少しだけ上に出ている、ペン型ボイスレコーダーを四方から見て違和感がない事を確かめる。
普通のボイスレコーダーも鞄の内ポケットに入れて、電源を入れておく。
一日中電源を入れていても、普通のボイスレコーダーは電池が保つため、沙織が入れると同時に電源スイッチを入れておいた。
「ペン型の方は、1番上の側面箇所に小さな出っぱりがあるのわかる?」
めぐみが胸ポケットから取り出すと、綾乃と2人で出っぱりを確認する。
「そこを押せばすぐに録音が始まるから。
あと、電池が3割以上残っていた場合だけなんだけど、映像も撮る事ができるから。
ちなみにカメラはここね。」
沙織はペンのクリップ部分を指差してレンズの場所も教えると、めぐみの胸ポケットに差し込み直した。
ペンのクリップ部分を胸ポケットに引っ掛けると、カメラのレンズはちょうど正面を向くように設計されている為、電池が残っている間は極力、映像が撮れるようにしておいた方が良いと思ったからだ。
「ところで、こっちはどのくらい電池が持つの?」
綾乃はカメラを覗き込むように見ながら質問してきた。
めぐみの胸ポケットに差し込まれたペン型ボイスレコーダーに興味津々らしい。
「昨日の夜から色々メンテナンスをしたおかげで、半日以上は待つようにしてあるよ。
だけど、ずっと電源を入れておくと胸ポケットの中で熱くなるから、なるべく長時間電源をつけないようにした方がいいと思う。
絶対に変な事をされない、授業中とかは切ったりして。」
「沙織がメンテナンスしたの?」
「うん、同じペン型のがもうひとつ有るから、毎朝交換するね。
データ管理も充電も任せて!」
沙織は自分が役に立てている状況が嬉しかった。
中学校での忘れたいほど嫌だった出来事を思い出すのは、沙織にとってとても辛かったが、めぐみの現象打破の為になるなら喜んで全てを思い出して、役に立ててもらおうと決めていた。
沙織の熱意が2人にも伝わり、3人は改めて結束した。
3人は朝食を食べ終えて学食から出ると、今から学食を利用する生徒たちとすれ違い始めた。
朝から部活動のある自宅生も登校し始めており、通路は学食と教室に向かう生徒で人の流れができていた。
教室に向かう人の流れに乗って歩いていくと、めぐみの表情が徐々に強張っていく。
やはり教室が1番ストレスを感じる場所なのだろう。
沙織も同じ経験があるため、表情の変化にすぐに気がついた。
「まだ時間はあるし、時間ギリギリまで私と綾乃と話でもして行かない?」
『「避けられる状況は極力避ける。」って、いじめの事を相談してからは、よく親に言われたっけ。』
綾乃も珍しく自分からめぐみの手を握ると、そのまま沙織と2人でめぐみを挟むようにして教室に連れて行った。
教室に到着するなり、綾乃は自分の席にめぐみを座らせると、何も言わずにめぐみの足の上に座った。
「あの、綾乃さん?」
めぐみは綾乃に膝の上になられた事が無いのか、あわあわしながら声をかけているが、綾乃は知らん顔で動かない。
沙織もそんな2人の様子を面白く見ていた。
「ちょっと、沙織も綾乃も過保護じゃない?」
「今はそんな事は置いといて、めぐみはこれから毎朝、綾乃にのられる日々を堪能してくださいね!」
「毎朝?!」
「体重はキープしておくよ!」
綾乃のおかげでめぐみの表情から影が消え、沙織達のクラスも登校して来た生徒が揃い始めた頃、沙織が初めて会う生徒が教室にやって来た。
「おはー、めぐみ。」
「玲奈、おはよう!」
玲奈と呼ばれた生徒は綾乃に乗られて動けないめぐみを、後ろから抱きついて自分の頬を押し付けている。
まるで猫が顔を擦り付けてる時の動作に見える。
『目の前で可愛い人が猫みたいな動きしてる!
何これ! 最高かよ!』
沙織が今ペン型ボイスレコーダーを所持していたら、間違いなく電源を入れて映像に撮っておくくらい感極まっていると、玲奈がそのままの状態で自己紹介をし始めた。
「金子玲奈でーす。
綾乃とルームメイトやってまーす。」
「えっと、及川沙織です。
はじめまして。」
簡単に挨拶を終えると、玲奈は綾乃を背中側から押してめぐみの膝から下ろすと、それまで以上にめぐみを抱き寄せる。
「そろそろホームルームが始まるから、めぐみは私がいただいていくよー。
ほらほら、いつまでも綾乃の温もりに浸ってないで、行くよー。」
「わかったから、一旦離れてってば。
……誰が浸ってるって!」
「じゃあねー。」
玲奈はあっという間にめぐみを連れ去って行った。
「綾乃、今の人は……。」
「そう、本人が言った通り、私のルームメイト。
元々、教室でめぐみと一緒にいてくれてたから、ギリギリの時間に迎えも頼んでおいたの。
ひとりで教室に入るのは嫌だと思って。」
綾乃がそう言った瞬間、千夏先生が教室に入って来てホームルームの予鈴も鳴った。
『本当にギリギリのタイミング。
教室内での事は、玲奈って人がそばに居てくれるなら安心かも。』
沙織の知らない所でも、めぐみを助けようとしている人がいる事を知られて、心強く感じる。
『あとは、私の道具が役に立ってくれれば……。』
道具が役に立つという事は、めぐみがいじめの被害に遭う事を意味しているが、それで証拠を揃えられるなら今だけ、あと少しだけめぐみに頑張ってほしいと願い、沙織はホームルームの間中、ずっと手を組んで力を込めた。
『めぐみが元通りの生活に戻れますように……。』




