自由
「あらやだっ、どうしたの沙織ちゃん?」
保健室に入った途端に、真理先生が駆け寄ってきた。
「とりあえずベッドに横になって!」
葉月と真理先生の手によって、沙織はベッドに寝かされる。
「何かあったの? 沙織ちゃんの目、真っ赤じゃない!」
どうやら泣いている間に目が充血していたようだ。
葉月が真理先生に事情を説明していく。
「それじゃあ、私のインタビューでお友達と誤解ができてしまったのね……。」
真理先生は初めて見せる真面目な表情で、沙織にお詫びした。
「本当にごめんなさい。」
「いいんです、先生は何も悪くないですから。
それに前と雰囲気が違いすぎて、気持ちが休まらないです。」
「本人もこう言ってますし、こういう時は周囲が甘えやすいように普段通りにしているのが一番良いと思います。」
真理先生は少しの時間、目を閉じた。そして目を開くと同時に普段通りのほんわかした雰囲気に戻った。
「よしっ! 2人とも珈琲飲む?」
「はい、お願いします。」
「私は砂糖2つで。」
真理先生が「ちょっと待っててね〜。」と言って準備を始めると、朝のホームルームを知らせる予鈴が鳴った。
「葉月さん! 予鈴が!」
慌てた沙織とは正反対に、葉月は呑気にカメラをメンテナンスしている。
「葉月さん?」
「あぁ沙織ちゃん、葉月ちゃんは授業をお休みするから良いのよ。」
『それって私を保健室に連れてきたから?』
「決して君を保健室に連れてきたからではないから、安心してゆっくり珈琲を飲むといい。」
沙織の心を読んだのか、葉月はそう返事した。
「授業を休むって……真理先生!」
「いいのいいの。
それに、葉月ちゃんは朝から校舎内にいる事自体が珍しいんだから。」
沙織は葉月を見たが、既に葉月はカメラのメンテナンスに夢中になっていて、話を聞いている様子は無い。
「はーい、どうぞ〜。」
真理先生が葉月と沙織に珈琲を渡す。
「沙織ちゃんは今日は砂糖とミルクどうする?」
「じゃあ……両方とも入れます。」
真理先生が沙織の珈琲にミルクと砂糖を入れてスプーンでかき混ぜる。
「はい沙織ちゃん。」
「ありがとうございます。
あの、さっきの続きなんですけど、どうして葉月さんは授業に出席しなくてもいいんですか?」
「それはね〜。」
そういうと真理先生は引き出しから校則表なる物を取り出して、テーブルに広げ始めた。
『また校則? この間確認した時にそんな項目あったかな……。
というか、この学校の校則って変わったものが多すぎる!』
「ほらここ。」
真理先生が指さした校則を読んでいく。
「課外活動で一定の成績を残した生徒は、審査の上その活動を優先する権利を取得する事ができる。
……つまり葉月さんは。」
「そう! 写真に関係する活動を優先する権利を葉月ちゃんは持ってるの!」
『今はカメラのメンテナンスをしているから、授業よりも優先して問題ないって事?』
「だけど、授業に出席しないと勉強がついていけないんじゃ?」
「それに関しては次の行に……。」
「前述の権利を有した生徒は、レポート、学力試験の結果によって成績を決定し、落第点の場合は権利を剥奪。
なお、再試験を実施するが尚も落第点だった場合は留年、又は退学の措置をとる……。」
『これって結構リスク高いんじゃない?』
「ここに書いてある通り、葉月ちゃんは授業免除の権利を持っているけど、成績が落ちたり、レポートを提出しなかった場合は容赦なく留年か退学になっちゃうの。」
「そこまでのリスクを負っても、写真に関する活動をするって……葉月さんは凄いですね。」
「そうね……あんまりこの制度を使って授業免除を受ける生徒はそんなにいないから、葉月ちゃんは相当珍しいわね。」
葉月の話で盛り上がっていると、当事者が口を割った。
「あんまり人の話で盛り上がらないでくださいよ……。」
「ごめんね葉月ちゃん、だけどこの制度を知らない人からしたら、今保健室にいる事が不思議なのよ。」
「それは……まぁ……。」
沙織は今の説明を聞いて、葉月にどうしても聞きたい質問ができた。
「葉月さんは、その……成績は気にならないんですか?
授業に出なくてもいいのは魅力的に感じますけど、レポート提出だったり、試験の結果次第で留年とか退学って、結構リスクが高いと思うんですけど。」
葉月はメンテナンスの手を止める事なく、沙織の質問に答えた。
「私にとって写真は、唯一夢中になる事ができるものだった。
その写真が認められて成績を残す事ができて、さらにそれを集中して行える環境に手が届くなら、その権利を利用するのが1番だと思った。
だからこそ、レポートや試験は手を抜かない。
自由には責任が伴う。自由になればなる程責任は重くなっていく。必然。」
「自由には責任が伴う……。
レポートや試験は葉月さんにとっては背負うべき責任って事ですか……。」
「そういう事。
授業中にも写真を撮りたいタイミングは来るからね。
そのタイミングを私は逃したくない。」
カメラのメンテナンスが終わり、葉月は沙織にカメラを向けてシャッターを押す。
「葉月さんは夢中になれる事があって羨ましいです。」
「君もこれから見つければいい。」
「だけど私はそんなに成績が良くないし、勉強以外の事に目を向ける時間は……。」
「そんな事ないわよ?
葉月ちゃんだって、授業免除を受ける前は成績はあまり良くなくて、保健室に相談しに来てたのよ?」
葉月は真理先生の暴露話に、血相を変えて突っ込んだ。
「真理先生! それは秘密です!」
「そんなに秘密にするような事?
でも、葉月ちゃんは授業免除を受けてから成績が上がっていったって、職員室で話題になっていたんだから。
今更隠すこともないでしょ?」
「授業に出席しなくなってから成績が上がったんですか?」
「……まぁ。」
「葉月ちゃんは真面目だから、カメラのためならなんでもできるのよ!
たとえ苦手な勉強だとしてもね! 今では得意になったみたいだし。」
葉月が真理先生に頭を撫でられて赤面している。
「私は写真が撮りたかっただけです。」
「その為に努力した葉月ちゃんはとっても偉いわ〜。」
「ちょっと写真撮ってきます!」
褒められすぎて恥ずかしくなった葉月は、カメラを持って、慌てて保健室を出て行った。
真理先生は葉月が飲み干したカップを流しに持っていき、片付け始めた。
「真理先生、葉月さんはどれくらい成績が上がったんですか?」
真理先生は少し考えてから、濡れた手をタオルで拭いた。
「各学年の成績優秀者は上位10人まで発表されるから、まぁいっか!
葉月ちゃんは高等部第二学年の次席さんよ。」
「次席って……2番?」
「そう! 授業免除になる前は半分より下だったのに、努力してあそこまで成績をあげたの。
本当に凄いわ。」
『夢中になれる事があって、それを続ける為に苦手な事にも手を抜かない。
私には到底できそうにない。』
「そんな顔しないの!
人は人。沙織ちゃんにしかできないことが絶対にあるんだから、人と比べないの!」
葉月にしていたように、真理先生は沙織の頭を撫でる。
沙織はそれを抵抗することなく、撫でられ続けて、うとうとし始めた。
「もう少し休んでから教室に行きましょうか。
小野寺先生が様子を見に来ると思うから、それまでゆっくり寝てて。」
沙織はベッドで横になり、掛け布団を被って目を閉じた。
「沙織ちゃんは本当に抱え込みすぎよ。」
真理先生からそんな言葉が聞こえた気がしたが、沙織はそのまま眠りについた。