第2楽章
白鷺教授はその後私にピアノを教えてくれた。
実技講師には劣るけれど、なんて冗談を言いながら、それでも十分すぎる才能を感じさせる音を出す人だった。きっとその音は彼の人生そのものなのだろう。彼の音は雄大な草原に吹く風のように吹き抜けることもあれば、底の知れない海の深さを思わせることもあった。
その他に、ひだまりのような暖かさに、つららのような鋭利さを持つ音。彼は様々な音を奏でた。
それらを白鷺教授に伝えると、真似をする必要はない、と伝え返してきた。
「でも、やっと目標が出来たのに」
「僕を目標だなんて思う必要なんてないさ。君の音はすでに充分素敵な音が出ている」
彼は僕をよく褒めてくれた。
作曲家についても良く教えてくれた。彼らが特別優れていた人間だったか? いや、そうではない。私たちと同じようにしか生きていなかった。それよりももっと辛く厳しい生活まで抱えて。
少なくとも私は食うに困ったことがない。
地方コンクールにも何度か出ることが出来るようになってきたが、結局、私はピアニストにはなれなかった。いや、なれなかったのか、ならなかったのか、そこも分からない。
学友の中にはピアニストの卵として海外留学するヤツ、合唱団や合奏団のピアノ担当で就職するヤツもいた。中には全く音楽とは関係ない一般企業に勤めるヤツもいる。
白鷺教授は褒めてくれたが私の音はピアノの音のように広がらない。おそらくチェンバロのように弦を弾く、そんな音なのだろう。誰かに伝えたい、大切なことだ。だけど、伝わるように楽譜を読まなければ共感できない。白鷺教授の言葉はそんな意味があったのかもしれない。
個人ピアノ教室くらいなら開くことが出来た。だけど、多分に漏れず、私も全く違う業種への就職となった。
ここへ来てやはり人間関係が作りにくく、自分の意見を心に閉じ込めてしまう性格が邪魔をしたのだ。
工場での仕分け作業を管理する仕事。それが私の今の職業だ。管理さえしておけば、仕事以外での談話などに関わる必要はなかった。ミスをしないようにだけ管理すればいい。
もともと上昇志向のなかった私にとって、上々の就職先だった。
そのことを惜しんだのは母だけ。
白鷺教授はただ就職を喜んでくれ、ひと言「おめでとう」を伝えられた。しかし、彼は続けた。
「ピアノは弾き続けてくださいね」
どういう意味があったのか、それは分からないまま5年が過ぎた。ピアノを置いておけるほどの部屋を借りる収入もないので、結局その言葉に縛られて実家から出られずじまいだった。時々気になって、留学したヤツの名前を検索してみるが、まだ芽は出ていないようだ。いや、芽ではなくて、花なのかな?
そもそも、その芽を出すことすらしなかった私にそのことを笑えることもなく、もし花が咲いていたとしても羨むことすら赦されないような気がした。
白鷺教授の言葉通り、私はピアノを弾くことをやめはしなかった。仕事に支障の出ない程度の週末になるとソナチネで指を慣し、ソナタへと移る。
弾かない期間が長くなってしまった時は昔から練習前に弾いているハノンから始めた。何時間も指をほぐして終わる時まであった。
指は年々硬く、回りが悪くなる。音の響きもくすんでいる。白鷺教授の褒めてくれていたあの音にはほど遠い。それでも、弾くことはやめなかった。
きっと弾ききった時のあの高揚感が忘れられないのだろう。
音に包まれる、音に酔いしれる、音が世界を創り始める……。その瞬間は、ピアノだけが世界でいい。
10年が過ぎた。
その頃だ。白鷺教授の訃報を聞いたのは。
70歳だった。
私は空を見て、星を滲ませた。
掴んでいたものが泡のごとく消え去る感覚に思えた。光が見えない。そして、私は奈落の底へと……。きっともう誰も私のピアノを喜んではくれない。褒めてはくれない。
その日、平日の夜だというのに、私は自宅のピアノの蓋を開けた。白と黒の鍵盤はきっと白鷺教授の喪に服する為に存在したのだ。そして、もしかしたらこの日のために私はピアノを弾き続けていたのかもしれない。
そう思った。
大きく息を吐き出して、ピアノの鍵盤を深く深く、押し続ける。もっと深い音が出るはずだ。もっと、もっと……。
海の底よりもずっと深い、その悲しみは、まるで頸を締めているかのような響きを乗せて、深夜に響いた。
蒼い光を手向けに。
『月光ソナタ第1楽章』を。