先の見えない道
先の見えない道
藍川秀一
木々がそよぐ音に、耳を傾けるのが好きだった。サワサワと草木が擦り合う音は、自然的という言葉がよくにあった。目を閉じて、そんな風の音を聞き、時間の流れに身を任せる。
現実世界というものは、雑音で溢れている。聞きたくもない声を聞かされて、思考というものをいつの間にか操作されている。教育と言えば確かに聞こえはいいが、どう考えても、洗脳に近いことをしているようにしか思えない。
この九年間を振り返ったとしても、教員から学んだことは限りなく少ない。何か身になっていくものがあると信じて話を聞いてはいたが、なんの意味もなかった。
どんな教員も、言っていることは同じだ。
「勉強をしていれば報われる」「真面目に生きていけば、いい人になれる」そんなことしか言わない。客観的に現実を見つめて見れば、そんなに単純な世界じゃないことは明白だ。真っ当に生きている人間が、必ず報われるわけではない。同様に、適当に生きている人間が人生において失敗するわけでもない。
むしろ後者の方が、わかりやすい幸福を手に入れているように思える。もちろん真面目に生きてきて、そのまま幸せをつかむやつだっている。互いの比率は限りなく五分と五分に近い。
幸せになるやつは、黙っていたとしても、勝手になるということだろうか?
個人の幸福と感じる程度にもよるが、どうすれば幸せをつかむことができるのか、知りたかった。
自分で考え、答えを見つけるべきだということはわかっている。わかってはいるが、いつも立ち止まり、考えてしまう。思考し、導き出した答えが、本当に正しいものなのか、疑ってしまう。
進んでいることは確かに感じている。振り返れば、たどってきた足跡が残っている。でも本当に、前へと向かっているという確証を持つことができない。同じ場所を、繰り返しグルグルと歩き回っているような感覚が、いつも胸の奥底に残っている。
確かな意味を持って僕の中にあり続ける感情は、無価値なものなんじゃないかと思ってしまう。
僕には「夢」があった。
しかし、「夢」というものを心に刻み、それだけを見つめ、前へと進んで来た人は限りなく少ないのかもしれない。自身の力量というものを、どこから持って来たかわからないものさしで計り、自分自身の価値を定める。そして、身の丈にあったことだけをするようになる。
でもそれは、人として間違っていないことなのかもしれない。自分自身というものを知ることで、堪え難い絶望から逃れるというのは、現代人が持っている本能のように思える。
「夢」へと向かうということは、たった一人で、先の見えない道のりを歩いていくということだと思う。
不安は消えないかもしれない。それでも、信じて進んでいくしかない。
〈了〉