第02話 船
どれほど歩いただろう。一キロメートルか、十キロメートルか、百キロメートルか。とにかく、もう距離の感覚もめちゃくちゃになるころ、悪い現状はずっとこのままかと思われていた、その時、それはまた唐突に、進展があった。
「……ん……あ、あれは……家⁉ 間違いない、家だ!」
めちゃくちゃ大きい進展だった。
俺の前方に、まだ遠くて小さい点でしかないが、木造と思われる小屋があった。それこそ、ポツンと。緑一色の草原の中なので、その小屋はここからでも判別できた。
きた! 天がついにやってくれた! バンザイ!
まだまだ意味不明な状況であることに変わりはないけれど、これは本当に大きい進展だ。小屋があるということは、つまりそれを建てた誰かがいるということで、少なくとも俺一人じゃなかったんだ。
涙が出そうになるが、そこはグッとこらえて、俺はがむしゃらに足を動かす。
……こらえられなかった。涙はこぼれた。
そんなことより!
今、俺と小屋との距離は、およそ百メートル(嬉しさのあまりめちゃくちゃになった距離感が復活をとげた)。そこまで近付いて分かったが、小屋というほど小屋ではないっぽい。
そこそこ大きい。普通に一軒家くらいの大きさか。それが、草の海の中に浮かんでいる。
船みたいだ。
草原の海の中にたった一隻で浮かぶ、ノアの箱舟的な、船。
その船に向かって、俺は一所懸命に歩いた。足が棒とはまさにこのこと。もしもこの進展がなかったら、棒ではなく骨になっていたことだろう。フラフラとした足取りで、千鳥足で、頑張る俺。
疲れた。
腹も減っている。さっきからずっと、腹は鳴りっぱなしなのだ。
喉もかわいたし。
……そしてついに、俺は扉の下へとたどり着いた。最後はもう、這うような姿勢での前進だった。傍から見ればゾンビみたいだったことであろう。
うーうー唸ってたし。
「す、すみません」
かすれた声。しゃがれた声。声に限れば老人みたいだ。喉の動かし方を一歩でも間違えようものならば、俺は目の前の木の扉を赤く染めていたに違いない。
それほどまでに渇きが凄まじい。
風は依然として吹いている。爽やかな風だ。……今の俺とは対照的だ。
その空間の中で、待つ。
反応を待つ。
誰かがいてくれと願う。誰か返事をしてくれと、心の中で祈る。
ここまで期待させておいて、もぬけの殻でした、なんてオチは、おい、ないよな⁉ 神様⁉ ないよな⁉
…………。
…………。
…………。
返事は、ない。
絶望。
もう誰もいないのかと諦めかけ、扉に手を伸ばした俺は、しかし。
しかし!
「誰……?」
という小さな返事を聞き逃さなかった。
次の瞬間、自分で開けようと伸ばした手の先にあった扉が、開いた。
風じゃない。
それは明らかに、向こう側から開けられた挙動だった。
「……!」
神よ……。
……ありがとう……!
蚊の鳴くような声でそう呟いた俺は、そこで気を失った。
暗闇に落ちた。
虚無空間に落ちた。
俺の目には最後、誰かが映ったような気がしたが、落下を始める意識の中で、脳はそれを認識できなかった。
とりあえず、助かったっぽい。




