7 トーストとカップスープ
「わぁっ」
自分のあげた声に驚いて体勢を崩し、僕は梶原主任に激突しそうになってとっさにその顔の両側に手をついた。
「う・・・ん」
寝返りをうとうとしたのか、僕の真下でもぞもぞと主任の身体が動いた。でも、それが出来ずに突っ張ったようになって不意に止まる。だって、僕が上に乗っかってるから、そりゃ重みで動きづらくもなるって。
・・・・・そうじゃなくて。
腕の中で止まった主任の、目蓋がごく間近でピクピクと動く。そんなのがはっきりわかるほど近くにいるなんて、見られたら大変じゃないか、と思ってもこの恰好じゃどうすることも出来ない。いや、携帯電話を手離して何とか腹筋で起き上がればベッドから降りることは可能だけれど、そんなことを冷静に考えていられるほど余裕はなかったんだ。
だって、主任、目を開けちゃった・・・・・し?
「あ・・・れ、・・・・・日浦?」
「わ、は・・・はいっ」
距離にすれば20センチ、ないよな、本当に目と鼻の先、そのくらいのところで梶原主任がパッチリと目を開けて、だけど覚めきってない目元で僕を見ると不思議そうに名前を呼んだ。ちょっとはれぼったい目がいつもと違ってなんだか・・・やけに可愛いんですが。
・・・・・どころじゃないだろう。
そう思っても、淡いピンクのカーテンの色のすぐ傍で柔らかい色調の羽毛布団に包まった主任ってばなんかきっと温かいんだろうなとか、そんなことが頭を過ぎった僕はもう気持ちはバタバタしちゃって、でもなんか言わなくちゃ、と焦って、
「おはようございます」
となんとも間抜けな一言を言った。すると、
「・・・・・なんでここに居るの?」
不思議そうな顔のまま、そう返された。
「・・・・・・・・・・」
えー、ちょっとそれってないんじゃないんですか。
そのまんま口から出そうになった僕は、「え」と言う形の口で固まってしまった。主任が僕の右手、と言うことは自分の左側をじっと見上げているのに気がついたからだ。ああ、そうだった、と思って急いで目をやると、すでに携帯電話の呼び出し音は鳴り止んでいた。
うそ、これが止んじゃったらこんなかっこうしてる理由がつかないじゃん。
「ええと、ですね、・・・まずどきますね」
「ええと、とにかく上からどいてくれない?」
おんなじことを口にして、互いに互いの顔を見返してブっと噴出した。
「主任覚えてないんですか、昨日『泊まってけ』って言ったの」
「・・・はぁ?」
「・・・マジで覚えてないんですかぁ」
「あー、えーと」
クスクスと笑いながら僕は主任の上から、もといベッドの上から降りた。羽毛布団の端っこを持ってこっちを見ている主任に、「ああ」と気がついて携帯電話を渡す。
「中山取締役から電話が入ってましたよ、ずいぶん長く呼び出してたから急ぎの用事だったのかもですが」
「えっ」
取締役と付き合ってるという『噂』がある主任、休みの日の朝に電話って言ったら、デートの誘いとかそんなところなのかもしれない。
なんだ、そうだよな、きっとそうなんだよな。
なぜだかそう思うと胸がきゅう、と痛んだ。
こういう色が好きなのか、薄いピンクの携帯電話は主任の手に渡ってそれを見下ろす主任の顔がすっと真顔になったかと思うと、すぐにくるんと目を閃かせて僕の顔に視線を合わせた。
「一応訊くんだけど」
恐る恐るって感じで、半分だけ不安めいた声が聞こえてくる。
「なんにもなかったよ・・・・・ね?」
「あっ・・・」
ぎょっとして僕はその場に直立不動になった。
「当たり前じゃないですかっ当然でしょう」
「・・・・・あたりまえ、だよね」
ほんの少し、返事が遅れたような気がした。
でもクスッと笑った顔がすぐに満開の笑顔になって、そのうち声をあげて「あははは」と大笑いになっていった。
「朝ごはん食べていきなさいね、トーストとカップスープしかないけど」
泪まで溜めてひーひー笑う中で言われたそれに「はぁい」と返事すると、その笑いの勢いに気圧された僕は「顔洗ってきます」と断って、逃げ出すようにしてバスルームを探すことにした。