47 ・・・なかなかだと思わないか?
木曜日は朝からなんだか慌ただしくて、企画室の扉を開けたとたんにあっちこっちから名前を呼ばれて、やれコピーの確認だ、こっちは写真構成の指示はどうだったかと、何で僕にばっかり聞くんだよ、と思って首を伸ばすと、主任の顔も企画課課長の顔も見えなかった。
「あれ?」
美奈ちゃん、課長と主任は?と声を掛けて、くるりと振り返った顔とばっちり目があったところで「うっ」と声に詰まってしまう。
なんつーか、どこもかしこも昨日とは変わんないんだけれどさ、目の前の彼女がこれから母親になるんだとわかってしまうと、どうしても今までどおりに見れないっていうか、なんだか信じられないって言うか、こっちの方がどうにも落ち着かなくなってしまって。
思わずじっくりと見つめてしまったら、美奈ちゃんに「日浦さん、今日なんか変ですよ」と言われてしまった。
「あ、ああごめん」
ちょっと疲れてるのかもなーこのところバタバタしてるからー
ハハハー、と間延びした返事をすると「もう、ちゃんとして下さいよぉ」と拗ねた振りをして笑われた。
うーん、やっぱり可愛いんだけど。
可愛いんだけど、お母さんなんだよね、もう。
そう考えると、女の人ってすごいや、と感服する以外なんにもできなくて、またもやその姿をまじまじと見つめてしまった。
「・・・主任なら、朝一で取締役に呼ばれてそれから帰ってきませんよ」
「へ?」
「課長は香西部長に呼ばれてます、ええと、そうだこれ」
美奈ちゃんは机の上にテープで貼ってあったメモ用紙を取り上げると、
「高野部長からです」
と言って僕に差し出した。
「高野部長?」
商品部の部長が、僕に?
「9時半からの会議、第一会議室で行うので出席をと言うことと」
僕がそのメモを受け取ったのを見て、一言付け加えた。
「その前に、商品部まで来て欲しいってことだったわ」
「僕が?」
「そう、しかも直接伝えてって、言われたけど」
にこん、と笑って「なんなのよ?」と首を傾げる。
だからさ、そういう顔見せられると、昨日の取締役の話が信じられないって。
今日の美奈ちゃんのいでたちはやはり胸元にリボンのついたバルーンタイプのチュニックワンピース、下はショート丈のスキニージーンズで、足元は柔らかそうな革のペタンコな靴、それにもリボンがついてて全体的に「ふわんふわん」とした感じだ。
・・・これも試作品なのかな?
しかも社長の趣味だとしたら、さすがアパレルメーカーの先端を走ってきただけはあるよな、と唸らざるを得ない。だってさ、これだと結構お腹が大きくならないと妊婦さんだってわかんないし、今流行のデザインをさりげなく取り入れて、女性らしさまでアピールしてる。
これは「着せたくなる服」だよな、と納得して、うんうんと頷いてしまった。
「なにさっきからじろじろ見てるのよ・・・私なんかついてる?」
「あ・・・いや、あの・・・今日のファッションはまた最新だなと思って」
「ああ、えへへ・・・ちょっといいでしょ?」
この冬は裾がこうやって膨らんでるのがいいんだって。
ちょっとつまんで見せた格好が、なんだか嬉しそうで思わず、
「美奈ちゃん幸せそうだね」
と言ってしまった。
「やだ、・・・なに言ってるのよ」
もう、さっきから日浦さんったらおかしいよ。
そう言いながら、クスクスと笑うその顔はやっぱり昨日までとは違ってずいぶんと『大人』になって見えて。
「遅れると怒られちゃうかもよ」
と窘められるのまで母親に言われてるみたいで。
僕は「じゃあ行って来る」と言うと、そそくさと企画室をあとにした。
「ああ君か」
商品部の高野部長は、新規プロジェクトの会議前だというのにゆったりと構えて椅子に腰掛けていた。
「資料には目を通してみたか?」
「はい、それと」
「・・・うん?」
なんだ、と目で語られて、僕はこくんとつばを飲み込むと昨日のことを口にした。
「試作品を拝見しました、いいと思いました」
「ふうん、・・・取締役が話したか」
「はい、今朝彼女が着てたのもそうなんですか?」
あえて名前を口に出さなかったのは、高野部長がそれをどう思っているのかがわからなかったからだ。取締役は見るところ賛成しているようだけれど、それはやはり家族であるからで、社会的に見るといかがなものか、と思われるかもしれない。そう感じていたからだ。
僕が聞いたことをじっくりと吟味するように見つめられて、居心地が悪くなって来たころに不意にふわりと笑われた。
「なかなかだろ?」
「・・・はい」
「製品自体はかなり前から企画していたんだ、ただ採算を考えるとどうにもGOサインが出なくてね」
『マーガン』の姉ブランドは考えなくてはならない時期に来ていたんだ。ラウドネス発売と同時に歩んできて、今では第一期のお客様の年齢は30代に近くなっている。10代後半から20代前半の女性の体型と、20代後半から30代の女性のそれは微妙に違う。ウエストラインやダーツの採り方を考えないと、無理に押し込むような印象になってくる。それじゃだめなんだ、そう思わないか?
あの時、ターゲットが違うとアームホールの大きさ一つ違うんだ、と思ったことを思い出した。
「いい機会だから、マタニティも盛り込んで社長にアピールした。君たちにはいきなりだったけどね、来春の新規出店には私も期待してる」
そう言うと、すっと立ち上がって僕のすぐ隣までやってきた。
「日浦君」
名前を呼ばれて顔をあげた。すぐそこにある高野部長の表情は、にこやかに微笑んでいてなにを考えているのかわからない。
「君、商品開発課に来ないか」