46 あれって試作品なんだよ
「うん、まぁね」
ハハ、と力なく笑う顔は今にも自分だって戸惑ってるんだと言い出しそうで、それを見た主任は「なんなのよそれ」と呆れたように言ってストンと椅子に座り込んだ。
「和孝の縁談のこと、聞き出そうと思ってたのに」
「ええと・・・」
だからそれって誤解だって言ってるじゃないか。
そう慌てた取締役の言葉にかぶせるように、なのに社長に子供だなんて爆弾発言もいいところよ、と言って腕を組むと、思い出したように「だって聞いたんだもの」とまた身を乗り出した。
「聞いたわよ、あなたの縁談の話が噂になってるのを。会社でコンペに使ってるゴルフ場の副支配人が漏らしたって」
おかげでこっちはとんでもないことを聞かれたんだから。
話の取っ掛かりを見つけ出して、主任は一気にまくし立てた。
「誰とは言わないけど、あなたの縁談の相手が今ウチの企画室に派遣で入ってる新沢さんじゃないかって言ってきた人がいたわ。彼女、今年の春先から来てもらってたかしら、社長の縁故だって言うことだけれど」
案外社長も、はじめっからあなたの相手にってことで傍に呼び寄せてたのかもね。
そこまで言うと再びフォークを手にした主任は、それでガーリックとアンチョビのパスタを器用に皿に取り分けた。
そうしてしばらくはそのパスタを食べることに集中しているように見える主任が、いったい何を考えてるのか僕にはわからなくって、その横顔をクラッカー片手にじっと見ていた。
だって。
美奈ちゃんの足元を見て、なんだかいろいろ言ってたじゃん。
なのにそれを聞きたださないで、どこから聞いてきたのかそんな噂話をするなんて。
なんか、主任らしくないな。
ぱくん、と口に入れた砂肝のコンフィチュールは、想像していたのとはまったく違って黒胡椒の効いたすごくさっぱりした味わい、こうして食べる前はレバーペーストと同じかなと思っていたから、そのイメージのギャップには本当に驚いた。
なんかさ、主任ってこんな感じなんだよね。
見た目から来る印象と、時々見せる表情がまったく違う。それがすごく新鮮で、見るたびに僕は驚かされる。
でも、今の主任はなんか隠してるって感じでどうもはっきりしない。
なんだろ?
もぐもぐと口を動かしながら見ていると、チラリと僕の方に目をくれた主任が、
「そういえばさ」
と今思い出したように言い出した。
「新沢さん、今日はいつもと違ってローヒールだったのよね、そういえばファッションも緩めのシルエットだったし」
くるんと目線を取締役に向けると、覗き込むようにしてぼそりと言った。
「それこそマタニティみたい」
「・・・あっ」
僕は思わず大きな声を上げると、今頭に浮かんだことをするっと言ってしまった。
「もしかして、美奈ちゃんって妊娠してるの?」
驚いた顔で振り返った主任も、それまで困ったような顔でいた取締役も、僕の一言にうんうんと大きく頷くと声を揃えてこう言った。
「それって和孝の子じゃないでしょうね」
「それって親父の子なんだよね」
「えっ」
「うそっ」
「ちょっと待ってくれよぉ」
ぎょっとした様に動きを止めた主任と、ぐったりして椅子に座り込んだ取締役を前にして、僕は、
「本当なんですか?」
とおそるおそる聞いた。
「うん、そう」
どこかほっとしたように返した後、「理紗子、それはないんじゃない?」と今度は取締役が巻き返した。
「だからさ、僕は祐志だけだって言ってるじゃない」
「そんなのわかんないじゃない」
「全然わかるって、僕の運命の人は祐志だけ」
きっぱりと言い切った取締役に、「だったらさっさとそう言って断ればいいじゃないの」と主任は不満げに言った。
「和孝が社長にはっきりとそう言ってしまえば済むことなんじゃないの、それなのにぐずぐずしてるから縁談なんてのをあっちこっちで言い触らされるのよ、でしょう?」
急に僕に話を振られて、「や、まぁ、そう、ですね」とどぎまぎしながら応えた。それを聞いた取締役は、どうにも困った様子で「そうなんだけどさ」と呟くと、ほう、と一つ溜め息をついた。
「祐志がいやだって言うんだもんさ、僕が勝手には言えないって」
「・・・そうなんですか」
「そうなんだよね」
なにを考えてるのかってのは、僕の方が聞きたいよ、と言うと、まだ納得しかねた顔をしている主任に向かって
「前々から、僕は会社の跡は継がないっていってるんだ」
といきなり切り出した。
「え?」
「だって、祐志と一緒に生きるって決めたから、僕には将来に続く跡取りを作ってあげることは出来ない、だから社長にはいつまでも同族会社でいるんじゃなくて能力のあるものに会社を任せることを考える時期に来ているって進言してるんだ」
でもまぁ、祐志の事はまだ話せてないけどさ。
ふわりと笑った顔はずいぶんと穏やかで、荒木さんとの事を主任に話せたのが嬉しいと物語っているようだ。
「で、そんなときに美奈子さんのことがわかって」
彼女とは雑誌の撮影の時に知り合ったみたいなんだよね、彼女はウチの会社のモデルはやってなかったんだけれど、何度かスタジオで顔を合わせてるうちに食事でもと誘ったんだろうよ、親父がさ。どうりで去年から今年にかけて、理由もないのにスタジオ撮影があると見学して来るってよく言ってたんだよ。
クスリと洩らした笑みが、取締役もそれを嫌がっていないことを教えてくれた。そうだ、だってあの時も大事な身体だって、言ってたんだもん。
「親父もお袋が死んでから10年経ったんだもんな、好きな女性が出来ても構いやしないけどさ、でもさすがに自分よりもかなり年下だって知った時には驚いたよ」
それでなんだよ、その彼女に子供が出来て、なんだか僕が結婚していないってのが気になったらしくっていきなり縁談だなんて言ってるのはさ。
参ったよ、と洩らす取締役に、主任は「でも、じゃああなたの考えじゃないって事ね」と念を押した。
「当たり前だろう、親父は自分が結婚する時に、僕にも一緒に式を挙げろとかっておかしなことを言ってるってだけなんだ」
なんだかそれも凄いですね、というと、だろう?おかしいよな、と即答された。
「じゃあ社長は本気で新沢さんと・・・・・」
主任が信じられない、と言いながら呆然と取締役を見返すと、
「だってさ」
とまるで種明かしをするように小声で囁いた。
「彼女のお腹が大きくなってきたら、どんな服を着せようかってマタニティ雑誌を眺めていて、こんなんじゃ納得できないっていって試作品を作らせるくらいの入れ込みようなんだって」
「え、試作品?」
「それってもしかして」
僕と主任が即座に聞き返すと、「そうそう」と嬉しそうに頷いて言った。
「今日彼女が着ていたワンピース、あれが新しい『マーガン姉ブランド』の試作品なんだ」
美奈ちゃんの、清楚で柔らかい印象を強調したようなボレロスーツを思い出した。