43 ・・・そんなはずはない
「日浦」
企画室に入ったとたん、目が合った主任にちょっと、と呼ばれてデスクに着く前にそっちへ足を向けた。途中佐々木先輩の顔がなんだかやけに嬉しそうにニヤついているのが気になったけれど、それよりも僕も主任に言っておいた方がいいかなと思うことがあったから、気にすることないやと思って通り過ぎた。
「日浦、和孝が今どこにいるか知らない?」
ファイルを片手に持って、はたから見れば仕事の打合わせって見えないこともない、でもちょっと接近しすぎな距離かなと思える近さで主任が耳打ちしてきた。こういうのって、なんかドキドキする、と思わずときめいた自分に余計にドキドキしながら、ええと、と返事をした。
「あ、取締役なら今まで一緒でしたけど」
で、1階の人事課に行くって。
続けて荒木さんのことを話そうと思ったら、
「・・・・・和孝を捕まえなくちゃ」
とずいぶんと怒りお抑えた、不穏そうな声色でいう。
「なに、どうかしたんですか」
つられて僕も小声で問いかけると、ちょっとここではね、と言いながら
「今夜時間ある?」
と言ってきた。
「え、ええ」
「じゃあ、一緒に話を聞いてくれない?」
「話?」
「そう、和孝の、だってあいつ・・・」
そう言いかけた目の前を、美奈ちゃんがコピーするための指示タグを山ほどつけた雑誌を抱えて横切っていった。いつもは軽やかに飛び跳ねるようにして歩くのに、よっぽど重たいんだろうかなんだか一歩一歩慎重そうに見える。
「・・・新沢さん、今日はローヒールなの?」
ああ、とさっき僕も気がついたことを口にする主任に、僕は笑って応えた。
「今までずっとかかとの高いヒールだったから、なんかいきなりって感じですよね」
「日浦も気がついてたの?」
「え、いやあの、社員食堂からエレベーターに乗るときに飛び込んできて」
危ないじゃん、って言ったら一緒にいた取締役が凄い剣幕で『無茶は困ります』って言って、それがまた本当にきつい声でなんか妙な雰囲気だったからそれ以上は聞けなかったんだけど。
あれってなんだろ?
その場のことを思い出して、やっぱり妙だよなと思っていたら、それを聞いた主任がひどく驚いた様子で美奈ちゃんの後姿を見つめていた。
「まさか、ね」
「え?」
「・・・とにかく和孝に確認するのよ」
もし違ってたら祐志に悪いし、間違ってなかったらなかったで祐志に悪いんだけど、そんなはずはないし、そうよ、そんなはずはないもの。
ブツブツと繰り返す言葉を聞いて、エレベーターを降りてふと頭に浮かんだ言葉を思い出した。
「取締役の縁談、のことですか」
「えっ、それなんか言ってた?」
バッと振り返って、僕の肩をつかんできた。
「急だしとか、思っても見なかったとか、・・・失敗しただとか」
「なんですかそれ」
「いや、言わなかったのならいいのよ」
そう言うと、ふぅ、と大きな溜め息をついて腕を組んだ。
こうしていると、どうもあの甘い眼差しが夢か幻かってな感じに思えてくるのは僕の方だけなのかな?
今すぐにも触れることが出来る距離にいるのに、ひどく遠く感じるのは僕だけなのかな?
何があったのかさっぱりわからないだけに、僕の不安はいっそう増して、どうしていいのかわからなくなる。
まいったな、本当に自信がなくなってきたみたい。
きりりと前を見据えて何かを考えている主任の傍で、僕は一人で途方にくれていた。




