42 リボンとローヒール
なんか変だ。
『嘘だろう』
あの声は、明らかに戸惑っていた。
それは、最初僕が先輩と同居してるって言う事に対してだと思った。 まぁ、そりゃあ僕だって転がり込まれたほうで、すごく迷惑って訳じゃないけれどいつまでもこんなの続けてはいられないよな、と思っているし、それに彼女だとばっかり思っていた涼子さんとは実の親子なんだとわかって、別に喧嘩してるわけでもなんでもないのなら、家に帰ってもらって構わないんだから、とは正直思うけど。
でも、そうじゃないんだあれは。
先輩が、荒木さんと知り合いだってことを解って出たセリフなんだ。
それってどういうことだろう。
隣に立つ取締役の顔を、失礼にならない程度に気をつけながら見つめる。
取締役はあれから、それについては何にも言わなくなっていた。
1階の人事課まで降りると言った取締役に連れ立って、階段で降りればいいところを僕も一緒にエントランスでエレベーターを待っていた。なかなか来ないと思っていたそれがチンと音を立てて扉を開けたとき、
「あ、待ってっ」
バタバタッと後ろから駆けて来る人があった。
「わ、間に合った」
「美奈ちゃんっ」
閉まりかかった扉に慌てた僕と取締役が、それを押さえているところに、美奈ちゃんがぽぉんと足を蹴って飛び込んだ。
「なんだ日浦さん、よかったぁ階段使わなくちゃなんないかと思った」
「よかったじゃないよ、危ないじゃん」
腕に絡んできた美奈ちゃんに、もう、と笑いかけた僕の隣で、取締役がすごい怖い顔をして立っていた。
「・・・美奈子さん」
「あ」
やだ、取締役もいらしたんですか。
えへ、と舌を出した顔が、微動だにしない怒り顔に次第にしゅんとして泣きそうになっていく。ああ、もうちょっと優しく接してやったっていいじゃん、と僕が言いそうになったとき、
「大事な身体だ・・・無茶をされては困ります」
短いけれど、ビシリとした口調で取締役が美奈ちゃんに向かって言った。
「ごめんなさい」
美奈ちゃんは僕の方をチラチラ見ながら、でも何を言われているのかちゃんとわかってそう返事をした。
・・・・・ん?
ってさ、これってもしかして僕が目撃しちゃいけない場面だったんじゃ?
「・・・あの」
と声を出しては見たものの、その場の空気があまりにも緊張しててそれ以上の突っ込みは出来なくて。
なんか変だよ。
頭の中でそう思うことしか出来なかった。
でもそれっきり、目を合わせないで真っ直ぐ前を向いていた取締役が5階に着いた時、
「じゃ」
とエレベーターを降りた僕にだけすっと手を上げて、扉の向こうに消えていった。
「美奈ちゃん」
「えへへ、怒られちゃった」
「いやそうじゃなくてさ」
君は取締役となんか関係があるの?と聞きそうになって、そのときポンと思い出したのは『取締役の縁談』で。
自分の発想にとんでもなく、
『うそっ』
っと思ってしまった。
「・・・なに?」
立ち止まってしまった僕を振り返った美奈ちゃんは、「なんでもないよ」ととっさに返した僕に、
「そう?」
と不思議そうな顔をして、でもすぐににっこりとかわいい顔で笑って先に企画室のドアを開けて行った。
いつもながらの清楚なボレロスーツ、ふわりと広がったスカートは胸のところから切り替えのあるワンピーススタイルで、きゅっと結んだリボンがより可愛らしさを演出しているデザイン、それは自社ブランド『マーガン』のものだけれど。
その後姿を見てあれ、っと思った。
今日はかかとの高いヒールじゃなくて、滑りそうもない幅広のローヒールだ。
それが何を意味するのかわからない僕は、この先の流行なのかな、とそのとき思っていた。