40 梶原理紗子のユウウツ<8>
「そうそう、聞いた?」
結局アイスクリームは食べる気がしなくて、佐々木にどうぞと言って差し出した。すでにすっかり食べ終わっていた佐々木は、コーヒーをすすりながら「えーでも太っちゃうから」と言うけれど、それでも手は引っ込めなかった。
「・・・なにを」
まだなにかあるのかしら。
ふぅ、とまた出そうになった溜め息をかみ殺して私が聞き返すと、佐々木は目をキラキラさせながら、「実はね」と喋りだした。
「取締役、どうも結婚するらしいわよ」
「えっ」
思っても見ないところから出てきた話に、何であんたが知ってる、そう言いそうになってぐっと息を詰めた。
「うふふ、やっぱり驚くと思ったわぁ、あなたは取締役と噂にもなったしね」
「やだ、それは周りが勝手にしてただけで」
「わかってるわよ、だってあなたは日浦が来た時から・・・」
「あああ、日浦の話はいいわ、で、なにその結婚って」
両手をふるふる振って押しとどめて、佐々木の話を元に戻させた。まさか、もう社内で噂になるくらいの話だったのかしら、でも私は昨日が最初だったのよその話を聞くのってば。
いったいどこから聞いたんだ、と佐々木の顔をじっと見返すと、
「そんな怖い顔しないでよ」
とつんと顔を逸らして、アイスクリームの器に視線を移した。
「ねぇ、それ誰から聞いたの」
「・・・誰だっていいじゃない」
「だって、それって会社ではまだ誰も知らないんじゃない?」
「そりゃぁ・・・」
スプーンを加えた口が、「あっ」と言って舌を出した。
「じゃあ、外注先?」
まさかと思ってかまを掛けた。祐志の母が知っていたのなら、取引している会社の誰かがこの佐々木に漏らしたと言うことはありえる。
「外注って言うか」
「じゃあどこ?」
教えてよぉ、なんならまだ時間があるからケーキでも食べる?
ウインドウに並んでいたティラミスを思い浮かべながらそういうと、「そうねぇ」と思案した顔が、ストロベリーチーズケーキがいいわと言ってきた。
「ゴルフ場の副支配人からなのよ」
佐々木はチーズケーキが来ると、ニコニコとしながら意外なことを言った。
「ほら、年末恒例のゴルフ大会があるでしょ?あれで使ってる武蔵野カントリークラブの副支配人、あの人私の高校時代の先輩なのね。で、その人からこの前大会の打ち合わせで出向いた時に聞いたの。社長が仲間内に言ってるらしいのよ、いい縁談があるって」
「社長が」
昨夜聞いた話と同じだ。社長は本当に和孝の縁談を考えているらしい。
まずいな、と思ったとき、佐々木はもっと意外なことを口にした。
「でもね、その相手ってどうも私、わかっちゃったようなのよ」
「は?」
なにをいきなり、そう思った目の前で、佐々木はストロベリーチーズケーキの一きれを大きな口をあけて飲み込んだ。
「新沢さん、あの子がそうよ、きっと」
「・・・うそぉ」
冗談でしょ。
ティラミスを掬っている手が思わず止まる。・・・まさかそんな訳はない。
でも、佐々木は自信たっぷりに喋り続けた。
「だってこないだ聞いちゃったんだもん」
ほら、荒木さんが打ち合わせに来た月曜日よ、日浦のところにすごい勢いで取締役が来て、で彼を追い出してから言ったのよ。新沢さんに。
「すんごく丁寧な言い方でさぁ、『美奈子さん、困るんですけど』 なんて言うんだもん、なんだなんだって足が止まっちゃって」
ほんの一瞬だったから、誰も気がつかなかったと思うけど、あの子も甘えたような顔するんだもんおかしいなと思ったらピンと来たのよ、ああ、これがあの副支配人の言ってた縁談の相手かしらって。
「新沢さんは社長の縁故だって言う話しだし、なんか訳ありだとは思ってたのよね」
最後の一口になったコーヒーを飲み干して、佐々木は満足げに頷いた。
「・・・・・ほかには言ってないでしょうね」
「当たり前じゃない、私は噂話って好きじゃないのよ」
それはどうだか、と疑わしげに佐々木の顔を見つめ返して、ほんの少し考えてから伝票を取り上げた。
「誰にも言わないでね、変な風に広まったら困るのはこっちの方なんだから」
暗にあなたと私は同じネタを知ってる共犯だと言い置いて、佐々木を促して立ち上がった。「自分の分は払うわよ」という佐々木にいいわと言いながら、これはすぐにも確認しなくちゃ、と決めた。
ここのお昼代くらい、情報料として和孝に請求してやるわ、と思いながら『La fiore fiorisce』を後にした。