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36 だって可愛くって

「はいって」


 地下駐車場に入ったときからずいぶんとでかいマンションだなとは思っていたけれど、こうしてリビングまで通されるとさすがというかなんというか、僕の高円寺の部屋なんかとは比べ物にならないくらいの広さがあって、眼下に見える夜景がさっきまで車窓から見えていたのと同じ街のイルミネイションかと思うと、何階だったっけと気になってどうにも落ち着かなかった。

「相変わらずね」

 まるでモデルルーム、人が住んでないような部屋よね、と主任は僕に笑いかけると勝手知ったるという素振りで真ん中のソファまでやってきた。その後ろについてきたはずの荒木さんは、リビングの入り口で黙って腕を組んで立っていた。



 あの後、路肩に止まっていた取締役の車でそのままこの恵比寿のマンションまで連れて来られた。

 大通りに出るとちょっと先に六本木ヒルズが見えてきて、田町に行くんならそこを左に曲がるんだけれど、今夜は否応無しにハンドルは右に曲がった。

 僕は助手席に座って後ろの二人をバックミラーでチラチラと見ていたけれど、取締役の方は気にした様子はまったく見せずにとにかく車を流れに乗せて走らせていた。証人って、なんか大ごとになってんのかな、とそう思ってもこの雰囲気じゃ誰に何を言っても返事は返ってきそうもないよなと諦めて、結局僕はこの三人とここまで来てしまったのだ。



「コーヒーでも淹れようか」

 僕と主任がソファに腰掛けるのを待って取締役がそう言うと、それに応えたように荒木さんは動いて、あれっと思っているうちに廊下に向かってそのうちバタンという音がした。ここまで歩いてきた時に見た、どこかの部屋のドアが閉まったのだとわかった。

「・・・いいんですか?」

 荒木さんに説明するって言ってたんじゃ、と僕が気になって訊くと、

「うん、まぁでもこうして連れ戻せたわけだし」

 と取締役は苦笑交じりに返してきた。

「で、和孝、それで?」

 キッチンへと歩いていった取締役の背中を追いかけるように、主任が言葉短く訊いた。カウンターの向こう側に立つまでその返事は返ってこなくて、コーヒーメーカーから軽くブーンと言う音がしはじめてから、「だからそれはさ」と心底参ったという顔で言い出した。

「縁談のことだろ?こっちはその気が全然ない話なんだって、僕だってつい先週聞いたばっかりで」

「あきれたわね、自分のことでしょ」

「・・・まぁそうなんだけれど」

 ハハハ、と笑うとコポコポといい音と匂いをさせはじめたコーヒーを注ぐ為、食器棚からカップを取り出した。真っ白いのなかに青いラインが目立つそれはたしかどっかのブランド、そこまで気がついたけれどちょっと離れたこの距離じゃ確認は出来なかった。

 それにしても、と今顔を向けているキッチンからグルリと視線をまわした。黒が基調の調度品と窓際には脚の長いスタンドが一つ。主任じゃないけどこれじゃどこかのホテルのような感じがして、こんなところに1人暮らしなんていったいどんな気分なんだろうな、と思わず気になってしまう。

 それとも。

 いなくなってしまった荒木さんのことが頭を過ぎる。

 一緒に暮らしてる、とか。

 不思議なことに、それには違和感を感じなかった。思えば僕だって、いくら居座られたからといっても先輩と一緒に住んでるんだし、共同生活っていう意味では他人と暮らすのはあんまり嫌だとも思わないし。

 でも手馴れた手つきでコーヒーを淹れる取締役があの人と、と思うとどうにもピンとこない。

 うーん、と考えているところに「どうぞ」とそのコーヒーが差し出された。

「その気が無いって、じゃあ祐志は誰からそれを?」

 主任は向かいに座った取締役を追及する手を休める気はないらしい。それに困り顔で「だからさ」と返して、ゆったりと脚を組み替えた。

「親父が仲間内に洩らしたらしいんだよな、僕の縁談を考えているって。でそれがどうしてか祐志の会社の誰かの耳に入ったらしい」

「・・・は?」

 誰かって、もしかして母親?

 カチャンと手の中のコーヒーカップが音を立てて、驚いている主任に「まぁね」と応えると、あーあ、と溜め息をついた。

「・・・でもさ、君たちのお母さんってそういうのに動じる人じゃないじゃん、祐志にこんなことがあるらしいわよって言ってくれちゃって、でそれが先週の金曜」

「ああ、・・・帰ってこなくなった日ね」

「そ、でそれから祐志には逃げ回られてて」

「ちゃんと説明しないからでしょ」

「しようとしてるさ、なのに聞いてくれないんだって」

 だからそこを理沙子からも何とか言ってやってよ。

 僕は二人の会話を黙って聞いていた。意外においしいコーヒーは、あと半分残っていた。

 こうしていると、どうしても気になることがあった。

 取締役、なんだかさ。

 嬉しそうに見えるのは何故なんだろう。

 その僕の疑問は、主任も感じていたらしい。苦笑しながら返事をする取締役に、「何でそんなにニヤニヤしてんのよ」ととうとう噛み付いた。

「だって」

 クスン、と笑って取締役は言う。

「そんなに怒るほど、僕のこと好きだったのかって思うとさ」

 ククク、とそれまで以上にニヤついて、コーヒーカップを両手の中に収めてしまうとなんとも幸せそうに呟いた。

「可愛くって」



 バタン、と後ろで音がしたかと思うとバタバタと足音がして、僕のすぐ後ろでドスン、と大きな音がした。

「・・・祐志」

 主任が僕の隣で目を真ん丸くしている。

 何事?と振り返ると、荒木さんが大きなバッグを脇において立っていた。

「日浦君」

 有無を言わさぬきっちりした声が、僕の名前を呼んだ。

「今夜から君のところでやっかいになる」

「はぁ?!」

 なんでそうなるの?

 待ってくださいよ、と言う僕の声は全然耳に入っていないようで、ソファにかけた僕のジャケットとバッグを攫むとそれをまるで人質にでも取ったように悠々と玄関に行ってしまった。

「・・・・・マジ?」

 何が起こったのかと呆然とする二人をおいて、僕は慌ててその後を追いかけた。


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