35 いい加減にしなさいっ
「荒木さん」
その声で主任が飛びのくようにして僕から離れると、向こうからやってきた荒木さんも僕たちに気がついてぎょっとしたように足を止めた。
「祐志、なにしてるの」
「なにしてるって」
不審そうな主任にむすっとした顔で返事して髪をかき上げると、そこで初めて僕に気がついたように「君は」と目を向けてきた。
そういえばここって歩道の真ん中で、そりゃ人の通りは少ないけれど一応往来な訳で、そんなところでこうやって抱き合ってたりしたらやっぱり不審だよな、とそこのところを咎められるとちょっとまずいかもと思っていたら、
「・・・いつの間にそういうことになってたの?」
意外そうに聞いてくるのに僕よりも先に主任が、「そうじゃないったら」と手をバタバタさせて答えた。
「そこのお店で一緒になっただけで」
「いや、あの違います」
主任の弟さんだってわかってる今はちゃんとご挨拶しなくちゃ、と一歩前に出て名前を名乗ろうとしたら、「ああ今それどころじゃないんだっ」とすぐに立ち去ろうとするから、僕も主任も「えっ」と驚いているうちにもう一人、車道から走ってくる人がいた。
あれ。
・・・もしかして。
取締役?
走りこんでくるその勢いに圧されて僕が後ろに下がろうとすると、それを見て荒木さんがなんだか慌てて逃げ出そうとするから、それを主任ががっちりと腕を取って引きとめた。
「離せよっ」
「だって祐志、和孝が」
「だから離せって言ってるんだろ」
「でもっ」
何がどうなってるのかさっぱりわからなくて、僕は気持ちだけがあたふたしてただぼーっと、そこに立っているだけだった。
「・・・ゆうじっ」
その僕の目の前にぎゅっと腕が伸びてきた。
「待てよ、なぁ」
中山取締役は、僕どころか主任も目に入っていない様子で、ひどく困ったと言う顔を見せて荒木さんの肩に取りすがった。
「ついてくるなって言ったろ」
それをいともあっさりと振り払って、まるで汚いものでも触ったかのようにジャケットの肩をパンパンと払う。
マジかよ。
露骨じゃないですか。
目を丸くしている僕の隣では、はらはらと心配そうに二人の顔を見つめている主任がいて、それはどう見ても好きな男がいきなり現れたって感じじゃなくて。
でも中山取締役の名前を呼び捨てにしてるってのは、どういうことだって、ちょっと、いやかなり気になってるんだけれど。この状況であっても。
そうこの状況、今まさに取締役が荒木さんの胸倉でもつかみかかるんじゃないかって、緊迫した状態で、荒木さんのほうはというと、ちょっとでも相手が動けば握っているこぶしがぶんと飛んできそうなすごい剣幕で、きりりと取締役の顔を睨んでいる。
いざとなったら僕が間に入って止めなくちゃいけないんだよな。
と思って覚悟を決めて、ふぅっと大きく息を吐き出したら、
「あんたたちいいかげんにしなさいよっ」
主任が大声で怒鳴りつけた。
「・・・理沙子」
「理沙子じゃないわよ、和孝」
ずいっと身体を二人の間に出すと、両方をじろりと見回してから取締役の顔に焦点を当てる。 そして、
「和孝、縁談って何?」
前後の説明をすっ飛ばして、いきなりそうそう訊いた。
え、っと驚いたのは荒木さんのほうで、取締役はというとひどくムッとして「違うって」と顔を顰めながら言い捨てた。
「それは誤解だってさっきから言ってるんだ」
「じゃあ私にもちゃんと話しなさいよ」
「そうしようと思ってるさ」
取締役の返事は主任にだったんだろうけれど、目はずっと荒木さんのほうを見たまま逸らさないでいる。荒木さんはそれを嫌うようにしてそっぽを向いて、なんだかこれって、あれっもしかしてと思ってみたりして。
もしかして、取締役って主任とじゃなくて。
荒木さんと、だったりとか。
え。
そう考えると、いろいろすっきりしそうな気がする自分がにわかに信じられなくて、
「・・・うそ」
思わず声が洩れた。
「日浦君、君居たのか」
ぼそっと出た言葉に気がついて、取締役が僕の方を向いた。
さっきからずっと目の前に立っているのに、今初めて現れたようにいわれてなんだかそれこそ「うそ」と思うんだけれど、僕と主任を交互に見比べて何を思ったのか取締役は、
「君たちも一緒に来てくれ」
と、なぜか僕の手を取って今来た道を元に戻ろうとした。
「え、なにっどこに行くの」
「和孝、お前何考えてるんだ」
「なにって」
振り返った取締役は最初の困った雰囲気は微塵も感じさせないで、きっぱりと言い切った。
「事実をきちんと説明して、祐志にわかってもらう、それだけだ。・・・理沙子と」
そこで僕の腕をつかんでいる右手を掲げて、荒木さんに向かって笑いかけた。
「この日浦君は僕の証人になってもらう」