34 やっといえた告白
「日浦」
表に出て、右左と顔を振ってみたけれどこんな狭い小路では空のタクシーがやってくる気配はない。
大通りまで出なくちゃいけないな、そう思って先を急いだ。
僕はこの人が好き、と自覚してみたものの、どうしよう、となんだか今になってドキドキしてきた。でも僕の手の中にあるのが主任の細い手で、それがしっかりと僕の手を握っているのを感じて、それが嬉しくて。
なんかこう、むくむくと湧き上がってくる感情で身体が浮いてきちゃうくらいの高揚感、と言ったらいいのか。
それが僕を動かしてる感じで。
どんどん歩いていって、じゃああそこの角まで行ったらタクシーを捜してみよう、そう思っているところで、
「日浦っ」
ぐっ、と後ろに引っ張られた。
「・・・主任」
振り返るとちょっぴり頬を赤くして、ハァハァ息を切らしている主任がそこにいた。
あれ。
僕はそんなに大股で歩いてましたっけ?
悪いことしちゃったな、と手を離して「すいません」と言うと、どん、と胸を拳で突かれて驚いた。
「?」
「なにさっきの」
「え?」
「さっきのっ、なによ今夜は帰んないかもってっ」
「あ、あの」
そうだ、そう言ったんだ。
「ええと、さっきのは」
上原先輩に向かって、本気で思って思わず出た言葉。そう言おうと口を開いて、きりっと顔を向けた主任と目が合った。
「わたしそんなにっ」
そこでいきなり口を噤むと、くるりと背を向いてすいっと上を見上げて大きく息を吸った。深呼吸、そんな感じの主任につられて僕も胸いっぱいに空気を吸い込むと、ほぅ、と息を吐いた。目を向けた先に見えるのは飲食店が多く立ち並ぶこの通りだけれど、先輩の店は1本中に入っている所為であまり人通りが多くない。すぐそこには大通りに面した明るい街灯が立っていて、それに照らされて主任の顔がくっきりと浮かび上がった。
綺麗。
そう思った。
見た目だけじゃなくて、その存在そのものがとても、すごく。
「・・・土曜日のこと、誤解してるんでしょ」
背を向けたまま、主任がぼそりと呟いた。
「はい?」
「酔っ払って誰でも家に泊めちゃう女だとでも思ってるんでしょ」
「そんな」
なに言ってるの?
言われたことの意味がさっぱりわかんなくて、僕は主任のことを抱き寄せようとして伸ばした手を叩き落とされた。
「主任それは違いますって」
「だってっ」
ぶん、と見上げてきた顔はなぜだか今にも泣きそうで、僕はいったい何をしちゃったんだろうと焦って今度はオロオロしてきちゃって。
とにかく話を聞いてもらわなくちゃ、と今にも走っていってしまいそうな身体を逃がさないようにもう一度手を伸ばして。
また背中を向けた主任をやっとのことで捕まえて、ぎゅっと抱きしめた。
「主任」
ビクリと肩が震えるのがわかってなおさら力を込める。
「だって」
「主任、僕は」
「だってまだ私、何にも聞いてないものっ」
え。
「日浦から何にも聞いてないものっ、なのになんでいきなり帰らないだとか、それにあの、上原って人っ」
腕の中の身体を僕は必死で抱きとめた。
前にのめりそうになりながら、声を震わせる主任を一生懸命抱きしめた。
先輩が何を言ったのか、すごく気になったけれど今それを聞いたら何もかもが台無しになるような気がした。それよりも、もっと大事なことを伝えなくてはならないんだ。
「僕は主任が好きです」
強ばっていたその身体から、力がふっと抜けたのがわかった。
「うそ」
「嘘じゃないです」
「ただの憧れでしょ」
「違いますよ、もう」
頬に手を当てて、振り向かせようとしたらそこに主任の手が重なった。少し冷たい指先が、まだふるふると震えていることを教えてくれる。
「本当に、主任が・・・理沙子さんが好きです」
耳元で主任にしか聞こえないように囁くと、腕の中の身体が柔らかく姿を変えてゆっくりと振り返った。うっすらと盛り上がった涙で潤んだ瞳が、閉じていくのを目の前にして僕はその口元に引き寄せられるように近寄っていって。
近寄っていったんだけど。
キーッと引き攣れたようなタイヤの急停止した音が、耳に入ってきた。
「待てよ、祐志っ」
・・・・・祐志?
ってどっかで聞いた名前だけど。
「お前なんか知るかっ、ついてくるな」
バタン、と大きな音がして、バタバタバタッと人の走ってくる足音がこっちに近寄ってきて、それってやっぱり、絶対確実に、僕の知ってる人だったんだ。
「荒木さん・・・・・」
僕は主任を抱きしめたまま、呆然とその名前を呼んでいた。