31 夢見るような恋の話
「言わなくたっていいって、男の人ってすぐそう思うのよね」
「そんなこと思いませんよ」
「あら、じゃあ言った?」
テンポよくするっと聞かれて、「いえ」と答えてしまっていた。
「どうして!もう、ダメねぇ」
ダメねぇって言われてもなぁ・・・。
うーん、と軽く落ち込みながら涼子さんの言葉を聞いていた。好きって自覚したのはホント昨日だし、とたんに失恋したんだって思ったのにそれがどうもとんでもなく見当違いだったってことがわかったのがついさっきだし、なんだけどそれがどうにも僕の知らない方向に話が進んでいって、それを主任に直接聞けないまま、なんかこのまま今夜は終わりそうで。
どうしよう、それが本音だった。
「顔がいいとかスタイルがいいとか、そういうことしか言わないのよ男って」
「はぁ」
「はぁじゃなくて、あなただって彼女のこと美人でかっこいいとしか思ってないでしょ」
「いや、あの」
「可愛いとかって、思ったことある?」
「あー、えーと」
「ほら、ご覧なさい」
まったく、涼子さんはそう言いたげに軽く手を振ると、カウンターに肘をついて背筋をきゅっと伸ばした。なだらかな背中のラインと組んだ脚までを包んでいるのは柔らかそうなジャージー素材のワンピース、袖口が広がっているのがアクセントの黒に近い臙脂色で動くたびにぬめるように見える。どう見たって先輩の母親って感じじゃないよな、と何故だか急にどきどきして、手の中のウーロン茶を慌てて一口飲んだ。
「圭一ってもてるじゃない」
いきなり、涼子さんはくるりと僕の方を向くと言った。
「ね、なんであの子があんなに女の子にもてるか知ってる?」
「・・・そりゃ、かっこいいし優しそうだし」
突然振られてケホケホとむせながら、僕は思ったとおりの事を言った。
「優しそうね、ま、確かにそうなんだけれど、あの子ガツガツしてないでしょ」
わかる?誰にでも、どんな子にでもみんなおんなじ。
言われてVIPルームに行ってしまった先輩を、思わず振り返った。いつも愛想のいい顔をしているばかりじゃなく、怒る時だってそういえば男も女も関係なくきっちり怒るし、声を掛けられれば気軽に返事する、嫌な顔ってあんまり見たことない、それが『上原圭一』、先輩だった。
「どの子にもおんなじ顔して、しかも見た目がいいから誰だって寄って来るのよ。あの子の父親と同じでね」
そこでふっと何かを思い出したように言葉を止めて、口元をきゅっと引き上げて笑った。
「あの子の父親はねぇ、あの子なんて目じゃないくらいかっこよかったのよ」
どこか嬉しそうな口調は、そのあと饒舌に恋の話を語りだした。
すごくかっこよかったの。
まだ店に入って踊ってるなんて言う年じゃなかったから、原宿のホコテンで、あ、ホコテンってわかる?歩行者天国、車が入ってこないようにしてもう昼間っからみんなで踊るのよ、ローラースケート履いて。ローラースケートって、わかんないか。
彼はその中でも一番光ってたわ。
他にもブラックコンテンポラリーとかテクノとか、いろんなサウンドやファッションで決めてる子達がいたけれど誰も彼には敵わなかったわ。そのころはテレビでも袖や裾にフリルとかくっつけてローラースケートでぐるぐる踊るグループなんかが出てきて、でも私たちはこっちの方がモノホンだって息巻いてたの。
私はもうずっと彼の追っかけをしてて、出来るだけ目立つようにいつも跳ねてたものよ。サーキュラーのスカート履いてね。
誰にだって優しかった彼がある日ね、私に言った事があるのよ、「お前学校どうしたんだ」って。私まだその頃は本当は学校に行ってなくちゃならない年だったのね、だけど日曜っていったら1日中彼の周りで踊ってるでしょ、平日だって昼間っから彼がバイトしてる店に入り浸っててほとんど行ってなかったの。だって、彼の方が大事だったんですもの。
そしたらすごく怒られちゃって。
自分をもっと大事にしろって。親が学校行かせてくれるって言うんなら、ちゃんと行って勉強もちゃんとしろって言ってくれて。
そんなこと言ってくれる人なんていなかったのよ。
親は私が家に居ようが居まいが関係無しで自分たちのことに掛かりっきりでしょ。あ、会社をやってたのね当時は流行ってたゲームとかを輸入販売してたのよ、また最近出てきてるじゃない?ルービックキューブとか、ああいうのを売ってたの。もう昼も夜も電話がなりっぱなしの会社で、子供なんて構ってられなかったのね。
学校では先生がもう来るなっていう態度でね、ちょうど不良とかスケバンとか、そういうのがかっこいいってもてはやされた時期だったのよね、そういうのって何度も繰り返すじゃない。
ま、私はそれの先端を行ってたのね。
今でもそうだと思ってるけど。
そんな私を彼は優しく包み込んでくれたの、ホントのお前はもっといい子だろって。俺はわかってるんだなんていわれて、もう夢中になったわね。
夢見るような眼差しと言うのはこういうものなんだろうか。
うっとりと話をするのに僕は口も挟めないでただ聞き役に廻っていた。
でも、それっていったいいくつの時の話なんだろう。 なんだか気になって、口に出してしまう。
「涼子さんって、その時いくつだったんですか?」
女に年を聞くもんじゃない、そういわれるかと思ったけれど、案外すんなり教えてくれた。
「17歳」
「えっ」
「私は17で彼は19歳だったのよ」
一緒に居た時間はあっという間に過ぎたわ。
圭一ができたって言ったらすんごく喜んでくれてね、すぐに籍を入れてちゃんと結婚式も挙げて、みんなに祝ってもらうんだって言ってたんだけれどそれも全部夢になっちゃった。
「・・・夢?」
「そう、彼ね、バイクショップに勤めてたの。バイクが好きでね、今の走り屋って言うのとは違う、一人でどこまででも行っちゃうタイプだったのね。ある日夜遅くに帰ってくるはずだったのに全然来なくって、心配してて朝になってから連絡があって」
雨が降っていたのだと、涼子さんは言った。
雨が降ってきて、夜の見通しの悪いカーブを曲がろうとしたときに何かに乗り上げたんだろうと現場検証をした警察官は説明してくれたと。スリップしてそのまま道路に投げ出されて、頭を強く打ったのが直接の死亡原因だと言った。
「あの子には話してないの」
まだお腹の中に居た先輩は、生まれてすぐに涼子さんの両親に預けられてそのまま幼稚園に上がるまで育ったという。涼子さんはその後アルバイトをしながらテーブルコーディネーターの仕事を学んで、そのときに今のご主人と出会ったと教えてくれた。
「たぶん、彼がもうこの世に居ないって言うのを信じたくないのね、圭一は彼にそっくりだから。今の主人もそれはわかってくれてるの」
優しい人なのよ、彼より顔は悪いけど。
クスクスと笑って、涼子さんは僕に向き合った。
「なんであなたには話したのかしら」
どこかほっとさせるものを持ってるのかもね、彼女があなたのことを好きだと思うのも、それを感じてるからかもしれないわ。だったら、それを活かして行かなくちゃ。
そう言うと、まるで乙女の顔から一気に鮮やかな大人の女性に花開いたように、艶やかに微笑んだ。
「本気で好きだって言うんなら、見た目だけ追いかけちゃダメよ。そんなのすぐに女にはわかるもの」
あなただって、ただかわいい男の子っていうだけでちやほやされるのなんて嫌だと思わない?
女は心から包み込んでくれるような男の人を待ってるのよ、彼女みたいになんでも一人でやってしまえるような女は特にそう、本当は甘えたいんだから。
そう言ってグラスを傾ける涼子さんは僕から見るとずいぶんかっこいい大人の女性で、なんだかもっともっと話を聞いていたい、そんな風に思えてしまって。
じっとその横顔を見つめていたのに気がついたのか、クスッと口元を上げて涼子さんは言った。
「教えてあげてもいいわよ、オンナの口説き方」
え、っと驚いて目をあげた向こう、主任がなんだか怒った顔をしてこっちに向かってくるのが見えた。
「え、い・・・いいですっ」
僕は勢いよくブンブンと顔を横に振った。