25 ファンシーツイードは恋のファッション
「今晩は」
仕事が終わって六本木の『ANAGURA』に着いたのは、夜の8時に近い時間だった。カランと鳴ったドアを押して主任を先に通すと、涼子さんがカウンターで一人カクテルを飲んでいた。
「・・・どうも」
軽く頭を下げると、すっと、主任がまるで僕の姿を隠すようにして前に立った。
「はじめまして」
身体の向きを変えた涼子さんと主任の視線が合った。
「・・・・・・・・・」
なんだか、バチバチッと火花が飛んだような気がした。
「なんですって」
結局ラウンジに連れて行かれて理由を問いただされて、もう隠し立てなんか出来なくて、涼子さんに今一緒に住んでいる大学の時の先輩との「ただならぬ仲」を疑われているんだということを話した。
「じゃあ、あの人はその先輩の母親だって言うの?」
「あの人って」
まるで知った人のことを聞くような言葉に、ん?と思って聞き返した。
「・・・ああ、えっと、その人、涼子さんって言ったかしら。その人はじゃあいったいいくつなの?」
急いで返ってきたのは僕も実は知らないことで、「わかんないんですよ」と返事した。
「僕はずっと涼子さんが先輩の恋人だと思ってましたから」
先輩と一緒に暮らすようになってから何度か電話で話したことがあって、そのたびに聞くのは「圭一」と名前を呼び捨てにするのと、まるで奥さんか何かのように事細かに状況を聞きだそうとする詰問で、先輩は自分では絶対に出たがらなくて僕ばっかり話してたんですよ。
そう返すと、
「ふーん、なんかおかしいわね」
訝しげに主任はつぶやいて、自動販売機で買ってきたコーヒーを口にした。
「・・・おかしい、ですか?」
「そうよ、だって普通男の人が二人で一緒に住んでたからって、すぐにそんな仲だなんて思うわけないじゃない」
主任は僕が思ったことそのまんまを言って、トンとカップをテーブルに置いた。
「でしょ?日浦は全然その気はないんだし」
ぴ、っと視線が飛んできて、僕は思わず背筋をただしてコクコクと頷いた。
あーなんかドキドキする。
ただでさえ一大決心して『彼女のフリをしてください』だなんてお願いしちゃって、それでその理由が理由だし、その所為か知らないけれど主任はさっきからなんだかキリキリといわば戦闘態勢のような機敏さで次々と聞いてくるし。
それがいちいちドキッとするほどカッコイイと思ってるだなんて、知られたらなんていうか。
照れまくるよなぁ。
ははは、と『照れる』という単語に自分で照れまくって笑っちゃったら、とたんにきっと睨まれた。
「日浦」
あー・・・
「すいません」
「もう、自分ことでしょう?しっかりして頂戴」
はい、と返事をするともう一度「もう」と溜め息をつかれて、それで僕は思い出した。
今日1日だけだったんだ。
主任が僕の彼女でいるのって、今日1日だけだったんだ。
「梶原理沙子、さん?」
「はい」
「あなたが、あの子の彼女?」
あの子、と軽々しく言う目の前の女に、チラリと目をやってから真っ直ぐ向き直った。なによいきなり、そう思ってムッとしたいところを強いて冷静に冷静にと言い聞かせて、にっこりと笑ってみせる。
「章吾からお話は聞きました」
呼び捨てにする名前がなんだかくすぐったい。
照れくさい気持ちをそのままにクスッと片手を口元に持ってきて、困っちゃったと言ってみせると相手はちょっと身体を引いて構えた。ジロリ、と上から下まで視線が動いて、ふーんと頷いていく。
その遠慮のなさがカチンと来て、すっと背を伸ばして黙って見返した。
なによ、なんか文句でもあるの?
とっさに自分の今日のコーディネートを思い返して、どこかおかしいところがあったかしらとチェックしてみる。
ジャケットとパンツは自社ブランド『ラウドネス』のレディースバージョン『マーガン』で、少し高めの襟とウエストのベルベットがアクセントのファンシーツイードのセット、この冬のトレンド要素満載のインナーは胸のリボンとボーダーがお洒落なストレッチニットで、可愛くなりすぎない大人の女性の甘さが出せるラインナップがちょっと自慢だったりする。
今日これ着て会社に来といてといてよかった。
いつもはもうちょっとビジネススーツに近いものだから、慌てて一揃えしなくちゃならないところだったとロッカールームでほっとしたものだ。
それにバッグは仕事を意識したエディターズバッグ、靴はサイドラインにポイントのあるハーフブーツで、どこを取ってもこの冬イチオシであるはずなんだけれど。
うん、全然大丈夫、そう思って相手をきゅっと見あげたそのとき、川島涼子は真っ赤な唇をにやりと引き上げて言った。
「彼女って、本当かしら」