22 梶原理沙子のユウウツ<6>
オフィスに戻っても、なかなか心の動揺が収まらなかった。
何故。
それしか頭に浮かばなくて、次第に日浦を責める言葉で埋まっていく。
あの人は誰と聞きたくて、どうして二人で居たのと聞きたくて、あんなお洒落なレストランに、何故二人っきりでと聞きたくて苦しくなる。
しかもあそこはリザーヴされていた席だったはずだ、窓際がいいといった佐々木がウエイターにそう言われて断られていたから。
あの人のために用意してたの?
思わずそう言いそうになって、そばを通った人影に口を噤む。
どうかしてる、私。
本当に、どうかしてる。
ふぅ、と一つ息をつくと午後の仕事を始めるためにパソコンの電源を入れた。
「あ、主任」
ファイルを抱えた新沢が、つつっと近寄ってデスクを覗き込んだ。
「あのイタリアンレストラン、行ってきたんですかぁ」
「え?」
わぁ、いいなぁ今度は誘ってくださいよぉ。
ひどく明るい声がわぁっと広がって、いったい何が起こったんだとぎょっとして身を引いた。
その合い間に伸びてきた手が、ピンクの可愛らしいリボンでくくられた透明のビニール袋をつまみ上げた。
「かっわいい〜これって『La fiore fiorisce』のオープン記念のドルチェですよね」
「あ・・・・ええ」
新沢の手の中で、コロンとしたメレンゲの菓子が揺れる。
すっかり忘れていた。レジで会計をして、そのときに「どうぞ」と渡されたものだ。そういえばレジの横に色とりどりのリボン包みが綺麗にディスプレイされているな、と思ったのだった。
「主任知ってます?ここのオーナーってすんごい美人なんですよ」
クスクス、と何が面白いのか含み笑いをすると、あそうだ、と言って抱えていたファイルの中からA4サイズの雑誌を引き出した。
「これに載ってるんです、ほらここ」
それは次の号にうちの上下コーディネイトが載る予定の雑誌で、男女共に人気のある情報誌だった。パラパラとページをめくった先、何店ものレストランが紹介されているページの左半分を使ってにこりと笑った女性がワインを持ってこちらを向いていた。
「この人・・・」
「綺麗ですよねぇ、なんでも都内にバーやらカフェやら、いろいろ持ってるらしいんですよ」
で、そのお店全部で出しているオリジナルワインがこれなんですって。
綺麗なパールピンクの指が、全体に花の模様が描かれているボトルを指した。
「甘い芳醇な香りが癖になるほどなまめかしいって・・・、なんだか素敵」
ふふ、と嬉しそうに肩をすくめる新沢が、自分の心を見透かしているように思えた。
この人、さっき日浦と一緒にいた人だ。
そう気が付いた自分の心を。
「それ・・・あげるわ」
「えぇ〜嬉しい」
両手で小さな包みを持ってにっこり笑うのが、なんだか憎らしくてぞくりとする。
ああもう、本当に、どうかしてるわ私。
スカートのすそを翻して離れていく後姿を見送って、キーボードに目を落とした。
「主任」
雑誌を投げ出したままだ、とふと思ったとき、頭の上から呼ばれた。
「日浦」
顔を上げたらいつの間に戻ったのだろう、日浦が居た。
「あの」
歩幅一歩分寄ってきた日浦は、一瞬迷った顔をしてから言った。
「・・・今晩、お時間ありますか?」