21 梶原理沙子のユウウツ<5>
「・・・今の、日浦の声じゃない?」
今日のランチタイムはちょっとお洒落にイタリアンでも食べに行きましょうよ。そう佐々木に誘われたのは午前中の仕事が一段落してコーヒーでも、と思って足を向けたラウンジまでの廊下でのこと。
キャリアは今でこそ理沙子の方が上だが、年齢は佐々木の方が2つ上、そういった経緯もあってか昼時に気が向くと誘いをかけられることもしばしばで、先日から2つ通りをはさんだ向こう側に出来たファッションビルの6階にとってもお洒落なレストランが出来たのよ、とウキウキと誘われていることだし、昨日から少しばかり落ち込んでいた気分を佐々木とのおしゃべりで紛らわせるのもいいかな、と思って出かけてきたのだけれど。
「日浦、くん?」
言われて顔を上げて、あっちよ、と背中越しに指を指された。
流行りモノにはうるさい佐々木が「絶対気に入るわ」というだけあって、ここ『La fiore fiorisce』は白い壁と茶色のラインが続く窓枠が開放的な気分にさせてくれる、ランチだけで来るのはもったいないようなお洒落な店構えだった。
最新のファッション雑誌にも載っているのよ、と見せられたのは30代の女性向けに発行されているグレード高めの月刊誌で、見開きの3分の1を使って紹介されている料理のほとんどが1000円未満の手軽さ、それにこれなら少し足を伸ばして行ってみてもいいじゃない、と思わせるのには充分な量と見栄えが並んでいた。
一番のオススメは日替わりランチ、と記事にはあって、気の利いた名前のついたパスタが載っていた。
そこで今日のランチを、と言って頼んだのは『魚介類たっぷりのペスカーラ漁師風パスタ』。いわばペスカトーレなんだけれど、こうして地名が入っているとなんだか本格的、と思うのは魚沼産コシヒカリが美味しいというのと同じようなものか、と一人で納得した。
出てきた料理は、800円と言う一般的なランチの値段にしては味も量も申し分なくて、本で見て期待してきた以上のものがあったのが驚きだった。
「美味しそうね」
そういいながら佐々木はパチリと携帯で写真を撮っていて、どうするのと訊いたら自分のブログで紹介するのだといっていた。本当にこういうことにはマメなんだから、とデザートには小ぶりのアイスまでつくと大騒ぎの佐々木に話を合わせてクスクスと笑っていたところだった。
「間違いないわ、あの後姿は今日着てたスーツと同じだもの」
「そう・・・一人出来てるのかしら」
こんなお洒落なレストランに男の人が一人でくるって言うのもおかしいわね、と内心ドキドキしながら言ってみた。周りにいる男性客は皆必ず連れがいた。大概が女性を連れていて、またそれが普通だろうとも思う。
なら、日浦は誰と来ているんだろう。
理紗子は自分の背中越しにいるという日浦が、また何か言わないかと耳を必死で澄ませた。
「ううん・・・女の人と一緒。わぁ、なんだかずいぶん色っぽい人よ」
でね、両手を握り合ってるのよ。
なんだか嬉しそうにいう佐々木に、「うそ・・・」と言って振り返ると、そこには佐々木の言うとおり今日着ていた明るめのブルーのスーツの背中があった。そうしてその向こう、ここから見ても巻き毛が華やかな女性が、日浦の手をしっかりと握っているのが見える。
「嘘でしょ」
そんな馬鹿な。
頭では否定しても、見えているのは間違いなく日浦とその女性の手を取り合った姿で、こんな昼間っからなんでそんなことを、と今すぐにもそばまで行って問い詰めてやりたくなって、ぐっとこらえた。
だって、私はそんなことできる立場じゃないし。
そう考えて、昨日のラウンジでのことを思い出した。
企画室の前から逃げ出した先のラウンジで、祐志に抱きしめられていたところを、日浦は見ているはずだった。
でも平気な顔をして何にも言わずにただ普通に仕事を進めて、それでも時折理紗子の方を見ては訝しそうな顔をして、その視線が怖くてすぐに手元の資料に目を落としていた。
なんで何にも聞かないの。
今思い返しても悲しくなる。
やっぱり、私って日浦にとってはただの上司でしかないのね。
それが当然とわかっていることでも、こうして自分以外の女性が一緒に居るってことを見せ付けられるのは堪らなかった。
「・・・ちょっと用事を思い出したわ、先に帰るわね」
「え、だってまだデザートが来てないわよ」
「私の分もあげるわ」
「ねぇ待ってよぉ」
「ごめんなさい、じゃ」
立ち上がって、払っておくわと言って伝票を取り上げた。じゃああとで返すわね、と言う佐々木に向かって手を振ると、そのまま振り返らずにレジまで歩いた。
絶対に、後ろは振り向かなかった。