19 日替わりランチはペスカトーレ
指定された店に着いて、電話で言われたとおり名前を告げると「お待ちしておりました」と言われて店の奥の方、窓際の眺めのいい席まで案内された。
昨日会ったばかりの川島涼子さんは、僕の顔を見るとにっこり笑ってすっと右手を差し出した。
「お座りになって」
昨日とは違う色のマニキュアが、ひらりと目の前で閃いた。
「いきなりごめんなさいね」
明るい日差しの中でもやっぱり色っぽいとしか見えない人は、ミントの入ったウォーターボトルからカランカランと耳障りのいい音をさせながら僕のグラスに水を注いで、「これ、評判いいのよ」と教えてくれた。
「一度来なくちゃと思ってはいたんだけれど、日浦さんのお勤め先の近くだってわかったらもう早速、と思ってしまって」
クスリと笑いながら窓の外に目を向けた。つられて僕も外を見て、ずっと先の信号が青に変わって人がどっと繰り出すのを眺めた。この場所は僕の勤める会社に本当に近い場所にあって、そういえばここって少し前に新しいイタリアンレストランが出来たって佐々木先輩が言ってた店なんじゃないか、そう思い至って顔を戻すと、僕の方を見ていた涼子さんと目が合った。
「あの、ここも川島さんのお店なんですか?」
会話の流れで、それはなんとなくわかっていた。
「ええ、いい感じでしょ」
『La fiore fiorisce』というの、とすらりと流れるように涼子さんは言った。
注文はもうすでにされていたらしく、僕が席に着いたらすぐにカラトリーが運ばれてきて、小ぶりのサラダが一緒に置かれていった。
洒落たイタリアンレストランというとどこでも女性客の方が多いものだけれど、ここはぽつぽつと男性客も入っていて、広めに取ってあるテーブルの間がその居心地の良さを作っているようだった。
六本木のスタンディングバーとはずいぶん違った印象だな、と思いながらきょろきょろと辺りを見回して、あっちの店は全体に木目調の落ち着いた雰囲気を作っているのに対してここは白が基調の天井の高い、解放的な感じの店になっているからだと思った。
でも。
「なんか、僕は一人ではちょっと入りづらいかな」
どうせなら誰かと一緒に来たいよね。そう思って浮かんだのは主任の顔で。
「あら、じゃあ彼女でも連れてくればいいじゃない」
僕の頭の中を覗いたみたいに言われて、うっと詰まって目を逸らした。昨日僕が帰った後に先輩はこの人に主任の話をしたんじゃないだろうな、とまさかそんなことはないよなと思いながら「そうですね・・・」ともごもごと口ごもって返した。
「・・・ランチはお手頃でお奨めなのよ。ここら辺はオフィスビルが多いでしょう?お昼時にちょっと足を伸ばしてもいいかなって言う気にさせるには1000円以上は無理なの、だから今日の日替わりランチは魚介類のパスタセットで800円なのよ」
そう言ったところにその魚介類のパスタが運ばれてきた。
「ペスカトーレってメニューに書いておいてもいいんだけれど、それじゃなんのパスタ?って必ず聞かれるの、だからウチの店では素材の名前を使って説明させていただいてるのよ」
やっぱり帆立はレアな状態がいいわね、とフォークに刺して、口元まで持っていくところでふっと笑った。
「ごめんなさい、なんだかおしゃべりよね、私」
「あ、いいえ」
熱々のパスタはすごくいい匂いで、一くち口に入れるとオリーブオイルとトマトソースの香りがふわっと口いっぱいに広がった。細めのパスタはソースをしっかり纏っていて、唐辛子のつんとした辛味がすごくきいている。こういうパスタにはニンニクがつきものなんだろうけれど、オフィス街のランチというのを狙ってか、あんまりきつくないのが余計に唐辛子を際立たせている。
美味しいな、と思った。
でもさ、僕ってただお昼を食べに来たわけじゃないんだったよ・・・ね?
「あの」
軽くトーストしたバゲットを千切っている涼子さんに、僕は今日ここに呼び出された訳を聞いた。
「お話があるってことでしたが」
電話ではどうしてもお話したいの、としつこいくらいに迫られた。すぐ隣にいる美奈ちゃんに聞かれるんじゃないかとひやひやしながら「はい、はい」と返事をしているうちにずるずるとここにくることを承知していたんだけれど。
話って、たぶん先輩のことだよね。
大体想像がつくから、なんだかなぁ、と思ってしまった。
僕だって先輩には早く涼子さんのところに帰ったらと何度も言ってるんだから、その話だったら僕に言われたって困る。
すぐに返事の返ってこないをちょっと訝しく思いながら、大きな海老だな、と濃厚なトマトソースに塗れたそれをフォークで突き刺していると、
「あなた、圭一とはどういう仲なのかしら」
「え?」
「だから」
じっと僕の顔を見つめて涼子さんが言った。
「圭一のこと、好きなの?」