18 X・Y・Z?
火曜日の朝は、昨日とは違った意味でぐったりとした気分でやってきた。
「はぁ」
思わず出てしまったため息に、美奈ちゃんが気づいて「どうしたのよ」と聞いてくる。
「あ、いや・・・あはは」
カリカリと後ろ頭を掻いてみても、下手な隠し事はきかないわよと言うような視線には勝てずにもう一度「ははは」と空笑いをして、どんよりと下を向いた。
どうしたのもこうしたのも、結局昨日は先輩に僕の気づいた思いも、目撃した衝撃の光景も、でもって先輩が何か知ってるらしい荒木さんのことも、何一つ話をしないまま『ANAGURA』から帰ってきてしまった。
部屋に着いて、真っ暗な中でぽつんとひとり立っているとなんだか無性に哀しくなって、思い出さないようにしようと思えばなおさら昼間見た情景が浮かんできてしまって、ぶんぶんと頭を振って追い払おうとした。
でも、出来るわけ無いじゃん。
はぁ、ともう何度目かわからないため息をついてその場にしゃがみこんだ。
どうしてだろう、中山取締役と主任が恋人だって話を信じていたときは別にここまで落ち込んだりしなかった。そりゃ、会社でよく見かけるツーショットはまるで誂えたようにお似合いで、そこに入り込もうだなんて考えもしないで、だけどなんだろう、それが現実味を帯びて自分の中に入ってくることはなかった。
でも昨日荒木氏が抱きしめていた主任の背中が、あんまり細くて、その腕の中にすっぽりとはまってしまうくらい小さくて。
それは生々しいほどの衝撃だった。
どきん、とした。
すぐに目を伏せた。
そうしてドアの陰に隠れて立って、後ろ向きになって。
咄嗟になんで、と思って湧き上がったのは強烈な怒り。
なんであんたなんだよ、と口から出そうになってぐっと身体に力が入ったら、手にしたファイルがぐにゃりと曲がって、それに叫ぶのを押しとどめられた。
今は仕事中。
頭に浮かんだのはその単語で、僕はこのファイルを荒木氏に渡してこなくちゃこの春のコレクションの打ち合わせははじめることが出来ないことを思い出した。
顔を上げると、角を曲がって中山取締役がこっちにやってくるのが見えた。とたんにさっきのやりとりをぶわっと思い出した。
こんなところにいたんじゃ、余計に変に思われるじゃん。
すぅっと息を吸って、くるりとラウンジのドアに向き合うと思い切り力を入れて、
「お待たせしました」
僕はそう、言った。
打ち合わせは難なくすすんだ。イメージコンテを描いてきた荒木氏と主任の意見がところどころで食い違って、結構キツイ言い合いをしているのが本当にいつもどおりで、最後は主任の意見が勝ってあとはロゴの配置と写植のときのフォントの幅と行間と、と言う細々したことを実際に作ってみてと言う話になって終わったのだけれど。
その最中ずっと、僕はやっぱりどうあってもこの人が好きだ、と思っていた。
ちょっとだけ曲がっている襟元が、さっき荒木氏に抱きしめられた所為だとわかっていても。
好きなんだけれど。
「はぁ」
ため息もつきたくなるっての。ものすごくグレードの高い二人が僕の『好き』って気持ちの前に立ちふさがってるんだからさ。
すぐに諦めろよ、と自分に言い聞かせたけれどそれがどうしても出来なくて、何で諦めたくないのかそこを聞いてもらえるかなって先輩のところに行って、そしたら先輩は荒木氏のこと知ってるような感じでいて。
訳わかんないって。
ぐるぐると廻る中で、いったい何がどうなってるんだと考えても答えの出ないまま夜が明けてしまっていた。
先輩は朝になっても帰ってこなかった。
きっと涼子さんのところに帰ったんだろうな、と思うとそれだけがなんだかほっとしたようなでも気の抜けたような感じになって、冷たい水で顔を洗って会社に出てきた。
美奈ちゃんはまだ何か聞きたそうにしていて、それでまた誤解されるようなことにでもなったらと身構えてしまったけれど、さすがにデータ入力から目を離すことが出来ないのかチラチラと視線をよこすだけで何のリアクションも返ってこなかった。
うだうだしてないで仕事しなきゃ。
よし、と気合を入れて立ち上がったところにデスクの電話が鳴った。
「はい、企画課です」
美奈ちゃんの明るい声が響いて、僕にじゃないよなと思っていたんだけれど。
予想は見事に外れてくれた。
「日浦さん、外線からお電話です。川島さんって女の人」
「川島さん?」
先輩の店で会った、華かやな印象の女性を一気に思い出した。