15 これって好きって事?
「あの、僕が行くんですか」
「他に誰がいる?」
「あ・・・いえ」
そろーっと振り向くと美奈ちゃんはこっちなんか知りません、ってな顔をしてデータ打ち込みに専念していた。
裏切り者ぉ、元はといえば美奈ちゃんが誤解されるようなことをしたからじゃないか。
ムッとした顔で思わず口を尖らせると、中山取締役が腕を組んだまま僕のまん前に移動してきた。 こうやって間近に迫られると、やっぱり背が高いよな、だなんてのんきなことを考えていると、
「・・・・・お前さ」
ずいぶんと小さな声で、ちょっと前かがみになってそう言われる。えっ?と思ったのはそんな風に砕けた言い方で声をかけられるなんてことは初めてだったからだ。
とたんに僕は悟った。
やっぱり土曜日のことはバレてる!
「す・・・すいませんっ」
手渡されたファイルをぎゅっと抱えると、ガバリと頭を下げて後ずさった。
そりゃ何にもなかったけれど、だからってそれをここで言ったからって土曜日のことがなくなるわけじゃない。
「日浦君・・・?」
「すいませんすいません・・・あの、行って来ますっ」
取締役が次に何か言ってくる前に、きっと梶原主任と僕のことを疑ってるんだろうからそれを問い詰められる前に、僕はその場から逃げ出すことしか思いつかなかった。
バタンと音を立てて強化ガラスの扉が閉まった向こう側で、なにか言ってる声は全力で走り去った僕の耳には入ってこなかった。
だから、僕には聞こえなかった。
「・・・・・美奈子さん、困るんですけど」
中山取締役は他には聞こえないように、でもずいぶんと丁寧に言った。
「だって」
「だってじゃないです、ここは会社なんですから」
「・・・ごめんなさい」
ペロリと舌を出して肩をすくめると、パチパチッと瞬きして「うふふ」と笑う。
「まったく」
なんだってこんな苦労をしなくちゃならないんだ。
ふう、と息をつくとくるりと踵を返して取締役は企画室を後にした。
本当は企画室の隣にある会議室に来るはずだったデザイナーの荒木氏は、エレベーターから真っ直ぐ歩いていった突き当り、二方向を窓が占めているラウンジにいるはずだった。でもそこにはさっき僕と目が合って驚いた顔をして、何故だか傷ついたように見えた主任もいるはずで。
近づくにつれて足が遅くなった。角を曲がる頃にはもう止まりそうで、曲がりきったところでとうとう本当に止まってしまった。
なんだろう、これ。
すごく悪いことをしているような気になってるんですけど、僕は。
抱えたファイルを強く握り締めて、そうだよな、と思い返した。そうだよ、主任は取締役の恋人、で、その恋人の取締役が僕のことを疑ってて、それは僕が主任のところに泊まっちゃったからで、別に何にも疚しいところはないんだけれどそれはやっぱり『恋人』にしてみれば許せないことで。
・・・僕が悪いんじゃん。
いくら泊まっていけって言われたからって、その気もないのに女性の一人暮らしのところに上がりこんで一晩過ごしちゃうって言うのはいけないことだって。
あれ・・・でも。
下を向いて、足元をじっと見た。
でも、その気がないってのはなんか違うような気がする。
朝から感じてる『何か』がそこにあるようで、僕はそれを追いかけたくなった。もう少し手を伸ばせば捕まえられる、そんな感じがして浮かんできたのは朝ごはんを一緒に食べてる時の主任の顔で。
嬉しそうな顔だった。
なんとなく、こっちまで嬉しくなるような。
すごく嬉しそうな顔、で僕はそれを今失くしたくなくて、でもこれって。
先輩の言う『あこがれ』とは違う。
そうじゃなくてもっとちゃんと。
好き?
「うわ」
頭にボッと出てきた単語に我ながら驚いた。
ファイルで顔を隠したままバタバタバタッと先に進んでラウンジに着いて、荒木氏を捜さなくちゃって顔を上げてすいと目を動かした先に、主任がいた。
僕の捜してる荒木氏に腕を捕られて、よろめいたところをぐっと抱きしめられて、そうして。
「俺は、お前の泣き顔を見るのはいやなんだよ」
荒木氏が主任に向かって言う言葉が、僕にも聞こえてきた。