11 梶原理沙子のユウウツ<2>
『理沙子』
「ごめん、なんでもない」
すぐに必要ないくらい明るい声でそう言って、あははは、と笑い返した。
そうして和孝には、「私も祐志に連絡とって見るわ」と言ってそそくさと電話を切った。
その前に『・・・どうした、大丈夫か?』と聞かれたけれど、それには返事しないままだった。何が大丈夫なのか大丈夫じゃないのか、それすらわからないのに返事なんか出来るわけないじゃない、そう思ったから。
なんて、嘘だ。
和孝に大丈夫と聞かれて、大丈夫じゃないだなんて言ったら、その先何を言い出すかわからない、と言うのが本音。
日浦がここに一晩泊まっていったというのは事実だし、何もなかったのだから疚しいことなんかないんだけれど、その『何もなかった』というのを知られたくなかった。
「気が小さいというか、なんというか・・・」
なんだ、私もこうしてみると普通の女だよね。
フフッと笑って伸びをしたら、まだ右手に持っていた携帯電話が気になった。
祐志、昨日から帰ってないってどこに行ったんだろう。
正確に言うと、和孝と祐志は一緒には暮らしていない。祐志は成城にある荒木の家で、祖父と父と一緒に男ばっかりで暮らしている。祖父は弁護士をしていて、跡を継がなかった父を飛び越して祐志に期待をかけていたんだけれど、祐志はそれがいやで高校生の頃からほとんど家に居つかなかった。離婚した夫婦というのは一般的にはどんなものなのか、人の話を聞く限りは二度と会いたくないと言うものなんだろうけれど、私の両親はその点ずいぶん違って離婚してからのほうがその関係は良好なように思う。雑誌編集者と、広告デザイナーという関係においては。
母は常々「私は家庭よりも仕事を取ったんだ」と語っているけれど、見ていると到底家庭に納まっているような人じゃないんだから、それを無理に押し込めようとした父にも問題があったのだと今なら思う。でも、その当時は両親が離れるなんて信じられなかったし、何より祐志と離れるなんてありえなかった。なのに祖父は祐志を手放すのを嫌がった所為で私が母と、祐志は父と祖父と暮らすことになった。どうして私が父親との暮しを選ばなかったのか、今となっては何が理由かもう思いだせなかった。
母が一人で広告デザイナーの道を歩んで行ったその脇で、私と祐志は一緒になってその姿を応援していた。祐志は母から離れるという選択をされたから尚更、事あるごとに母の味方についた。だからだと思う、大学進学のときに私が平凡な経済学部に進みたいと言ったのにたいして、祐志「母さんと同じ仕事がしたい」と言いだしたのだ。
私は迷った。同じ大学に行くものだとばかり思っていたから、デザインの勉強をするだなんて考えていなかったから、祐志の行きたい道と同じものを選んでいいのか迷った。でもそれは、祐志にしても同じだった。気持ちはデザインの道に進みたい、でも一番それに反対していたのはほかでもない成城の祖父で、それに逆らい切ることも出来なかった。芸術系の大学は絶対に受験させない、祖父の態度は強固だった。
そんなときに母が関わった若手クリエーターを対象にした広告デザインコンペティションで、蒼山学院大学の『国際経営学科』の学生が大賞は逃したものの審査員特別賞を受賞したという話を知って、祐志はそこを目指すと決めたのだ。
先達がいるからって、同じことが出来るとは限らない。そう言う祖父に、同じことをするつもりはないと言い切った祐志は、失敗したらその時こそ祖父のあとを継ぐと約束した。
そうして、結局自分の意志を貫いた。
思えば、あそこで祖父の言うとおりにしていれば祐志は和孝と出会わなかったのだ。
携帯電話のグループフォルダを開きながら、それを漠然と考えた。
それまでは女の子にだって一生懸命になったことのない祐志が、大学の先輩の話をする時に何でそんなに嬉しそうな顔をするのか、早く気がつけばよかった。そのうち一緒に出かけることが少なくなって、でもそれはやっぱりいくら双子だからって男と女だから、付き合いの違いは出てくるのが当たり前、そうなんだと思っていた。しかし事実は違ったのだ。祐志が和孝と一緒に過ごす時間が増えていっただけで、だから私から離れていっただけだった。
今だってこうして、大の大人が一晩帰ってこないというだけで和孝を心配させるほど、二人の関係が誰よりも近いというだけだ。
「・・・なんだ」
祐志の番号を選んで発信して、留守番電話サービスにすらしていないのか何回も呼び出しているコールを聞きながら溜め息をついた。
私は結局、祐志が羨ましいんだ。
成りたいという自分に成って、同性と言うハンディを乗り越えて好きな相手と一緒になって、何もかも思い通りにしている祐志が羨ましいんだ。
「こっちは何一つ思い通りにならないって言うのに」
パチンと電話を切って、こうなったらGPSで探し出してやろうかと思ったけれど、そんなことはきっと和孝がもうやってるだろう、そう考え付くと尚更ばかばかしくなった。
そのうち見るだろうとメールで一言、『どこにいるのよ?』と打ち込んで、あとはもう面倒になって携帯電話はベッドの上にポンと投げ飛ばした。そのときは月曜日の予定なんかすっかり忘れていて、折角のいいお天気なのにと窓から外をのぞきながら、でも出かける気はこれっぽっちも起きてこないで、自分一人のためのコーヒーを淹れるために立ち上がった。