第二走 移動教室
入学して早々に不良に絡まれた伊田天馬だが、特質な足を駆使して逃げおおすことに成功した。三十六計逃げるにしかず、逃げるが勝ちの言葉通り、喧嘩に勝利した伊田天馬はクラスメイトと交友を深める名目の移動教室へと向かう。
しおりなんてものは、集合時間と場所、そして持ち物だけ確認すればいい。少なくとも僕はそう思ってる。校長やらの挨拶だか、有難くもないけど、有難いと銘打っている訓示なんてもの、馬鹿正直に読んでる生徒なんてまずいないだろう。必要な持ち物をチェックしては鞄にいれ、一人でも時間を費やせる携帯ゲーム機とライトノベルを入れて荷造りを済ませた。小学校低学年によくある、「明日の遠足が楽しみで眠れない」ってやつは、今回僕がまったくこの移動教室を楽しみに思ってないためぐっすり寝れた。
集合場所が学校の為、さして早起きする必要はないのだが、バスでの座席は速い者順の可能性が否めないため早く起きた。速い者順なら、早めに席を確保すれば、恐らく近くに蒼神兄弟が座ってくるはずだ。陽人は社交性があるけれど、怜人は自分から話しかける事なんて滅多にないから、新たな友人知人はすぐにはいないはず。ならばすでに友人である僕の近くに座るだろう。出席番号順の場合、一番、二番は蒼神兄弟、で三番が僕だからこれも問題ない。これで少なくとも、近くの席に全く知らない人が座り、重苦しい空気の中、移動する二、三時間を過ごす、なんてことはないはずだ。
学校までの道のりを、お気に入りのアニソンを聞きながら歩き、自分のクラスが乗るバスを探す。一年三組とネームが張られたバスの隣、担任の・・・怠惰?じゃない。泰田先生が気だるそうな顔で立っている。教師として、その態度はいかがなものだろうか。
「おはようございます」
憂鬱を愛らしい生徒の元気な挨拶で吹き飛ばしてあげる。とは思わず、僕に見合ったテンションで挨拶を告げる。そういうのは伍茂ちゃん等、女生徒の役目だ。僕のような陰鬱とした、そのうえ男がやる所業じゃない。やった所でありがた迷惑、余計に先生の気持ちを萎えさせてしまうであろう事は必定。
「やぁ、伊田君。おはよう。一番乗りだ。早いね」
先生は名簿を確認することなく、僕が名乗る前に言い当てた。
・・・・・え?この先生、まさかクラス全員の顔と名前を把握してるの?当てずっぽうだとすると、クラスの男子、二十人。二十分の一を当てたことになる。ありえない事じゃない。けど、クラスの男子二十人の名前から、迷うことなく、何故伊田を引き当てたのか。無難に考えると、矢張り覚えたんだろう。クラス全員を覚えた訳じゃないのかもしれない。偶然、僕の顔と名前を覚えたのかも。そんなに印象的かな?僕。
「座席は早いもの順だから、好きな席に座っていいよ」
「はーい、失礼します」
さて、先生が全員の顔と名前を覚えているか確認したい所だけど、バスの席を取られるのは頂けない。バスの中に入ると、まだ誰も来ていない。前から四列目、窓側に席を取り、今、僕の中で流行りの某西○さんの書かれた戯○シリーズを読み始める。うん、この言葉遣い。面白い。
読書に集中していて、時間がどれほど経ったか分からない。周りにちらほらと他生徒が乗車し始めた頃。
「よ。早いな、天馬」
静かな、落ち着いている声だ。本から顔を上げれば、矢張り、相も変わらず無表情を貼り付けた怜人が、席の背もたれに肘を乗せてこちらを覗いていた。
「おはよ。隣座る?」
というか座ってくれなきゃ困る。
「おう、陽人そっち座れよ」
「うん、そのつもりー」
怜人が僕の隣に座り、陽人はさらにその奥、二人組みの席、通路側に座った。
「珍しく朝早いな。大丈夫か?」
「ううん、物凄く眠い。けど隣に知らない人が隣に座るの、我慢できなくて」
合点がいった、と一つ頷くと、怜人は持参した本へと視線を落とす。僕も倣って本の世界へと戻る。
「でもさ」
怜人は視線を本から上げずに言う。
「社交性がないっていうのも、問題だぜ」
君が言うか。と思ったけど、怜人はこう見えて友人が多い。顔が顔だし、その上面倒見がとても良い。自然と周りに人が集まるタイプなのだ。僕といえば、自分のことで手一杯。その上話しかけるのが苦手。周りから見るとクールというより根暗。中々話しかけられる事がない。自然とため息が出る。かといって、自分を変えたいか?と問われればそうじゃない。面倒だもの。逃げ口上だ。マイブームの戯言ってやつ。上手く使えないけど。
本の世界に戻り、またさらに時が経つと、見慣れた顔が、怜人と同じように顔を覗かせた。
「やっほー!元気かねぇ?諸君!」
元気溌溂?オロナミンCと彼女の背後に文字が見えるような声量で、挨拶と言えなくもない事を言い放つ。伍茂ちゃんの元気がない姿を一度で良いから見てみたい。それは小学生の時頃から思っていた事だが、成就した試しがない。
「おはよ」
「おはよー」
「おはよう」
上から、怜人、僕、陽人。もう僕ら三人慣れたもので、彼女が急に大声に近い声で挨拶してきた所で驚きやしない。御陰で僕も、ドッキリ系のホラーだとかに耐性が付いている。ちょっとやそっと、視覚や聴覚を刺激された所で驚きやしない。触覚だけは勘弁して欲しいけれど。
陽人の隣に伍茂ちゃんは陣取る。昨日の内に、伍茂ちゃんなら女子で友達が一人や二人くらい、基、女子全員と友達になっていてもおかしくないように思うけど、旧友の隣を選択したようだ。不意に、心臓に痛みが走る。覚えのある痛みだ。殴られた痛みだとか、斬られた痛みだとか、肉体へ直接負荷を加えて伴う痛みではない。精神の根幹からじわじわと侵食するように、僕が名を知らぬ何かが、僕の心臓を、延いては精神を蝕んでいる。
「面倒だな。移動教室」
しかし、それは怜人が話かけてきた事によって、文字通り霧のように霧散した。陽人と伍茂ちゃんが楽しそうに会話するのを尻目に、僕は怜人を上目遣いの形で見上げ、賛同の意を告げる。また胸が痛み出す。
「そうだね・・・。僕としては、面倒な上にアニメの録画、撮りダメしたアニメの消化等々の作業が進まない、で、実に勘弁して欲しい行事の筆頭だね」
「学校の大まかな行事日程と説明、校則説明、教員紹介、簡素の学力検査テスト、そしてクラスメイトとの交流を深める。こんなの、学校でも出来たと思わないか?態々遠出する意味が分からない」
怜人が愚痴るのも珍しい。何となく理由は想像つくけれど。
「隼人さん?」
「そう。兄さん、世話する対象が自分だけだからってお手伝いさん皆に休暇を出したんだ」
そう、怜人の家は豪邸で、家にはお抱えの執事やメイドがいる。
家に、一日とはいえ、隼人さん一人残しておくのが不安だろう。あの人、良くも悪くも、はちゃめちゃだから。大袈裟に言うなら、この一日で住所が変わってしまっていても、あの人ならなんら不思議じゃない。いや、真剣に。大袈裟にと枕に付けておきながら、徐々に想像が現実的に思えてきて、やや同情的な視線を怜人に送っていた。
時間が進み、いよいよバスの空席が埋まると、先生が乗車して人数を確認、漸く出発となった。バスが発車すると、ガイドさんが簡単な自己紹介。そして粋な心遣いでレクレーションをする事となった。教師陣の意図する交友関係の構築には最適でタイムリーな支援となった。教師陣と一括りに言っても、泰田先生が他の先生と足並み揃えて、同じ信条を掲げているとは思えないけれど。何せあの先生、常に気だるそうな、陰鬱そうな顔色をして、服装もお世辞を込めたとしても綺麗とは言い難い。まだ教師全員を見たわけじゃないけれど、やっぱり浮いている。良い方向に言えば、一匹狼?恐らく他の教師陣と足並み揃えたり、同じ信条や思想を掲げて行動するのは苦手、足並み揃えて行進なんて嫌いなんじゃないかなって思う。まぁこれは僕の勝手な印象を元に象った想像でしかないので、事実とは異なるだろう。あぁ見えて案外、周りに流され体質かもしれない。
さてバス内の空気がレクレーションによって生暖かく盛り上がり、皆のテンションがぬるま湯程度にヒートアップした頃合、ガイドさんの説明が遮るようにレクレーションは終わりを迎えた。どうやら箱根に入った事で、ガイドさんは箱根という土地に付いて説明を始めるようだ。
箱根の歴史、各所に湧く温泉、芦ノ湖や大涌谷、仙石原等、箱根を観光する上で欠かせない名所などについて熱心に説明している。悲しき事に聞いてる生徒など殆ど居ないというのに。精神的に参ってしまう仕事だよなぁ。かく言う僕も、ラノベに夢中で聞いていやしない。そもそもレクレーションにすら参加していない。僕の隣に座る怜人もそうだ。さらにその隣、陽人と伍茂ちゃんは楽しそうに参加していたのを、視界の端で見たのを覚えている。
さて、漸くバスが旅館にたどり着いたのが、昼前。そろそろ皆お腹が空いて飢えた獣になる頃合だろう。なにせ育ち盛り。男子諸君は紳士で居られないだろうし、女性陣は淑女の皮を履いでしまうこと必定だ。
特に伍茂ちゃん。特に伍茂ちゃん。特に伍茂ちゃん。彼女は揶揄いがいが、物凄くある子だけれど、昼飯前と夕飯前はオススメしない。中学の頃に調子に乗って痛い目をみた。僕の足にさえ追いつくという、離れ業をなさった。自画自賛っぽく聞こえるだろうけど、本当に危ない。アイドルみたいな見た目なのに、それに反して運動神経がすこぶる良い。蒼神ご両人もびっくり。
さて皆が待ちに待ったかどうか知らないけど、昼食。ちなむ事ではないけれど、わりと僕は待っていた。なにせ伍茂ちゃんを揶揄えない。お腹もそれなりに空いている。昼食は割り当てられた部屋で、例のごとく交友を深めろと同室の者だけで食べろとの事。交友を深めろとは言っても、部屋割りは出席番号順の五人部屋。確実に怜人と陽人は僕と同室。やっぱり切れない縁というのはあるみたいだ。
部屋に入り、荷物を適当に置き、部屋の中央に陣取っている八人くらいの大人数でも使えるような大きい机に弁当を置き、昼食タイムとなった。
僕の隣に怜人、さらに隣に陽人。向かい側には、えっと?名前が分からないんだけど、明るい茶髪の男の子、さらにもう一人同じく茶髪、というより金髪と言えるような色の髪の男の子が座って昼食となった。多分自己紹介は昨日のHRとバスの中で行われたレクレーションで済んでいる筈なんだけど、如何せんどちらも僕は我関せずと聞いていない。正直、友人関係なんて怜人と陽人、それに伍茂ちゃんが居ればいいや、とさえ思っている。
さて、流石にお腹すいた。昼食!昼食!
・・・・・箸が進まない。僕の斜め前に座った金髪少年、と取り敢えず命名しておく。その金髪少年が僕の事をじーっと見つめている。はて、僕の顔ってそんなに珍しいものだったかな。長すぎる髪のせいで、顔が殆ど見えない。と伍茂ちゃんが文句を言っていたのを思い出す。まぁ珍しいかな?さらに僕から他人に話しかける事が稀なので、根暗とレッテルを貼られている。さて、見つめられながらの食事なんて箸が進む筈がない。
「・・・何ですか?」
とりあえず、僕の語彙の中から無難な言葉を選び抜いた、はず。やっぱり語彙が少ないのは問題だ。これが転じて、近年問題視されている、若者のコミュニケーション能力の欠如にも繋がるのだ。多分。ラノベとエロゲ、そしてアニメにしか興味がないため、こういった時勢の話題に疎いのも問題。後悔、後悔。反省はなし。救いようもなし。打つ手は、・・・あるだろうがやる気なし。我ながらにこれは酷い。
そして、彼から未だに返答なし。どうしたんだろう?表情は呆れて果てている様子。僕に呆れられる心当たりはないのだが。
「・・・お前、本当に覚えていないのか?ガチで忘れたってーの?」
顔と名前?だとしたら忘れたって表現だけは否定させてもらおう。そもそも覚えてすらいないのだから、忘れたという表現は正しくない。覚えてないのか?は正しい。
「うん、覚えてない・・・です」
んー、昨日は伍茂ちゃんと怜人、陽人としか喋ってないから、それ以前だろうか?春休みはずっと家にいた。それこそ遊びに来た、怜人と陽人と伍茂ちゃんとしか会っていない。もっと前?だとしたら、忘れていても仕方ないような・・・。
「昨日、お前に絡んだろ。オレら」
どうやら昨日の事らしい。昨日、絡んだ、金髪・・・。あぁ!あの時代錯誤の人たち!なるほど、なるほど。正直危機感すら覚えなかったのだから、彼らの顔なんていちいち覚えていなかった。
そういえば、こんな子も居たような、居なかったような。
「てか、なんでオレら、昨日あんたに絡んだんだっけ?」
知らねーよ。なんて口に出す勇気も無ければ、無謀でもない。
「確か、肩がぶつかった、だとかお金貸してくれだとか言われたような・・・」
記憶が曖昧だ。なにせ、そのあとのアニメの方が僕にとっては重要だった。
「あぁ!そう、それ!それで俺が同じクラスだったから、待ち伏せして、貸して貰おうとしたんだ!」
返す気無いだろうが。当然、必然、口にしない。
「待ち伏せ?貸す?どういうことだ?」
食事に集中していた怜人が顔を上げる。
「怜人!怜人!落ち着いて!大丈夫だったから、僕逃げ切ったから!」
「逃げなきゃいけないような事態だったのか?」
墓穴を掘った。やばい、やばい。陽人までもが視線を金髪少年に送っている。表面的には笑っているけれど、瞳の奥が笑っていない。やばい、やばい。蒼神兄弟の過保護が絶賛発動中!
「悪かった!」
「え?」
突然、不意に彼は頭を下げた。
暫し、沈黙。
僕も、蒼神ご両人も、よく分かってないだろうけど、明るい茶髪の子も、目を丸くして金髪少年を見つめている。
「その場のテンションで、迷惑をかけて悪かった」
「あー、うん。別にどうでもいいよ」
これは社交辞令なんて綺麗事じゃなく本心。彼の謝罪を受け入れる為の『いいよ』ではなく、心底『どうでもいい』だったのだ。逃げ切れると確信していた。それなら、あの事態は危機なんかではなく、それこそ軽いレクレーションのようなものだ。エンターテイメント。僕はSなんかじゃないけれど、追跡者を弄んでの逃走劇は楽しかった。
彼は僕の答えをとても良い風に解釈してくれたようで、まだ中学生だった名残を残した笑顔を浮かべて、悪かったな、と念を押すように告げると、意識を弁当に戻した。
さて、これで僕も昼食に集中できる、と箸を持ち直す。が、今度は隣から視線を感じる。怜人がまだ、納得いかない、と言うような顔を、無表情に上書きしてこちらを見ている。陽人は弁当を食べている。怜人は面倒見がいいというか、過保護に近い。
「いや、本当に大丈夫だったよ?僕の足、知ってるでしょ?」
正直、足の事で目立つのは御免だ。同じクラスの金髪少年に知られた事すら、僕にとっては不覚だった。その上、この場には茶髪少年、と取り敢えず差異を付けて名付けておく。その茶髪少年がいるのだ。あまり多く説明したくない。
僕の事情というか、思惑を悟ったか、悟らず、だかわからないけれど、怜人はそこで追求するのを止めた。相手を思いやるのが上手なのだ。
さて、漸く僕も弁当に集中できた。
昼食が終わり、広間で説明会が催されるまで自由時間となった。
ここにきて、僕は蒼神以外のご両人から本名の記憶を命じられた。
茶髪少年、基榛葉英好、教科書に乗っていそうな少年だ。金髪少年事、宇喜多良だそうだ。名前を覚えてない事に、この二人は、特に宇喜多君に至っては、感情表現が伍茂ちゃんのように豊かなようで、キレたナイフよろしく、烈火の如く怒っていた。こんな事で怒るものかなー?まぁ名前を互いに記憶するのは信頼と信用の第一歩って聞いたことがあるような気がするので、それはまぁ怒るかもしれない。
かなり遅れた自己紹介、と言っても僕の名前の方は記憶してくれていたようなので、僕が一方的にされた訳なのだが、を終えて、各々が自由行動に映った。
榛葉君は他の部屋の友人を訪ねて出ていってしまい、陽人は隼人さんにお土産を買う、と言って土産屋を探して出ていった。
怜人と僕は日常と変わらず、読書と洒落込もうとしたというのに、どうも僕の足は宇喜多君の興味を深く惹いてしまったらしく、彼は必要以上に僕と怜人に声を掛けた。怜人は巻き込まれた形になる。
説明会の時間になった。最終的に、宇喜多君は僕ではなく怜人に相談のような話題を振って、怜人がそれに答えるような構図になっていた。後半、僕は読書に集中していた訳だ。まことに重畳。
榛葉君を抜いた四人で、宴会などを行う広間に向かった。
そこは大層な大広間だと言うのに、やはり生徒が集まると人口密度の力で随分と閉塞的に見える。息が詰まるような感覚を覚えた。
さて、ここから僕の意識は飛ぶ事となる。なにせ校則なんて物は生徒手帳に書いてあるんだから、あえて態々説明されるような物ではないし、行事の日程と説明でさえ、その時になれば、また説明をするのだから、意味がない。第一、行事の名前だけで、大凡何が行われるのかなんて、想像が付く。
意識が飛んで、説明会の終了時。怜人が呆れた様子で僕を見ていた。
「天馬、聞いてなかったろ?」
事実なので、素直に頷く。
「じゃあ、次の予定。芦ノ湖を船で一回りして、その後ハイキングっていうのも聞いてなかったな?」
しまった。聞いてない。しおりだって、必需品の確認にしか使ってないから、この日の予定なんて知らない。不覚。ちょっと語弊があるような気がするけど。
「うわぁー。知らなかったー。助かったよ、怜人。ありがとう」
伍茂ちゃんを真似て、少し大きくリアクションをとってみた。怜人はお気に召さなかったご様子で、少し眉を顰めて僕を見つめている。どこか、怒られているような気がしたので、一言謝罪を入れて歩き出した。
どうやら、この旅館は芦ノ湖近くに位置していたらしく、歩いて芦ノ湖まで向かうことになっていたようだ。そこまで遠くない距離だ。若い僕らにはなんてことない距離。出席番号順に二列にならんで歩く。一番は陽人、二番が怜人。三番の僕の隣は、四番の宇喜多君。彼は必要以上に話しかけてくる。いや、必要値っていうのが何れ程なのか分からないけど。
「なぁ、さっき読んでた小説?漫画?わかんねーけど、あれって面白いの?」
いや、主観的価値観を聞かれても、なんと答えて良いのか分からない。ただでさえ、僕の語彙なんてものは少ないのだから、あまり返答が難しくなるような問いは勘弁願いたい。
「まぁ、面白いんじゃないかな。可愛い女の子はいっぱい出てくるよ。ちなみに小説ね、あれ」
「可愛い女の子出てくるの?へぇー、じゃあ俺も読んでみようかな。俺、小説とか読んだことねーんだけど、読めるかな?」
「難しい漢字とか、出てきてもフリガナふってたりするし、大丈夫じゃない?」
いつの間にか、丁寧語で話すのをやめていた。
それくらい、彼は妙に親しげに話しかけてくる。まるで旧知の仲のように。
僕としては、初対面の人には、同級生相手だとしても、それなりに礼節を持って接するのが、僕の流儀だ。たったその程度の意地なので、曲げる程度、やぶさかではない。というより、彼に曲げられた、解かされたと言える。
そんな途方もなければ、生産性のない事を延々と話続け、船着場に着いた。想像以上に大きい船だ。そして、芦ノ湖もそれに比例して想像以上に大きい湖だ。湖というのは、水溜まりと同じ、だと聞いたことがある。こんな大きい水溜まり。少し、感動を覚えた。
船に乗るのは、二クラスずつ乗る事になっているらしい。僕らのクラスが乗り込んで、芦ノ湖を一回りする。大きい芦ノ湖を巡る船。気分は大海原に繰り出す旅人。爽快な気分になっていく。
船の先般に一人で立つ。周りには旧知だか、新知だか知らないが、友人グループを作ってはしゃいでいる。僕と同じ、圧倒的開放感を感じ、気分が高陽しているんだろう。陰鬱を信条にしている。基、周りがそうだと想定している僕でさえ、大声で歌を歌いたいような気分だ。ノリノリである。
「楽しそうだな、天馬」
周囲を意識していなかった。
声に反応して振り向けば、旧知の面子、怜人、陽人、そして伍茂ちゃん。そして新知の面子、宇喜多君。各々が珍獣を見るような目で僕を見ていた。
「久々に見たっ!こんな楽しそうな天馬ちゃんっ!」
自分の事のように喜ぶ伍茂ちゃん。うん、僕も嬉しい。
そんな天真爛漫、天使の笑みを浮かべる伍茂ちゃんに、宇喜多君は男として当然の反応、興味を示した。
「おいおい天馬!この子だれよ!?紹介してくれよ!」
いつの間にか、下の名前で呼ばれている。馴れ馴れしいとは、不思議と思えない。彼は人と仲良くなるのが上手なようだ。
彼は伍茂ちゃんには聞こえないよう、それでいて必死さがよく伝わるように語気を強めて言っていた。さて、僕も彼に習うとしよう。というか、君も二回にもわたる自己紹介、まともに聞いてなかったんだ。
「えっとね、僕の幼馴染だけど、名前はちゃんと、彼女の口から聞いたほうが良いと思うよ」
礼節は大事。
「オーケイ。見守っててくれ」
勇気がある。素直にそう思った。
なにせ、僕はこういう場面で自分を紹介するなんて、できると思えない。
僕は意識を湖へ戻した。うみの名を一部にする水溜まり。言葉にすれば、なんと素敵な事。見渡す限り、水。まさに海。と言っても、その周りには緑、森もある訳だけど。青と緑の織り成す世界。たまには、こんな気分に浸るのも悪くない。
湖を一望し、ハイキングを終え、夕食にはまだ早すぎる時間に旅館へ帰ってきた。そして、次は簡単な学力検査テスト。そいつを終えて、夕食まで一時間近い自由時間が訪れる。
自由時間は静かに過ぎた。僕と怜人、陽人、さらには宇喜多君も加わって、各々読書に励む。恐らく、この旅館で最も静かな部屋だっただろう。怜人は難しそうな、分厚い本を読み、陽人は僕の持ってきた漫画、宇喜多君は漫画よりもラノベの方に興味を示した。船上での僕の説明が功を奏したようだ。・・・功績って訳じゃあないか。
そのまま静かに時は進み、夕食時。大勢でまた広間に集まる。正直に、息苦しい。閉鎖的な、心休まらぬ夕食。そして風呂時。これもまた僕は許せない。僕は風呂というものは、一人で、心身共に安め、ゆったりと臨むものと思っている。温泉旅館なんて納得いかない。銭湯なんて理解不能。故に、僕はクラス単位で風呂に入るなんてまっぴら御免な訳で、身体を手っ取り早く洗い終えると、楽しそうに青春の一頁を謳歌している。賑やかな声に追われるように、逃げるように僕は風呂場を後にする。
とは言っても、まぁさっぱりした訳だ。爽やかな気分には変わりない。あとは消灯時間まで自由時間。怜人達が帰ってくるまでラノベでも読んで暇を潰そう。
思い立ち、足を早めようとした途端、「よぉ、伊田、天馬くぅん」
明白な敵愾心燃やし、その灰を交えたような耳障りの悪い声に振り向く。
あぁ、またあんたらか・・・。
「久しぶりだな。今度は金は要らねえぜ。ただ恥をかかせてくれたお礼に来ただけだ」
お礼と言われちゃ、返す言葉は決まっている。
「どういたしまして」
軽口を叩くのは余裕の表れではない。弱者の虚勢というやつだ。今回は逃げ出す隙間がない。包囲は完璧。それを突き飛ばす力なんて僕には無い。いよいよ危機感が身を侵す。僕の感じた恐怖が彼らに伝わったようだ。嬉しそうに、愉快そうな笑みを浮かべ、僕の腹に一発。
「っぐぁ!!」
膝蹴り。貰う瞬間、僅かに跳ねて鳩尾を回避したものの、それでも痛いものは痛い。思わず屈む格好になる。食後なので吐きそうになる。必死に堪えるが、意識すら飛びそうで、いつ夕食を戻してしまうか分からない。
「おら、立てよ。この前の威勢はどうした」
髪を掴まれ、無理やり立ち上がらせられる。外から見えぬ所を痛めつけるあたり、こいつらは慣れている。こんな状況下で冷静でいられるのは、危機感が一回りして、もはや諦めを感じているからだ。
僕は彼らより、身長が頭一個半程小さい。両の手首を掴まれて吊るされた形になり、まさにサンドバッグといったところ。どうせ殴られるんだ。虚勢をもう一つか二つほど張っておこうか?
僕はうっすらと、彼らを嘲笑するように薄く、笑みを貼り付ける。
「てめぇ、こんな状況でよく笑ってられんな・・・?あぁ?余裕ぶっこいてんじゃねえぞ!!」
怒った。怒った。思惑通りに事が進んで愉快痛快。もうこれだけでいいや。満足した。さて、ここからは僕の領分ではない。こういう物語の運び方されるなら、それは助っ人の晴れ舞台。脇役を圧倒的力で駆逐する存在の表舞台。僕のような力のない脇役同然の主人公がはしゃぐ場面ではない。
「へいへいへい!なーに俺のダチをサンドバッグ代わりにしてくれちゃってんの?」
聞こえてきたのは宇喜多君の声。助っ人登場。視線を向ければ、そこには冷静沈着にして毅然な怜人、悠然として幽かな微笑みを浮かべた陽人、そして怒髪衝天として憤然な宇喜多君。この流れは予定調和のように当然で、人は最終的に死に至るより必然だ。小説だとか、漫画だとか、物語ではこういう場面において、助っ人が登場するのは当たり前の摂理だ。ルールや秩序と言っても過言ではない。事実は小説よりも奇なり、そしてこれは、紛いなく現実であり事実。僕の人生という物語でもある。ならば、助っ人が来ない訳がない。しかし、本当に彼らは物語の主人公のように駆けつけて欲しい時に来てくれる。まぁ、彼らには彼らの人生があり、その人生という物語の主人公であることが間違いないのだ。さながら僕は彼らの人生の中で、ヒロインのような立ち位置らしい。僕は男だけど。
「あぁ?てめぇ、宇喜多。てめぇはこっち側だろうが」
「何いってんの?あんたらもダチだけど、そいつもダチなんだよ。痛めつけられてるダチと痛めつけてるダチ見っけたら、そりゃ痛めつけられてる方、助けるに決まってるっしょ」
宇喜多君は英雄色を好むらしい。今後の事を一切思考する事をしない、その場のテンションのみで動く、考えのない男の子のようだ。
宇喜多君の身長は僕程とまでは言わなくとも、男としては小柄で華奢な方だ。そして彼らに見えてない筈がないのだが、怜人と陽人は、一見だけすれば身長が高いだけの優男。どうみたってこの不良共の方が喧嘩となれば、強そうに、『見える』訳だ。それは不良達の態度から分かる。彼らは、人数的には三対三。それでも自分たちの方が強いと思い込んでいる。しかし、それは見た目、外見という、人を、延いては人の能力を判断する上で、決定的な根拠には本来、成り得ない。それを不良どもは理解できていない。
「天馬、大丈夫か」
怜人が、不良共と宇喜多君のやり取りに関せず、僕を吊るしている不良Aと僕に近づき、不良Aから無理やり僕を引きはがすと、割れ物を扱うような丁寧さで僕を抱きかかえ(世間で言うお姫様抱っこ)、僕を陽人と宇喜多君の後ろまで運んだ。
体中が痛み、僕は思わずうずくまる。腹を重点的に痛めつけられたのが効いている。
そんな僕を、何故か怜人が申し訳なさそうに見つめている。そして、絶対零度の瞳を持って、不良たちに向き直す。
怜人は無表情を信条のように掲げているのかと思うほど、喜怒哀楽の表現をしない男だ。長い付き合いがないと、彼の僅かな表情の変化は読み取れないだろう。それは兄である隼人さんに反比例して育った結果だと、陽人が言っていた。怜人の表情の変化を読み取れる人間は数少ない。例えば、陽人。例えば、隼人さん。例えば、伍茂ちゃん。そして、僕。その僕が断言しよう。怜人は今、噴火寸前の火山よろしく。ガチギレ状態だ。
では陽人は喜怒哀楽の表現が隼人さんと同じように顕著かと言うと、そうではない。陽人が浮かべる表情は常に微笑みだが、喜んでいる時、怒っている時、悲しんでいる時、楽しんでいる時、総じて微笑みなのだ。つまり、陽人の笑みが意味するは、無表情と同義と言っていい。陽人の感情もまた、怜人同様、もしくはそれ以上に読み取りづらい。その陽人ですら、怒ってくれている。怖い、怖い、怖い。怒りの対象が、僕じゃなくて良かった。切実に。
さて、睨み合う三人と三人。僕は戦力にならないので勘定には入れない。こんな事態になった元凶である僕が蚊帳の外で客観的に傍観することになるという、情けない事この上ない状況。僕が女の子ならば絵になるが、生憎勇ましくあるべき男の子。我ながら、考えるだけで涙腺が緩む程に情けない。僕としては、安全が確保されたので、このまま部屋に戻ってもいいのだが、睨み合う六人はそうとは問屋が下ろさないようだ。
無言で互いが互いに威嚇し合う中、沈黙を破ったのは不良グループ側だった。
「退けよ。オレらはそっちのチビに用があんだよ。つか宇喜多ぁ!てめぇも一緒にしばいてやるからな、覚悟しとけよ」
「退くと、思うのか」
「あぁ?じゃあ、無理やり退いてもらうとする・・・ぜっ!」
怜人めがけ、大きく拳を振り上げる。しかし、それじゃあダメだ。それじゃあ子供の喧嘩だ。怜人を相手に、喧嘩じゃ勝てない。
相手が拳を振り下ろす前に、怜人の拳が相手の鳩尾を貫いた。
それは相手よりも無駄がなく、相手よりも圧倒的に素早い動きだった。怜人の繰り出した攻撃は、ボクシングでいうジャブのような小さい一撃。小さい故に、隙が生じない。
喧嘩とは、互いに力いっぱい殴り合い。どちらが先に倒れるかの、芸のない消耗戦だと、怜人が語っていた。そこで、怜人と陽人は技術と速さを用いて、如何に相手から攻撃をもらわず、かつ相手の急所に攻撃を叩き込む喧嘩をしている。最小の力で攻撃し、最大のダメージを相手に齎し、余力で回避と防御に専念する。これでは喧嘩というより、闘いだ。故に、怜人と陽人を相手にする場合、喧嘩では勝てない。素人のそれではまったく歯が立たないのだ。
なんて、誰に説明するわけでもない事をあれこれ思案している内に、喧嘩の幕は閉じられていた。
怜人達の前に、蹲り、腰を抜かし、倒れている三人。三人の瞳に戦意はなく、這いずりまわるように後ずさっている。怜人が止めと言わんばかりに一歩近づくと、彼らは、女子のような叫び声を上げながら逃げ出した。
怜人達が現れた時点でしていたことだが、これで一先ず安心。僕は安堵の息を漏らした。
「立てるか?」
「うん。けど、折角だから手を借りるよ」
怜人の差し出した手をとった。
「わりぃな。俺のダチのせいで」
何故か宇喜多君が頭を下げた。昨日の事は一先ず置いておき、今回の件に関しては宇喜多君に非はないだろう。そう考えたのは僕だけでなく、蒼神兄弟も同じようで、陽人が不思議そうな顔をして、何故君が謝るのか尋ねた。と言っても宇喜多君には陽人の表情の変化が読み取れるとは思えないけど。
彼は申し訳なさそうに答える。
「あいつらが天馬に絡んでるのって、元はと言えば、俺が天馬と肩ぶつけたからっしょ?なら、俺にも責任あるじゃん?」
「え、僕に絡もうって言い出したの、君なの?」
「いや、言い出したのは俺じゃねぇけどよ・・・」
「なら、宇喜多君の責任じゃないでしょ」
あの時点では、非があるのは僕の方だ。僕の不注意で肩をぶつけてしまったわけだから。まぁそのあとの恐喝まがいのやりとりと、今回絡まれた事に関しては、僕に非は一切ないわけだけど、それと同じくらい、宇喜多君にもないのだ。
しかし、彼は精神の切り替えというやつが常人の数倍優れているようだ。先程までは、罪を償い自殺でもしそうな勢いで沈んでいたというに、僕の言葉を聞くなり、まるで罪を償いきった囚人のような、憑き物の落ちた活き活きとした表情になっていた。頭の中が軽いだけ、気に病むことも、後悔を引きずって陰鬱とすることもないのだろう。僕のように反省もしないとするのは頂けないが。
長い一日が漸く終え、後日の昼前に地元へ帰還を果たした。
家に帰るまでが移動教室だ、と泰田先生の有難いお言葉を受け、僕と蒼神兄弟、そして伍茂ちゃんは帰路を辿る。昼前の伍茂ちゃんはやや情緒が不安定なので、話しかけられないかぎり、触らぬ神に祟りなし。怜人は元来の無口。陽人も表情に似合わず、余計なことは口にしない。僕もまぁ、似通ったキャラなので、帰り道は静かなものとなった。
我先にと騒ぎ立てる伍茂ちゃんが静かだと、この面子では心地よい沈黙を共有することもある。沈黙が支配する空気でも、重苦しいことなく、気まずさもないというのは、やはり僕ら四人が『友人』だという事だろう。
僕と伍茂ちゃんの経済環境から外食はよろしくない。なので、僕らは各々家に帰って昼食を済ますことになった。
面倒な行事も終わり、食事を終えて一息ついた僕の携帯が、平穏の終わりを告げるように着信音を鳴り響かせた。ディスプレイには、先日登録したばかりの宇喜多君の名前が表示されていた。
「もしもし」
「おっす!おつかれー。今日、この後暇かー?」
「いや、このあと、僕は睡眠を貪るという予定があるんだ」
「おっけー、じゃあ天馬ん家今から行くわー」
話聞いてたのか、この無能。
「いや、あのね。僕、このあと・・・」
「ようするに暇なんだろ?まだ昼なんだし、遊ぼーぜー。駅着いたらまた電話するわ」
ツーツーツー。
切れた。
どうやら本当に来る気らしい。まぁ、僕の足の事を知られている以上、下手に断る事はできないか。宇喜多君がゆすりまがいな事をするとは思えないけれど。というか、そんな思考する頭を持っているとは思えない、か。
さて、宇喜多君がこっちに着くまで、惰眠を貪りたいところではありますが、心開いていない他人がいる部屋で安眠などとれるわけもなく、移動教室の疲れが抜けきらぬ状態で眠りに落ちれば、恐らく携帯の着信なんかでは起きないだろう。
このフラフラな状態を意地し、宇喜多君の到着を待つとしよう。
兎に角新キャラをどんどん出せるのが楽しい!
ただキャラクターとキャラクターの会話がつまらないと思う
精進せねば・・・