第十一話 人生血だらけ死者欲だらけ
暗い、瞑い、昼の下。
三途の川を進むのは、亡者を乗せた渡し舟。
救うように、攫うように。
おおん。おおん。
牛が啼く―――。
禍牛舟は進む。
何処に向かっているかは定かでは無いが、ひたすら進んでいる。
永久町の商店街。
年末の為か、店のシャッターは全部閉まっており、誰も居ない。
好都合といえば好都合である。
「焔世! あそこに私だけ降ろして」
一本脚の大鶴は、巡さんが言ったとおりの場所に下降する。
その場所に近づいたところで、その一本脚に掴まっていた巡さんは、掴まっていたその手を離し、その場所に降り立つ。
禍牛舟の進行方向にある、一軒の家。その屋根に巡さんは立った。
そこが、禍牛舟の向かう先なのだろうか。
僕と、猫に変わった(戻った?)お涼さんは、ぐるぐるとその家の上空を旋廻する焔世に乗って、それを見ている。
「我壁ッ!!」
前方の道路から、轟音を立てながら大きな煉瓦の壁が現れる。
進行を塞ぐ妖、塗り壁だ。
我壁は地上十何mくらいまで高く広く盛り上がり、蝸牛舟の進行を阻む。
蝸牛舟は勢いのまま我壁に激突すると、大きな音をたてて倒れる。
そのまま再度動かない。
それを確認したのか、巡さんは屋根を駆け下りて我壁を駆け上がる。禍牛舟に更なる追撃を食らわせようとしているのだろう。
錫杖を思い切り振り上げ、禍牛舟の頭部に振り下ろ……せなかった。
巡さんは何かに思い切り蹴り落とされ、アスファルトの上に背中から落ちる。
蹴り落とした何か―――薬師 識は、そのまま我壁の上に着地する。
「だから、邪魔をするなよ」
薬師は右手を挙げる。
「木は土に剋つ」
そう言うと、薬師の右手から淡い緑色のオーラのようなものが。
薬師はそのまま、右手で我壁に触れる。
すると、その右手が触れた部分から、我壁が崩れた。
音も立てず、静かに崩れて消えてしまった。
「……」
僕は声も出せないで、ただ、それを見ている。
次に薬師は、倒れた禍牛舟の近くまで歩く。
「土は金を生じ―――」
右手から出るオーラが、次は黄土色に、そして銀色になり。
「―――金は水を生ず」
青色のオーラが出る。
薬師は右手を、禍牛舟に当てる。
ピクリと、禍牛舟の身体が動いた。
ぎい。
ふと、何か……木が軋む音が聞こえた。
というよりも、舟を漕ぐ音と言うべきか?
ぎい。ぎい。ぎい。ぎい。ぎい。
どんどん近づいてくるように、音が大きくなってくる。
「肇くん、私、行ってきます。此処から無茶に降りないで下さいね」
「えっ」
僕が振り向き終わる前に、お涼さんがいなくなっていた。
下を見ると、もう既に地面に降り立ち、人間の、いつもの姿へと変化していた。
「お涼さん!!」
僕もつい乗り出して、いっそのこと降り……落ちようとしていたとき。
嫌いだ。
「えっ!?」
聞こえた。
嫌いだ。母さんなんて嫌いだ。
何処からか、聞こえる。
直接、頭を弄るように。
死んじゃえよ。
誰だ。誰が……!!
もしや。
もしやもしやもしやもしや―――。
僕は、ゆっくりと起き上がる、大きくて禍々しいカタツムリ―――禍牛舟を見た。
もしや、今の声は。
―――禍牛舟の声なのか!?
母さんも先生も友達も日本人も外国人も総理大臣も大統領も。
あの子もあの子もあの子もあの子もあの子もその子もどの子もみんなみんなみんな。
みんな。
死んでしまえ―――――。
『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお』
大きく唸り、禍牛舟が起き上がる。
やはり、今のは禍牛舟の声だったんだ。
「進め進めよ禍牛舟。お前の望みの通り、人間共を乗せて三途を渡れ。お前は、そういう怪だ。水の際に蠢く牛、彼の世と此の世の境を繋ぐ、三途の川の渡し舟だ」
薬師はからからと笑う。
禍牛舟。蝸牛の方舟。
川や端の下、というより、水で遮ったものはあっちとこっちの境目だと昔から良く謂う。
三途の川には、死者の魂を舟に乗せて運ぶとも謂う。
ならば、あの舟こそが、それ、なのだろう。
蝸牛も水際に住まう牛だ。そして牛は、人や物を運ぶのだ。
死者を、彼の世へと。
ならば、生きている人間をあちら側に連れて行ったらどうなるか。
それは勿論の事。
死ぬ。ただ、それだけだ。
死んでしまう。そのそれだけの事こそが、人間にとっては最大の恐怖だ。個人差は有るけども。
死後、どうなるか、意識はあるのか、それが解らない。解らないというのは、怖いんだ。
僕も、今では妖という人でないモノの存在を知っているが、幽霊がいるのかは解らない。
もし見たとしても、今ではそれがその人自身とは思えない。
ただ、死んだ人への未練が、周りの人の思いが、無意味に凝固して出来ただけの、顔が同じだけの、モノという風にしか思えない。
『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお』
禍牛舟が再び唸る。それはまるで、大きな客船が港から出航するかのようにも思えた。
けれども、この舟が向かうのは、彼の世だ。渡るのは三途の川。
決して大航海などではない。
ただ、彼方と此方を行き来するだけの、単なる渡し舟だ。
僕は、舟が行ってしまうのを呆然と、空から見ている。
だって、僕は、見ていることしか出来ないのだから。そう言われたんだから。
僕は。
「乙ッ!!」
巡さんが、まるで大太鼓を叩くように、錫杖で禍牛舟の身体を叩きつける。
とても低く、それでいて響く音。
禍牛舟が少し揺らいだ。
巡さんの周りには、いつの間にか、数百枚単位のお札が、輪を描いてくるくる回りながら浮遊している。
「おや、お早い回復で」
「禍牛舟の生み主を何処へやった」
低く強い声で巡さんは言う。
「さあ? 知らないね」
ふざけたように薬師は言った。
「……質問を変える。お前に、そのカタツムリを作るよう依頼したのは誰だ」
「あられ、知ってたのか」
からから。薬師は実際にそう言いながら笑う。
というか、依頼したって……!?
「禍牛舟を作るのを依頼された!? どどど、どういうことです!?」
「……九十九君、一寸黙ってて。焔世、九十九君を落としておいて」
ん? 落とす?
考える間も無く、僕は、焔世から、無理矢理、落とされれれれれれれ!?
「ちょ、めぐr」
一軒家の屋根に激突。
そしてまだ動ける事にビックリ。
僕……死期がもうそこまで迫ってる気がする。
「邪魔が入ったわね。で、誰なのかしら」
巡さんが冷たい声色で迫る。
「誰も何も。巡ちゃん、もう解ってるでしょうに」
「判ってないわ」
「君は禍牛舟を止めようと、何処に降り立ったんだよ。無意味にか? 違うでしょ。その、今九十九神くんが倒れてるその屋根。その真新しい一軒家」
僕は、自分が落ちた、屋根を、もとい家を見た。
「吉野 佳奈子。中学一年生の女の子。僕にとあるお願いをした、健気な、普通の女の子だよ」
薬師は、懐から一枚の写真を取り出す。
この距離だと、全く見えないが、おそらく、その女の子が写っているのだろう。
「ボク、ちょっとしたお仕事、いや、ある趣味をしていてね。ホームページもあるんだ。主に人間関係を取り戻す方法とか、悩み相談とか受けるだけなんだけどね。勿論無料で、無償で。物騒なものだと、あの子を呪いたいとか殺したいとか。ま、そーいうのは基本、門前払いだけど。本当だぜ?」
「で、それが?」
禍牛舟は、じっと、動かない。おそらく、薬師の命令で何でも出来るのだろう。助かる。
話の途中で、再び暴れられると、展開が面倒だ。
「んー? それがって。解るでしょうに。その佳奈子ちゃんが、ボクの処に来て、お願いしたんだよ」
お母さんを、前の、優しかったお母さんに戻して欲しいって。
薬師は、インターホンを押した。
此処から、グダ~ッとした展開になります……グダグダがあともう一話続きます