第十話 白い沢に住まう禍の牛
おおん。
おおん。おおん。おおん。
おおん。おおん。おおん。おおん。おおん。
おおん。おおん。おおん。おおん。おおん。おおん。おおん。
おおん。おおん。おおん。おおん。おおん。おおん。おおん。おおん。おおん。
おおん。おおん。おおん。おおん。おおん。おおん。おおん。おおん。おおん。おおん。おおん。
ぎい。ぎい。ぎい。ぎい。ぎい―――――。
僕は前々から、両親が苦手だった。
僕に期待して、自分達が出来なかったことを押し付けようとして。
厭だった。
だけど、そんな両親が、僕は大好きだった。
だからこそ、僕は。
同じだ、と、心から思ったのだった。
巡さんは僕の前を行く。
僕もそれを追って歩く。
僕は、まだ、確信がもてなかった。
薬師 識という、人が。
今回の一件に深く関わっている、黒幕だと。
それに、巡さんは、薬師さんについて、もう一つ何かを感じているようだった。
「お涼?今すぐ第三公園に来て。色色と大変なことになりそうなの」
巡さんは公衆電話でお涼さんに連絡を取る。携帯電話を持っていないのだ。
僕も所持することは許されておらず、自室に普段は置いてある。
因みに名義は巡さん。日常生活だと不便だろうからと、僕に買ってくれた。
とは言っても、僕はほとんど使っていない。
小学生の頃は、携帯電話を持つことに、一種の憧れか何かを抱いており、よく両親にもせがんでいたのだが、実際に持ってみると、何故かどうでもよくなってしまった。
あれだけ欲しかったものだったというのに。
手に入ってしまうと、興味が無くなってしまう。
「九十九君。再三注意しておくけれど、君は実戦に参加しちゃ駄目よ。私が許可した場合を除いてね」
「解りました」
「よろしい」
巡さんはそう言うと、懐から数枚のお札を取り出すと、僕に手渡す。
「もし妖に攻撃されそうになったら、これを目の前に飛ばしなさい。ある程度の攻撃なら、これが吸収してくれるわ」
「わ、解りました」
僕はそれをズボンのポケットにしまう。
「それじゃ、九十九君の初陣を飾りに行きましょう」
「この前の鼠騒動が本当の初陣ですけど」
あの時はまあ、あくまで関係者だったが。
時刻はまだ正午を過ぎた辺りであった。
だけれども、空には濃くて深い雲が日光を遮断していて、真昼だというのに、まるで夜のような暗さであった。
第三公園。
広いわけでも、狭いわけでも、遊具が少ないわけでもない。中の中という表現がしっくりくる、この公園。
その、公園の、いつも薬師さんが読み聞かせをしていたベンチ。
そこに、男は座っていた。
男は真っ白い燕尾服を身に纏っている。靴も白い。
僕と巡さん、そして、僕が公園に着いたのと同じくらいにやってきたお涼さんは、その男が座っているベンチとは反対側のベンチに座っていた。
僕がいつも座っていたベンチだ。
男が立ち上がる。
それに合わせて僕たちも立ち上がる。
両方、同じように、中央に向かって歩き出す。
そして、止まった。
「やぁ」
男―――薬師 識は言った。
薬師さんは相変わらず、普通だった。
オーラ、というか、気配が、普通だった。
だけど、今はそれが、とても怖く感じられる。
やはり、この人は、黒だ。
「まあ何とも、展開が早いネット小説だねぇ。君もそう思うだろぅ、九十九神クん」
からからと笑う。
「それより、君がまさか“祓妖会”に属している人間だっタとは、吃驚だねぃ」
祓妖会。世間の裏で、俗に言う妖退治を主とする、平安より続く組織である。怪しいっちゃ怪しい組織である。
「貴方が薬師 識ね」
「初めまして、永久家のお譲さん。巡ちゃん、だっけ。今年で何歳?」
「……二十一よ」
「惜しいっ! ボクの好みギリギリアウトだよ」
「もし私が二十歳だったとしても、貴方と付き合いはしないわ」
「冷たいなぁ、そんなだと、婚期逃しちゃうよぅ?」
薬師さんは再びからからと調子良く笑う。
巡さんはいたって真顔だ。
「……単刀直入に訊くわ。t「利根川に現れた牛鬼を作ったのは、貴方ね? と訊きたかっタんだろう? それハ勿論、ボクが作った牛鬼だよ」
「っ!!」
巡さんが一歩退く。その顔には嫌悪の表情が浮かんでいる。
「とは言っタって、あの牛鬼ハまだ、何にも仕出かしちゃいないよ。祓妖会の陰陽師がでしゃばる事柄じゃない」
「陰陽師じゃないわよ。それに、まだ仕出かしてないとはいえ、牛鬼なんて、まだ正体が判らないモノが何をするか……」
「大丈夫大丈夫。ボクの牛鬼は下らない事だけハしないって。タだの渡し舟なんだから」
「渡し舟?」
「やっぱりそうなのね……」
巡さんが薬師さんを睨む。
「そぅ、渡し舟。とは言っても、まだまだ実験段階なんだけどさ。ま、今回はどうやって妖怪まで底上げするかが問題だっタから、別にいいかな」
「!?」
巡さんの顔が強張る。
話についていけてない僕は、どうしていいのか解らず、キョロキョロ辺りを見回していた。
「おやおや九十九神クん。どうやら話についていけてないみタいだねぃ。巡ちゃん、駄目じゃないか、基本的なことハしっかりと教えてあげなきゃあ」
「方針は私次第よ」
「ううむ、頑固なお師匠さんを持っちゃっタようだね……仕方ない、ボクが特別授業をしてあげようじゃないか」
薬師さんは僕の肩を掴んで、微笑んだ。
異様に、怖かった。
「妖というのハ、自身を生んだ人間と、まるでへその緒のように繋がっている。そのへその緒から、生み主の情報や、更なる劣等感なんかを補給するんだ。そうしてどんどん成長、いや、膨張していく。すると、段々生み主より、妖の方が存在が濃くなっていってさ、生み主の中に隠れたり、生み主を使って餌を誘き寄せたりできるようになるんだ」
高木はあのとき、もうそんな風だったのだろうか。
そう、思った。
「んでね。濃くなって濃くなってほとんど吸い切ったとき、妖ハ、生み主になる。生み主の存在を乗っ取る。見タ目も記憶も声も顔も何もかもが本人なのに、本人じゃなくなるんだ。妖の独自の意思となる」
「っ!!」
「そうなったとき、妖は、怪異の最終地点に行き着くんだ。それが、妖怪だ」
「妖怪……」
「ふふ。九十九神クん、さて、君のクラスメイトや担任の先生や、友達は、本当に、その人本人なのかねぃ?」
狂ったような微笑みを見せる薬師さん。
僕は本能的に、肩を掴んでいるその両手を、思い切り振り払った。
「あれれ、九十九神クんにも嫌われちゃっタか。そっちの猫のお譲ちゃんにも」
お涼さんはとても不快な顔をしていた。
「まあいいや。丁度到着しタみたいだし」
そう言って公園の、大通り側の出入り口を見る。確かあっちには川があったっけ。
『 』
無の咆哮。だが、それはとても、僕を怯ませた。
そこには、牛のような鬼のような、化け物がいた。
「牛鬼……ッ!?」
だが、それは僕が最初に見たときとは、姿が全く違っていた。
言い表すならばそれは、大きな大きなカタツムリ。
渦を巻く、水際の牛。
「あっハっハっハっハ! 紹介しよぅ、ボクが個人的に改造しタ牛鬼、名付けるならば“禍牛舟”!!」
薬師が高笑いする。
牛鬼―――禍牛舟は、静かに蠢く。
「だいろ神も参考にしてるわね……厄介だわ」
「どうしますご主人。ここは一旦様子を見るべきかと」
「確かに。個人改造の妖は、一体どんな特性を持っているか判らない。ここは、あれがどういうモノなのか観察するべきね……お涼、援護を頼むわ。九十九君は……課外授業よ、あくまでもあれと戦おうとしないで頂戴」
「「諒解!」」
威勢良く言ったけど、今回も見学です。
昼だというのに、夜のように暗かった。
禍牛舟はその体をくねらせながら、ゆっくり進む。
「継接! 縫付!」
巡さんは、懐から二枚、札を取り出して投げる。
札が光り、二体、いや二対のムササビが召喚される。
継接と縫付と呼ばれた二対のムササビは、禍牛舟に向かって滑空し、貼りつく。
すると、継接と縫付が薄い大きな膜のようなものに変化する。
禍牛舟がもがき苦しむ。
「ん、衾かぁ、邪魔をしてクれるなよ? 巡ちゃん」
薬師は禍牛舟の隣まで来ると、簡単に、包装紙を破くかのごとく継接と縫付を剥がしてしまう。
「なっ、嘘でしょ!?」
「嘘も真も無いよ。ふふ、そうやって邪魔をしタって無意味だよ? ほら、来ちゃっタ」
薬師は、禍牛舟が来たのとは逆の出入り口を指差す。
それは、子ども達だった。
毎日、薬師の読み聞かせに来ていた、小さな子ども達が。
一列になって、禍牛舟の方へとゆっくり歩を進めていた。
まるで、ハーメルンの笛吹きが吹く笛の音に導かれるように。
「九十九君っ!!」
巡さんが叫ぶと同時に、僕は、子ども達を止めようと、走り出す。
歩き続ける子ども達を必死に止めようとするが、止まらない。それどころか逆に突き飛ばされてしまう。
七歳とかそのぐらいの力じゃない。
人間の100%の力が引き出されてるのか。本能で動いているからなのか。
その後も必死で止めようとするが止まらない。禍牛舟への距離はどんどん縮まっていっている。
「邪魔をするんじゃねえよ人間、実験途中だぜ?」
「えっ……」
誰の声だ。
確認する前に、吹き飛ばされる。
木にぶつかって、落ちる。肺の中の空気が全部押し出された。
僕はなんとか立ち上がると、僕がいた場所を見る。
薬師が立っていた。
今さっきのあの声は、薬師の声だったのか。
そう思い至る前に、気づく。
薬師の姿。
髪が、純粋な白色に変わっていた。長さも、足首の上辺りまで伸びていた。
和泉さんのような白銀とも違う、勿論白髪とも違う。
あれは、鬣。
ライオンのような、鬣だ。
薬師は僕を見ると、ニィと笑う。そして、前髪をかきあげた。
額には、有り得ない、有り得てはいけないものがあった。
縦方向に入った一本の切れ目のようなもの。
それが、ぎょろりと、開いた。
眼だ。
眼が。
三つ目の、眼が、その額にはあったのだ。
それは。それはそれはそれは。
「白澤……!?」
その答えを、口に出して言っていた。
中国に伝わる神獣。
森羅万象に通じ、鬼神と薬の知識を豊富に持つ、白い獣。
「ん? 流石にその名前ぐらいは知っていたか。いや、むしろ最近知ったばかりか? まあいい、実験を再開するとしよう」
薬師はすたすたと歩いて、禍牛舟の後ろに。
「九十九君!! 大丈夫!?」
巡さんが慌てた様子で駆け寄ってくる。お涼さんもとても不安げな顔をして一緒に走ってくる。
「だ、だいじょ……うぶで、す。そ、れよ、り、あれは……」
まだ美味く喋ることが出来ない。息を整えるため深呼吸深呼吸。
「ああ、白澤、か。私は九十九君からあいつの話を聞いたときに気づいたわ。だから訊いたのよ」
―――気づかなかったの?
ああ、あれはそういうことだったのか。
「よくよくあいつの喋り方を思い出せば、簡単よ。多分わざとやっていたんでしょうけど」
「それよ、り……」
深呼吸深呼吸。
「それより、子ども達、が!!」
「解ってる。九十九君は早く隠れてなさいな」
巡さんとお涼さんは駆けて行った。
僕は、ゆっくりと立ち上がり、木の陰に座り込んだ。
骨折は間違いない。運が良ければ大丈夫かな? なんて。
思い出す。
先ほど、僕が薬師に吹き飛ばされる直前。
あいつは、実験と言った。
実験、禍牛舟の……?
なら、あの子ども達は……!?
「薬師ィィィィイイイイイイイイイイイイ!!」
巡さんの大きな怒鳴り声が聞こえて、その方向を向く。
巡さんが薬師に向かって思い切り錫杖を突く。
が、何かに弾かれたように、巡さんの方が吹き飛ぶ。
一体何が。一体……!!
子ども達がいなかった。
何処に消えた。何処に。
それは一つしかないというのに。
禍牛舟が膨張し、更に大きくなっていく。もう10mを超える勢いだ。
まさか。
その、まさかだというのか。
子ども達が、喰われたのか。
連れ去られてしまったというのか……!!
「ほうほう、更に大きくなるか。ではそろそろ……」
薬師は何か呟きながら、禍牛舟を見続ける。
実験か。
あいつはただ、実験をしている。対象は禍牛舟。
材料、いや燃料は、子供か。
『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお』
突然、今まで何も発さなかった、禍牛舟が、唸った。
まるで何かの警告音のように。
べちゃり。
べちゃり。べちゃり。
べちゃり。べちゃり。べちゃり。
禍牛舟の身体から、奇妙な音を上げながら、左右四本ずつ、合計八本の大きな蜘蛛の脚が。
『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお』
再び唸る。
すると、今までとは全く違う速さで進み始めた。
言うなら時速30kmぐらいで。
禍牛舟は巡さん達を通り過ぎ街中へと出て行く。
「しまっ……!! お涼!! 九十九君!!」
僕は巡さんの元へ駆け寄る。
「私とお涼は禍牛舟を追うわ。九十九君は……」
「僕も行きます」
「……解ったわ。焔世っ!!」
巡さんは、大きな鶴を呼び出す。その脚は一本のみだ。
「ほう、畢方か。俺の知識の中にもある鬼神だな」
「薬師……」
怒りを露わにした顔で巡さんが言う。
薬師はからからと笑った。
「ふん、別に邪魔はしない。早く行くが良い。どんどん人間が死んでいくぞ?」
薬師はフッと、その場から忽然と消えた。
「行くわよ」
焔世が飛び立った。
最近、説明ばっかな気がします……
いつかまとめるべきか。