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第一話:残機9

「生き延びたければ、被れ……」


人ならざる異形が地上を蹂躙し、五つの信仰が支配する神なき殺伐とした世界。

死体漁りで日銭を稼ぐ少年ロベルは、死にかけの男から、超人へと変身できるが10回使えば死ぬという呪いの『マスク』を継承した。


それは、愛する家族を奪った巨大な闇――宗教と企業が結託して敷いた、非道な支配への復讐の序曲。


漆黒のスーツ。残り10回分の命。

少年は神と鉄と血に染まった街を駆け抜け、呪われた復讐劇の幕が開ける。


※この物語には暴力的な描写が含まれます。苦手な方はご注意ください。

冷たい酸性雨が、スラムの底に転がる鉄クズを容赦なく叩きつけている。


ロベル・スターは、血だまりに沈む大柄な男を見下ろしていた。

男の脇腹からは止めどなく血が溢れ、泥水と混ざって赤黒い染みを広げている。ロベルは雨で凍える指先をごまかすように強く握り込み、男の黒いコートへゆっくりと手を伸ばした。


「……焦るなよ」


ひどく落ち着いた、低く掠れた声だった。

弾かれたように手を止めたロベルの視線の先で、男——ダン・イジスが薄く目を開けていた。痛みで顔を歪めることもなく、ただ自嘲するような笑みを口角に引っ掛けている。


「そんなに震えた手じゃ、小銭入れ一つ上手く抜けやしないぞ。仔犬ガキ


からかわれたのだと気づき、ロベルの顔にサッと怒りの熱が上る。舌打ちをし、懐のナイフへ手を掛けようとしたロベルへ、ダンはゆっくりと視線を外し——路地裏の『奥』へと向けた。


「それに……」


雨音を切り裂くように、硬い軍靴が水溜まりを蹴り上げる音が複数、急速に近づいてくる。


「あっちだ! 血痕が続いているぞ!」


怒声と共に、崩れかけたレンガの壁に強烈なフラッシュライトの光が乱反射した。ただの武装した人間ではない。光の端で、不自然な青白い放電がバチバチと空気を焦がす音が混ざっている。


「身ぐるみを剥ぐなら、後ろの『客』をどうにかしてからにしろ。……仲良く蜂の巣にされるぞ」


ダンは自身の顔の横へ手をやり——奇妙な意匠の施された『マスク』を、乱暴に置いた。

途端に、彼の手からむせ返るような生暖かい血の匂いが広がる。


「生き延びたければ……こいつを被れ」


泥に塗れたロベルの胸元へ、赤黒く染まったマスクが押し付けられる。


「な……っ」


鉄錆と血の匂いが鼻腔を激しく殴りつけた。ロベルは咄嗟に息を呑み、半歩後ずさる。

(なんだ、これは。こいつは一体何を言っている……?)


視線が、男の血走った瞳と、手の中の不気味なマスクとの間を激しく往復する。路地裏の入り口からは、確実な『死』の気配である軍靴の音が、もう数メートル先まで迫っていた。


それでも、ロベルの指は硬直したまま動かない。赤黒く染まった未知の物体に対する本能的な嫌悪と、突然の異常事態に、彼の冷徹なはずの思考は完全にショートしていた。


「そこだッ!!」


怒声が飛んだ直後だった。

ロベルのすぐ横のレンガ壁が、青白い閃光と共に『爆発』した。


「——ッ!?」


鼓膜を破るような轟音。熱波と砕けたレンガの破片が、容赦なくロベルの身体に降り注ぐ。

(死ぬ——!)圧倒的な暴力の前に、思考も理屈も消え失せた。ロベルは頭部を守るため、反射的に両腕で顔を覆う。


その両手に、ダンの『マスク』が握られていることも忘れて。


ガチ、と。

顔面に冷たい硬質が張り付いた瞬間、ロベルの視界が反転した。


『——■■■■■■』


声にならない耳鳴りが、頭蓋骨の内側から響き渡る。

泥と雨の冷たさが消え、代わりに氷の杭を脳髄に直接打ち込まれたような、鋭く冷たい感覚が全身の神経を駆け巡った。


続いて、皮膚の上にぞわぞわとした異物感が這い上がる。首元からどす黒い『何か』が溢れ出し、酸性雨を弾きながら、ロベルの痩せぎすな肉体を覆うように瞬時に形を成していく。自動生成された、闇より深い漆黒のスーツ。


(なんだ、これ……は……?)


ゆっくりと目を開く。

先ほどまで薄暗かったはずの路地裏が、白昼のように鮮明に見えた。

いや、それだけではない。壁の向こう側から銃を構えて踏み込んでくる武装兵たちの心音、呼吸、そして彼らの体から立ち昇る「青白い力の揺らぎ」の隙間が、まるで赤い糸のようにくっきりと視覚化されていた。


「……拾い食い、大成功だな。仔犬」


背後で、血を吐きながらダンが笑う気配がした。


視界が、異常なほどクリアだった。

降り注ぐ酸性雨の粒が、まるで空中で静止しているかのように遅く見える。


ロベルは、漆黒に覆われた自分の両手を見つめた。軽く握り込んだだけで、指先の関節から「ギィッ」と鋼線を軋ませるような凶悪な音が鳴る。


(なんだ、これは……俺の体か?)


全能感よりも先に、ひどい吐き気がした。自分の肉体が、人間の規格から完全に逸脱してしまったという本能的な恐怖。


「動けッ! ターゲットは路地裏だ!」


壁の向こうから、軍靴の音がなだれ込んでくる。

青白い閃光が再び瞬き、崩れかけたレンガの壁が完全に吹き飛ばされた。

土煙の中から、アサルトライフルを構えた数人の兵士と、全身から青い火花を散らす男の姿が現れる。


圧倒的な暴力が目の前にあるというのに、ロベルの足は泥に縫い付けられたように動かなかった。恐怖ではない。あまりにも膨大な視覚情報——敵の脈拍、筋肉の収縮、そして『赤い糸』——が脳に流れ込み、処理が追いつかないのだ。


「……自分の手に酔ってる暇はないぞ、仔犬」


背後で、血反吐を吐きながらダンが冷たく言い放つ。


「その玩具は防弾チョッキじゃない。今すぐそいつらの息の根を止めなきゃ……仲良く肉塊に逆戻りだ」


ダンの掠れた声が、ショートしていたロベルの脳を強引に再起動させた。

(殺るしかない——!)


ロベルは懐のナイフを引き抜き、濡れた石畳を蹴った。

パァンッ!と、乾いた破裂音が路地裏に響く。

踏み込んだ自分の足元で、硬い石畳がクレーターのように陥没していた。


「なっ——」


先頭の兵士が銃口を向けるよりも速かった。

ロベルの黒いシルエットが、雨粒を弾き飛ばしながら瞬時に兵士の懐へ入り込む。

視界に浮かび上がる『赤い糸』の通りに、刃を滑らせた。


肉を裂き、骨を断つ感触すら希薄だった。まるで濡れた紙を引き裂くような手応えと共に、兵士の首から鮮血が噴き上がる。


「ヒッ……!?」「撃て! 撃てェッ!!」


パニックに陥った兵士たちが乱射する銃弾を、ロベルは最小限の動きで躱していく。弾道すらも、赤い軌跡として視覚化されていた。

冷たい殺意が、ロベルの全身を支配していく。鉄錆と血の匂いが、青白い放電のオゾン臭を完全に塗り潰していった。


「バケモノが……ッ!」


残った数名の兵士が紙屑のように切り裂かれていく中、背後にいた青い放電を纏う男の顔が、限界まで引きつっていた。

こいつには勝てない、という剥き出しの恐怖が、男に最悪の判断を下させる。


男はライフルの引き金を引く代わりに、両手を足元の赤茶けた水溜まりと、崩れかけたレンガの壁へと同時に叩きつけた。


「死んでろォッ!!」


悲鳴のような絶叫と共に、致死量の青白い雷光が炸裂した。

鼓膜を焼くような『ジジジジィッ!!』という轟音が路地裏を支配する。酸性雨で作られた足元の水溜まりが瞬時に沸騰し、高圧電流を帯びた水蒸気が爆発的に膨張した。


「ギャアアアアッ!?」

「隊、長……ッ!?」


水溜まりに足を踏み入れていた残りの兵士たちが、味方が放った電撃をまともに浴びて泡を吹き、黒焦げになって倒れ伏す。

同時に、雷撃を打ち込まれた脆いレンガ壁が限界を迎え、建物の骨組みごとひび割れる悲鳴を上げた。


(チッ――!)


ロベルの視界に無数に浮かび上がっていた『赤い糸』が、無差別に降り注ぐ瓦礫と、視界を白く染め上げる電流の網によって完全に掻き消される。

ロベルは追撃のために踏み込もうとしていた右足を反射的に引いた。いくら超常の力を得たとはいえ、あの光に触れると無事では済まない。そう考えた。


頭上から数十キロのレンガの塊が、青い火花を散らしながら崩落してくる。ロベルは漆黒に覆われた腕を振り抜き、迫る瓦礫を空中で粉砕した。


パラパラと石の粉塵が黒いスーツを叩く。オゾン臭と、肉が焦げるひどい悪臭が鼻腔を突いた。


もうもうと立ち込める土煙と水蒸気が晴れた時、そこには絶命した兵士たちの肉片と、崩落した壁の残骸だけが残されていた。

放電男の姿は、もうどこにもない。逃げられたのだ。


ロベルは小さく息を吐き、血に濡れたナイフを静かに下ろした。

冷たい酸性雨の音だけが、再び路地裏に戻ってくる。


「……」


ロベルが小さく息を吐いた瞬間だった。

顔に張り付いていた硬質な感覚が、泥のようにドロリと崩れ落ちる。それを合図にするかのように、漆黒のスーツがノイズを発して明滅し、ロベルの肉体から強制的に剥がれ落ちた。


「——ガ、アッ!?」


元の痩せぎすな肉体に戻った直後。

脳髄に、巨大な万力を打ち込まれたような凄まじい激痛が走った。視界が白く明滅し、平衡感覚が完全に吹き飛ぶ。


ロベルは泥水の中に両膝を突き、そのまま前のめりに倒れ込んだ。


「ハッ……カ、ハッ……!」


異常な高熱が、全身の筋肉と内臓を内側から焼き焦がそうとしている。降り注ぐ冷たい酸性雨が、ロベルの肌に触れた途端に「ジュッ」と音を立てて蒸発していく錯覚すら覚えた。全身の筋繊維が断裂したかのような激痛で、指一本すらまともに動かせない。


さらに、胃袋が痙攣を起こす。

急激にカロリーと水分を搾取された肉体が、飢えと渇きで狂いそうになっていた。ロベルは泥まみれの石畳を掻きむしりながら、胃液だけを激しく吐き出す。喉の奥がカラカラにひび割れ、鉄錆のような血の味が広がった。


(なんだ……この、ふざけた……痛みは……ッ)


超常の力を得た代償。

人間の規格を無理やり超えたことによる、肉体と脳の完全なオーバーヒートだった。


「……初めてにしちゃ、上出来だ」


雨だれとロベルの荒い呼吸音に混じって、ダンの掠れた声が降ってきた。

ロベルが霞む視線だけで音のした方を見上げると、血だまりの中に座り込んだダンが、自嘲するように口角を上げている。


「それが、神の領域に足を踏み入れたツケだ」


ダンは懐からひしゃげた安タバコを取り出すと、震える指で強引に火をつけた。

紫煙が雨に溶けていく。苦い匂いが、ロベルの鼻腔を撫でた。


「ようこそ、地獄へ。……お前の命は、あと『九回』だ」


その言葉の重みが、容赦ない酸性雨とともに、ロベルの熱に浮かされた脳髄へ冷たく刻み込まれた。

第1話をお読みいただき、ありがとうございます。

続きを書いていきますので、ブックマークや評価をしていただけると嬉しいです。

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