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声をなくした花屋と、言葉を捨てたマイム  作者: 稀葉


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第二章 魔法の言葉 5

ファミレスの店内は、カトラリーの音と、人のざわめきで満たされていた。

向かいの席のナギが、注文タブレットとメニュー表を手に取る。

 

「伊藤さんは、どっちで見ますか?」

 

冊子とタブレットを見比べながら、ナギが問いかけた。

咲良がタブレットを指差すと、「はい」と笑って差し出された。

 

「俺は、こっちのほうが好きなんです」

 

メニュー表を軽く掲げ、ナギが微笑んでページをめくる。

子どもが好きな絵本を覗き込むみたいなその仕草が、少し可愛く見えた。

 

  

誰かとこうして食事をするのは、本当に久しぶりだ。

 

美弥の家族を除けば、退院してから一度しかなかった。

 

大学で仲の良かったグループに退院と休学の報せを送ると、すぐに《みんなで集まろう》と返ってきた。

 

秋の入り口とは名ばかりの陽射しを避けるように、タートルネックの長袖を着て出かけた、あの日。

 

腰まであった髪がショートになった咲良を見て、友人たちは口々に「似合うね」と笑ってくれた。


「大変だったね」


「思ったより元気そうでよかった」


みんなの言葉は優しかった。

けれど、運ばれてきた料理に一斉にスマホを向ける姿を見たとき、胸の奥がざわついた。


筆談では会話の速さについていけず、気まずい沈黙もあった。

それでも、仕方ない、と自分に言い聞かせて帰宅した夜、彼女たちのSNSには、まるで別の時間を過ごしたみたいな写真が並んでいた。

 

 #奇跡の再会 

 #大切な友達

 

並んだハッシュタグが、どこか遠くから突き放してくるように見えた。


咲良にとっては人生を変えた出来事も、彼女たちにとっては”投稿ネタ”のひとつに過ぎなかった。

そう思った瞬間、胸の奥がきゅっと痛んだ。


それ以来、誰かと食事をする気になれなかった。

 

だから今、こうしてナギと向かい合っていることが、少し不思議だった。


注文を済ませると、ナギが申し訳なさそうに眉を下げる。

 

「ファミレスなんて、誕生日っぽくなかったですね」

 

咲良は首を横に振った。


駅前には定食屋やファストフードばかりで、昼間に入れる落ち着いた店は少ない。

それに、静かでおしゃれなお店ではスマホを使う自分が、きっと目立ってしまう。


だから、ここでよかった。

 

咲良はテーブルに置いていたスマホを手にして、文字を打った。

 

《いろいろ選べるから、ファミレスは好きですよ》

 

「そう? ならよかった。俺もファミレス、結構好きなんです。いい年してファミレスかよって言われることもあるんですけど」

 

《ナギさんは、おいくつなんですか?》

 

ナギが小さく目を瞬かせ、「ああ、そうか」と呟く。


しまった、訊いちゃいけなかったかな、と焦る咲良が《すみません、大丈夫です》と打つ。

 

「あ、こちらこそ、ごめん。そうじゃなくて……。年齢ですよね、二十六です」

 

今度は咲良が目を瞬いた。


二十六。

二十代半ばは越えているかなと思っていたはずが、いざそれを提示されると予想よりは上だった印象を受ける。


素直にそう伝えると、ナギは「よかった。もっと老けて見えてたかと焦りました」と笑った。

 

料理が運ばれてきても、会話は途切れなかった。

 

「ドリンクバーで飲み物を混ぜたこと、あります?」

 

《はい。カルピスとメロンソーダとかおいしかったです》

 

「定番ですね。俺も学生時代、カルピスならなんでも合うと思って、片っ端から試したことがあるんです」

 

《どうでしたか?》

 

「コーヒーとウーロン茶だけは、二度とやりません」

 

ナギがその時を思い出したように、顔をしかめる。

 

(それは確かにおいしくなさそう)


そう思いながら、咲良がくすりと笑った。


穏やかで落ち着いて見えるナギにも、ちゃんと”学生の頃”があったらしい。

 

《ナギさんは、お仕事は何をされてるんですか?》

 

ずっと気になっていたことを、思い切って訊いてみる。

 

大道芸といえば、お金を入れてもらうための箱などを置いておくか、パフォーマンスが終わった最後にお金をもらったりするイメージがあった。

けれど、ナギがそれをしているところを見たことがない。

 

「仕事は……、フリーで、プログラマーをやっています」

 

その言葉の奥で、彼の瞳がわずかに揺れた気がした。

本当はあまりやりたくないのだろうか。大道芸だけで食べていけないから仕方なくやっているんだろうか。


咲良の胸に。いくつもの思いが交錯する。

スマホを手にしたまま言葉を探していると、


「ゆっくりで、いいですよ」


ナギの柔らかな声が、静かに落ちた。


その瞬間、咲良は気付く。

彼はいつだって、焦らせたりしない。

咲良の『言葉』が生まれるのを、ただ静かに待ってくれる人だと。

 

今日ナギと向き合って話していても、待たせて申し訳ないとは思う。

けれど、焦りはなかった。

この穏やかな空気は、彼がマイムで紡ぐ言葉に似ている。

 

《ナギさんの言葉は、魔法 ──

 

と打ちかけて、咲良の指が止まる。


”魔法みたい”なんて、子どもっぽいだろうか。

でも、今の気持ちを表せる言葉が、他に見つからなかった。

 

困ったように眉を下げる咲良に、

「どうかしましたか?」とナギが少し身を乗り出す。


画面を覗き込まず、ただ待つその姿に、咲良はもう一度指を動かした。

 

《ナギさんの言葉は魔法みたいですねって伝えようと思ったんです。

 でも、子どもっぽいかなって恥ずかしくなって。

 それでも、他にぴったりな言葉が見つからなくて》

 

咲良は、恥ずかしく思いながら画面を向ける。


「……魔法、か」


一瞬、彼のまつ毛がかすかに揺れた気がした。

けれど次の瞬間、穏やかな声と共に頷いた。

 

「うん、分かります。言葉って、心にぴったりあう形がない時があって、困りますよね」

 

そう言って頷くナギの瞳が、ほんの少し笑っていた。

 

「でも、今のはちゃんと伝わりました。だから、きっとそれがぴったりだったんだと思います」

 

 ──伝わった。

 

咲良の胸の奥に、小さく火が灯る。

それは音よりも確かな温度だった。


けれど同時に、少しだけ胸が痛んだ。

きっと伝わったのは『優しいほうの言葉』だけ。羨ましさや妬ましさまでは届いていない。

 

咲良は改めて、言葉は難しいなと思った。

声が出たとしても、きっと同じように迷って、選んで、間違える。

それでも、伝えたいと思う気持ちがある。

もしも欠片でも相手に届けられたなら、それはたしかに魔法なのかもしれない。


「俺も、”咲良さん”って呼んでもいいですか?」


下の名前を呼ばれて、心臓がきゅっと音をたてた気がした。

一拍遅れて、”俺も”の意味に気付く。


ナギを見ると、子どもが悪戯を仕掛ける前のような笑みで、こちらをじっと見つめていた。


《ナギさん、って苗字じゃないんですか?》


「よく間違われるんですが、下の名前です」


言われてみれば、彼が”ナギ”と名乗った時、それが苗字かを尋ねなかった。


ナギは自身のスマホに文字を打つ。

 

《 凪 》

 

その文字を見た瞬間、穏やかな海が頭に浮かぶ。

彼にぴったりの名前だと思った。

 

「……よければ、”咲良さん”って呼んでもいいですか?」

 

咲良はくすぐったい気持ちを胸の奥で噛みしめながら、小さく頷く。

その音のない頷きが、心の奥で小さな花を咲かせた。

 


 


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