第二章 魔法の言葉 3
花は、誰に手渡されるかで、意味を変える──。
咲良はそう思いながら、夕陽に透けるライラックの花弁をそっと整えた。
橙の光が淡く窓を染め、夜の気配をやわらかく迎え入れていく。
気付けば、広場ではナギがパフォーマンスをしていた。
数人の女子高生たちが、楽しげに笑い声を上げながらその周りを囲んでいる。
もし彼の素顔を知ったら、彼女たちは、きっと毎日のように通うだろう。
(その面の下は、すごくかっこいいんだよ)
彼女たちが知らないナギを、自分だけは知っている。
その小さな優越感に気づいた瞬間、胸の奥で苦い笑いがこぼれた。
入り口のベルが、軽やかに鳴った。
その音が、咲良の胸に残った自嘲を静かに洗い流していく。
「花を……おすすめを、ひとつください」
スーツ姿の男が入ってくるなりそう言った。
チャコールグレーのスーツに淡いストライプのネクタイ。夕方だというのに、着崩れひとつない。
人当たりの良い笑顔を浮かべる男に、咲良は《贈り物ですか?》とプラカードを掲げた。
「声、出ないんですか?」
咲良が頷くと、男は「へぇ、静かでいいですね」と平坦な声で言った。
「自宅用です。そのくらいのサイズで適当に作ってください」
男は、店頭の作り置きの小さなブーケを指差した。
お好きな色は──とホワイトボードに書きかけたところで、「あなたのおすすめでいいですよ」と声が飛んでくる。
好みや器を訊ければもっと合わせられるのに、と咲良は思う。
けれど、やりとりが煩わしいのかもしれない。あるいは、急いでいるのだろう。
咲良はすぐに気持ちを切り替えると、白いマーガレットを中心にミモザを添えて差し出した。
「僕もこれがいいと思っていました」
満足げな笑みに、咲良は小さく息をついた。
花の高さと形を整えながら、男の一方的な仕事の愚痴を聞く。
手が塞がっていると、《大変ですね》のひと言さえ伝えられない。そんな当たり前のことを、咲良は改めて思い知った。
花を手渡し、《お仕事お疲れ様です》と書こうとボードに手を伸ばした瞬間、男はもう背を向けていた。
足早に去っていく背中を、咲良はただ見送る。
静けさを取り戻した店内に、男のコロンの匂いだけが残った。
『静かでいいですね』
無造作に放たれたその言葉が、胸の奥で鈍く響いた。
咲良は小さく息を吐き、気持ちを立て直すように広場へと目を向けた。
けれど、ナギの姿も、彼を探して揺れた胸の奥の高揚も、もう、どこにもなかった。
初夏へと向かう風が、店頭の花々を静かに揺らして通り過ぎていった。




