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声をなくした花屋と、言葉を捨てたマイム  作者: 稀葉


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第七章 言葉の先に 1

梅雨の最中にある七夕で晴れることは稀だ。

幼い頃、雨の七夕で「おりひめとひこぼしがあえないよ」と母の袖をひくと、「雲の上は晴れているから大丈夫よ」と言われたのをふと思い出す。

今日は『稀』にあたる日らしく、夏のような陽射しが広場に降り注いでいた。

 

見るともなしに広場に視線をやった咲良は、小さく息をついて店先のケイトウの鉢を整える。

その手元に影が差し、「こんにちは」と声が掛かった。

よく知るその声に、咲良はすかさず顔をあげた。


「あ、すみません。驚かせちゃいましたよね……」


眉を下げる凪は、申し訳なさそうな笑みを浮かべた。


息が、止まる。

心臓が耳元で大きな音をたてるのを感じながら、咲良はゆっくり立ち上がった。

 

コバルトカラーのシャツを纏う凪の顔色は幾分白く、痩せて見えた。

体調が悪かったんだろうか。それで来られなかったんだろうか。

そう考えかけた咲良の脳裏に、あの日の凪と綾華の姿がよぎる。

 

「え、と……元気でした、か? っていうのもなんですけど」

 

言葉を選ぶ凪の姿に、咲良はそっと視線を下げた。

胸が鳴る。会えて嬉しいと音をたてる。それがひどく悲しかった。

 

「連絡できずにすみません。それも……俺が悪いんですけど」


申し訳なさそうな彼の声も、咲良の心を上滑りしていくだけだ。


「あの、今日、よかったら夜、食事にいきませんか?」

 

意外な言葉に思わず顔をあげると、まっすぐにこちらを見る凪の視線とぶつかった。


以前の自分なら、すぐに頷いただろう。けれどもう、それは出来ない。

咲良はのろのろとエプロンのポケットからスマホを取り出すと、《すみません。行けないです》と文字を打つ。


「あ、急すぎでしたよね。いつなら平気そうですか?」

 

咲良の胸に落ちたのは、こんな人だったのか、という落胆だ。

彼女がいるのに、平気で他の女を食事に誘うような、そんな人だったのか。

それとも、どこまでも友達のような感覚で、こんな風に誘ってくるのか。

友達には、なれない。会えればいいなんて、割りきることもできそうにない。

 

咲良は迷いながら文字を打ち込む。


《彼女のいる人とふたりで食事はできないです》

 

「……え?」

 

表情が抜け落ちたような凪を前に、咲良は喉の奥にせり上がった熱いものをどうにか飲み込んだ。


「すみませーん」

  

店内の客から声が掛かる。

咲良はホッとしながら、何か言いかけた凪に会釈をして身を翻した。

 

客の要望を訊きながら、プロポーズに使うという花束を仕上げ終わる頃には、凪の姿は見えなくなっていた。

期待と緊張とを混ぜ込んだ表情の客を店の外まで出て見送ってから、そっと広場を見渡す。


居て欲しかったのか。いなくなって安堵しているのか。自分の心がわからない。

 

──あなたは誰に逢いたいですか

 

視界の端に、自身で綴った言葉が映る。


もう一度、逢いたいと思っていた。でも、いざ凪を前にすれば、苦しいばかりだった。 せめて告白だけでもしておけばよかったと思っていたけれど、あんなに苦しいのに、叶わない言葉を差し出すなんてとても出来そうにない。


濃い影を落とす陽射しから避難するように店内へと戻った咲良は、ポケットからスマホを取り出した。

画面に残るのは、先ほど凪に向けた言葉だ。

咲良はその文字を、一文字ずつ消していった。

 

 

店の閉店作業を終えてシャッターを下ろすと、長い一日が終わったと肩の力が脱ける。

あの事件以降、シャッターを半分だけ閉めて閉店作業をすることはやめた。

おかげで作業中にも客が来て閉店が遅くなってしまうことはあるけれど、閉店の札をだしていてなお声を掛けてくる客はそう多くもない。


今日はプロポーズ用の花束をオーダーされることが多かった。

 

年に一度の特別な逢瀬の日。


(晴れてよかったね)

 

咲良は空を見上げて、息をつく。

実家の庭から見上げる空とは違い、街灯に負けずに輝く星は少ない。

空の上ではデート中だろうかとお伽話のようなことを考えて小さく笑った咲良は、歩き出して、すぐに足を止めた。

今はすっかり葉桜となった桜の前、ベンチに座っていた人影は、こちらに気づくとすぐに立ち上がった。凪だった。

 

ゆっくりと歩み寄ってくる姿に、咲良の心臓は持ち主を無視して音をたてる。逢えて嬉しいと鳴る胸を諫めるように、掌を握り混む。


「待ち伏せみたいなことしてごめんなさい。どうしても、話がしたくて」

 

話すことは、ない。それは咲良の都合だ。

何を話すんだろう。本当は彼女がいたとか、そんな話だろうか。


凪のまっすぐな視線から逃げるように、足下に視線を落とす。

そのまま足を踏み出そうとした瞬間。

 

「俺の勝手で申し訳ありません。でも、好きな子に誤解されたまま終わるなんてっ……あ……」

 

『好きな子に誤解されたまま』?

  

咲良は急いで凪を見た。

口に手をあてて固まる彼は、気まずそうに視線を彷徨わせる。

やがて、観念したように息を吐いた凪が、再び咲良とまっすぐに視線を合わせた。



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