第9話 看守
「梵」
僧侶型が静かに唱えると、示し合わせたように罪人たちが広場へと雪崩れ込んできた。
「ひ、ひえええ!?
お、終わりだ、終わりですよ……誰も勝てやしない……!」
看守は奥歯を鳴らしながら腰を抜かし、その場に膝をつく。
――が、
「何を成して生きるか死ぬかは、自分で決めなさい!」
アッシュの前を駆けるニアが、走りざまに振り返り、言葉だけを投げつけた。
看守は頭を抱えたまま、ビクッと肩を震わせる。
彼はただのレイス監獄の下級看守にすぎない。
本来はミリオン王国本国の門番の予定だったが、あまりの不出来ゆえに孤島へ左遷された身だ。
「うううう……」
「雑兵となるか、名を得るかは――自分次第じゃない!!」
緋雨の音にかき消されながら、ニアの声は遠ざかっていく。
多くの罪人はアッシュとニアを追っていったが、数人が看守のもとへ向かってきた。
「う、うううう……」
理解の追いつかない状況、襲い来る恐怖、そしてニアの言葉。
それらが一度に押し寄せ、看守の身体は硬直してしまう。
出口へ向かう途中、ニアはちらりと背後を振り返った。
看守は既に大男たちに囲まれ、姿がゆっくりと飲み込まれていく。
「……ちっ」
命令を下そうと「灰被り――」と口を開いたが、ニアは唇を噛んで前へ向き直る。
今の彼女に余裕はない。
姉の敵を討ちに来ただけのはずだった。
まさか他の錬金術師に後をつけられていたとは思いもしなかった。
これは自分の判断ミス――そう言い聞かせ、優先すべき目標を敵フェアリーフレームの撃墜へと定める。
「灰被り、活路を開きなさい!」
「……既にやってる」
怠そうな声とは裏腹に、アッシュは次々と拳を叩き込む。
二メートル級の狂人でも、筋骨隆々の斧持ちでも、死を恐れず殴り倒していく。
「出入り口を抜ければ、港に停泊しているはず!」
監獄の正門は瓦礫と化し、爆風の痕跡が残っている。
あれが先ほど耳にした爆発音だろう。
アッシュはニアへ向かって伸びた罪人の手を手刀で叩き落し、横目で彼女を見た。
強気な口を叩きながらも、瞳の奥には涙が滲み、噛みしめた感情が今にも溢れそうだ。
「……なによ」
「……必死だなと思って」
逃避の錬金術師――と言われているようだが、だからこそ逃げたくないのか、それとも逃げるために必死なのか。
「肝心なとこで詰めが甘い――だからいつも逃げざるを得ない……それが許せない」
「……アンタは逃げたくないのか?」
アッシュの言葉に対して、ニアは強く睨むことで反論する。
誰だって逃げないで済むなら、逃げたいわけないじゃない、とでも言いたげだ。
彼女が生きてきた道は知らないが、よほど逃げることに抵抗があるように見える。
「アンタほど逃げたくない――それだけは確か」
「……ご主人様とは仲良くできそうだ」
ニアは頬を膨らませて「そうね!」とだけ強く叫んだ。
破壊された出口まで残り数十メートル。
そのとき――暴風雨を切り裂く轟音とともに、一機の影が落下してきた。
「え……!」
巨大な僧侶型が、出口を塞ぐように仁王立ちしている。
墨で描かれた文字が、機体の全身をぐるりと巡っていた。
「逃避ノ錬金術師。諦。死。尋常勝負。此処死――罪人錫杖!!」
放たれた真言が空気を震わせ、機体の足元に“罪人”たちが集まり始める。
まるで蜘蛛の糸にしがみつく亡者そのものだった。
互いを踏み台にして積み上がり、五メートルの頭部に届いた途端――彼らは自分の身体をボキボキと折り始めた。
腕の骨、脚の骨、首の骨。
砕けた骨は部品となり、一本の錫杖へと形を変える。
「罪人、死救。我、妖精機:梵天ノ化身也――終局!」
アッシュは反射的にニアを抱き寄せ、身を跳ねさせた。
振り下ろされた錫杖が、さっきまでアッシュたちがいた地面を深々と抉る。
波打つ地面から土が盛り上がり、人型の影が次々と姿を結ぶ。
罪人の形を模した人間サイズのゴーレムが、数百体――列を成して生まれていた。
「……生身じゃ、突破できそうにない」
「諦めてんじゃないわよ、灰被り。足掻きなさい!」
泥水にまみれながらも、絶対命令がアッシュの身体を立ち上がらせる。
胸の奥にあった諦めに、じわりと熱が灯った。
「最悪な命令だ」
アッシュはニアを抱えたまま、もう片方の手を構える。
相手が人ではなくなったとはいえ、数百の土くれをかき分けてニアの飛空艇に向かうなど不可能だった。
(ああ――メグ姉の仇を討ちに行けるかと思ったが……)
本心では足掻きたい。
だが――どうしようもない。
相手はフェアリーフレームと、罪人を操る謎の固有魔術。
アッシュ自身、諦め癖がついているのは否定しないが――今度ばかりは、どうしても届かない。
「どけええええええええ!」
――キュィィィンッ!
轟音とともに、ローラーの加速音が土くれの群れを吹き飛ばす。
黒い弾丸のように、片腕が欠損した一機のピクシーフレーム:ナイトが梵天ノ化身へと体当たりを叩き込んだ。
「驚愕、沈黙機体――何故、動!」
「い、行ってください、エルフィン様……アッシュさん!!」
泣きじゃくる声で叫んでいたのは――レイス監獄の無能と呼ばれていた看守だった。
【カクヨム】
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