第8話 フェアリーフレーム
足元に転がった極卒の首は、あり得ない角度へねじ切れていた。
獣の咆哮のような悲鳴が監獄の奥から響き、レイス監獄がすでに戦場と化していることは誰の耳にも明らかだった。
アッシュを先頭として、ニア、看守の男が続いて外を目指す。
「……フッ」
何体目かの罪人の顔に膝蹴りをかまして、後方の二人へと顎で前進を促す。
「灰被り、アンタなんでそんなに強いのよ」
訝しげな視線を向けながら、ニアはアッシュの背中を見据える。
十七歳の少年。身長は百七十を少し超える程度。左目は深い傷で潰れている。
背中まで伸びた灰色の髪はぼさぼさで、伸び切た前髪は目元を隠す。
罪人用の粗末な布服に覆われているが、半袖から伸びる腕も、裾から覗く脚も、日々鍛錬を積んできた者のそれだった。
「……復讐するためだ」
「――誰に?」
メグ姉を殺したのはアッシュとされた日。
どれほど冤罪を訴えても、嘘吐きと嘲られ、否定され続けた。
(説明するだけ無駄か……)
これ以上、踏みにじられるのは、もうたくさんだった。
「……行くぞ」
アッシュは話を切り捨て、迫りくる罪人たちを次々と昏倒させていく。
流れるような水の動きは、目で追えないほど速かった。
精神干渉で催眠状態にされた彼らは、限界を超えた力を振るっているのだろう。
牢の檻は人ひとりが抜けられるほど歪曲し、罪人たち自身の腕や手首は折れたまま――それでも痛みすら感じぬ様子で襲いかかってくる。
骨の耐久を無視してでも脱走したのだ、とアッシュは判断した。
「エ、エルフィン様、ど、どうしてレイス監獄は襲われているんですかね?」
看守の男は片手剣を握りしめながら、震える声で問いかける。
その手の震えが、これまで一度も人を斬ったことがないと語っている。
「知らないわよ。
私の飛空艇だっているのに――あいつらサボってんじゃないでしょうね」
ぶつぶつ文句をこぼしながらも、ニアは懸命にアッシュの背を追う。
アッシュは牢に入れられていたとは思えないほど、身のこなしはしなやかで素早い。
「……灰被り。
自分がメグ姉さんを殺したくせに、誰に復讐しようっていうの……そこまで力を高める必要がどこに……?」
言い終えるより早く、アッシュが突然立ち止まった。
勢いのまま、ニアは彼の背中へ顔面からぶつかる。
「ぶべ――、止まらないでよ!」
「襲撃者を発見した」
「え……?!」
中央広場は石畳が敷かれた、ただの罪人用の広場だった。
降り止まぬ緋雨が流れ込み、排水溝があちこちで濁流を吐き出している。
その広場をぐるりと囲むように、レイス監獄の建物が円形に立ち並んでいた。
「随分と……独特なフェアリーフレームじゃない」
広場の中央に、五メートル級の人型が一体、雨に打たれながら胡坐をかいていた。
アッシュが過去に燃料補給していたピクシーフレームとは、シルエットからして明らかに異質だ。
「ピクシーフレームと、かなり違う……」
その機体は、東方の島国に伝わるという僧侶の袈裟をまとい、笠を深くかぶっている。
土砂降りの中、座禅を組み、両掌を合わせ、ぶつぶつと聞き取れない文言を唱え続けていた。
そして何より目を引いたのは、背部。
中央から外へ扇状に伸びるように、何十本もの黄金の手が揺れていた。
「フェアリーフレームってのは、全部《《ああ》》なのか?」
「まさか。
《《私の》》フェアリーフレームはもっと美しいわ」
「……なら安心だ」
降りしきる雨音に、僧侶型のつぶやきは掻き消され、内容までは読めない。
だがこの機体が罪人たちを操る精神干渉の元凶なのは明白だった。
「あ――、あれは……!」
看守の声に視線を向ける。
三体のピクシーフレームが脚部の走行強化用ローラーを唸らせ、泥水を跳ね上げながら僧侶型へ突撃していた。
手にした剣と盾――どこの国でも主力となるナイト型であることは一目で分かる。
「先輩方が出れば、もう安心です!
素晴らしい連携と、レイス監獄のピクシーフレームには強化された武器がありますので!」
看守の期待を乗せ、三機は均等に距離を取り、僧侶型へ一斉に斬りかかる――はずだった。
「……え、な、何をしてるんですか?」
看守の声は裏返った。
ナイト型の三機は、僧侶型ではなく――互いに刃を向け、斬り結び始めた。
僧侶型はなおも文言を止めず、呪文を紡ぎ続ける。
「魔術師は、固有魔術を見極めないといけないから、面倒ね――行くわよ灰被り。理由はどうあれ、私はなすべきことを成す」
ニアはローブのフードを目深に被り、走り出そうとしていた。
「飛空艇まで行けば、私のフェアリーフレームがある」
「どうする気だ、出入り口は奇妙な敵の背後だぞ――」
反論しようとした瞬間、アッシュの身体が勝手に動いた。
ニアの後を追うように。
文句より先に、これが奴隷契約の効果だと悟り、アッシュは小さく溜息を漏らす。
そのとき――。
走り出した二人に気づき、僧侶型の首がゆっくりとこちらへ向いた。
笠の下から覗いたのは、一つ目の赤い瞳。
雨の帳の下で、不気味な光を放つ。
「発見。補足。逃避ノ錬金術師。妖精機。無搭乗。好機」
中年男の低い声が、単語だけを吐き捨てるように響く。
「……逃避の錬金術師? 大層な二つ名だな」
「う、うるさい、奴隷は黙って!」
ニアが前を走りながら命じると、アッシュの返事は喉の奥に押し込まれた。
「へいへい」と言おうとした唇は、命令に逆らえず動きを失う。
【カクヨム】
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