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第6話 奴隷契約

 エルフィンと呼ばれた少女は腰に下げた革のポーチに手を入れると、瞬時に薬品を放り投げた。


 長細い縦長のガラスの先端はコルク栓で強く締められているが、秘めている透明の液体からは死の気配を感じた。


「フッ……!」


 アッシュは反射的に回し蹴りの要領でガラス瓶を蹴り返す。

 しかも衝撃を与えないように力を受け流しつつ、檻の隙間を抜けるように繊細に――だ。


「も、戻ってきますよ、エルフィン様!?」

「耳元で大声を出さないで!」


 看守の鉄兜を左手で力強く叩いてから、さらに液体瓶を投げ入れる。

 空中で液体瓶同士がぶつかり合う。


 お互いの瓶は衝撃によって容器が割れ、地面に液体を零す。

 ジュクジュクと石煉瓦の上で白い煙を上げて空気中に消えていった。


 ――鼻を衝く薬品の匂いが辺りに充満する。


「……灰被り。

 一歩間違えば、あんた溶けてたわよ」


「死ねるなら何でもいい」


 レイガを殺すために鍛えていた反応速度が仇になってしまった。

 次は反撃せずに、死を受け入れようと誓う。


(……馬鹿か俺は。どうせ、レイガに出会えやしない。

 分かったうえで、無意味に鍛えてたんだろう?)


 アッシュの色彩を失った灰色の右目が、深い青に染まるエルフィンの瞳と交差した。


「……ふん、あんたを処刑するのは辞めたわ」


 内ポケットに入れていた手を抜き、エルフィンは目を細める。


「死にたがりを、瞬殺するほど私は優しくない」

「……どうでもいい」


 彼女の戦意が失われたのを確認すると、アッシュは背を向けた。

 

(メグ姉さんを助けられなかった……俺がもっと早く駆け付けることができれば……。

 俺が田舎じゃなくて普通の町に住んでいれば……。

 金がある家に生まれていれば……俺が騎士だったなら!)


 メグが殺された日、アッシュに出来ることは何もなかった。

 偶然、滑落し、彼女の元に辿り着けただけでも不幸中の幸いだったのだろう。


 変えられない過去と理解していたとしても、家柄も、金も、他者からの信頼もあれば――助けられたのではと考えてしまう。


(俺の話を誰か一人でも信じたか?

 話を聞いてくれようとしたか?

 こんなクソみたいな世界……!!)


 檻の外にエルフィンがいるにも拘らず、再びベッドでふて寝を決めようとしたとき、彼女の口が動いた。


「いじけて、布団をかぶってれば、この劣悪な環境ならいつか死ねるでしょうね。

 でもね灰被り、あんたが話す気がなくても、相手にする気がなくとも――私は、アンタを……《《アンタが望んだように殺すことすら》》許せないのよ」


 布へと手を伸ばす、アッシュの手が止まる。


「だからって生かす気もない。

 私は、私が思う殺し方で、アンタの未来を奪いたい。

 ――メグ姉さんを失った気持ちを晴らしたいの」


 アッシュの止まった手が強く握られる。

 強く奥歯を噛み締めすぎて、歯頚から血の味がする。


「……なら、お前が俺を殺してくれるのか」


 誰も話してくれない、信じてくれない、そんな奴を。


「――死んだ方がマシって思える殺し方を選んであげる」


 アッシュは深く――深く息を吐いた。

 一方的な意見で丸め込まれるのではなく、《《会話》》したのはいつ振りだろう。


 姉が殺されて復讐しに来た女なのに、何故か口元が緩んでしまう。

 振り返り、彼女を見つめ直す。


 眉を吊り上げ、射殺すような瞳はメグとはかけ離れているが、怒っていても可憐さを拭えないのは一緒だった。


「あ、あの、どうしますか、エルフィン様……?」


 無言のまま見つめ合う二人を交互に見比べ、看守はエルフィンに問う。

 エルフィンは彼の問いには全く反応せず、檻の中へと手を伸ばした。


 アッシュは静かに前に出る。

 それだけで互いの意志は確認できたようだった。


「我、錬金術師ニア=エルフィンが命ずる。私の言葉は絶対。

 これは一方的で強制的な主従関係だと魂に刻みなさい」


 彼女の伸ばした白い手から檻の中へと、革のベルトが投げ入れられる。


「名を述べよ」

「アッシュ――アッシュ=ヴァレンタイン」


 名前を伝えたと同時に、革のベルトは生き物のように蠢き、アッシュの首へと絡みついた。

 手で触った感触はよくある革素材だが、触れていると妙な不安感に襲われる。


「そのチョーカーは『奴隷契約の永遠螺旋』。

 灰被りは一生私の奴隷。私が望む死に方が思いつくまで、こき使って――生きてきたことを後悔させてやるわ」


「……ふん」


(冤罪だと話しても通じやしないだろう――もう、好きにしたらいいさ)


 騎士団の最底辺である補給部隊を追放されたと思えば、冤罪による投獄、そしてこれからは錬金術師様の忠実な犬という訳だ。


 最低で最高な人生過ぎて反吐が出る。

 唯一の収穫といえば――レイガに辿り着ける可能性が高まったことだ。


 それだけで、あれほど死にたいと嘆いていた胸中の奥底に、赤い種火が揺れた。


「あ、あの、では……奴隷契約による罪人買取書類を後でですね……」

「本当に面倒よね。人権無視して罪人を《《使う》》制度は素晴らしいけど、書類は好きじゃないわ」


 看守とニアがアッシュの事務契約ごとを進めているが、流石に他の罪人も目が覚める頃ではなかろうか。

 あのドブネズミどもが、絶海の孤島であるレイス監獄から出ていく人間に恨み辛みを吐きかけないはずがない。


(……そう、こんなに静かなはずがない)


 ふと、鼻にまとわりつく甘い臭い。

 リンゴの皮を剥いたときのような――甘ったるい臭い。


(ん、死が近づいている……?)


 途端、レイス監獄は爆音とともに大きく揺れた。

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