第5話 監獄
――三六五日。
一時たりとも忘れていない。
「くそがあ!!!」
アッシュは今日も拳を鉄格子に叩きつけた。
これが何度目か分からない。
拳はとうに腫れ、皮も裂けている。
灰色の髪が汗に貼りつき、呼吸だけが荒々しく響く。
――騎士殺しの罪で投獄されて一年。
怒りをぶつける場所など、ここしかなかった。
ともすれば孤独と極寒により、復讐の炎は消えかかる。
だがアッシュは無駄な打撃と無茶な筋力訓練によって、怒りを燃やし続けた。
「片目の兄ちゃん、飽きもせずよく殴るなぁ、ぐぎゃぎゃ」
魔物の鳴き声じみた笑いが、向かいの牢から響く。
猫背で薄汚れた年齢不詳の男。
レイス監獄にふさわしい、人生を捨てたような囚人だ。
「……」
アッシュは相手にする気もなく、硬い木のベッドへ身を投げた。
「げぎゃぎゃぎゃ! はじめの頃はよく笑ってたんだがなぁ。
ついには希望も失ったか? ざまぁないなああ!!」
レイガにメグ殺しを擦り付けられたあの日から、ずっと叫び続けてきた。
腕を掴んだ騎士にも訴えた。
裁判官にも懇願した。
(どんなに心の底から話しても、誰も信じてくれやしない――)
気づいたのはただ一つ。
家族も血筋も持たない孤児の言葉など、誰も拾おうとはしないという現実だった。
(元から世界に正しさなんかありゃしないんだ)
「げぎゃ、げぎゃ! 楽しいなあ、嬉しいなあ!
この世に助けなんてないんだぜ、奇跡も何もありゃしねぇって知ったときの顔と言ったら!!」
男は跳ねるように笑い、頭上で両手を叩いた。
絶海の孤島に建てられたこのレイス監獄に娯楽など存在しない。
変わらない毎日の中、囚人たちの唯一の楽しみは――新入りが絶望に沈んでいく姿を見ること、それだけだった。
「もっと見せてくれよ、絶望劇を!
それとも、もう品切れかい? お前の人生そんなに薄いのか!?」
休むことなく絡んでくる声に嫌気がさし、アッシュは薄い布を頭からかぶった。
耳を裂く甲高い声は止むことなく、今日も監獄に響く。
(……辛いときに笑顔なんて、何の意味もなかったよ。メグ姉さん)
◇ ◇ ◇
「エ、エルフィン様、もっとお静かに……ほ、本当は無理なんですからね!」
困り果てた若い男看守の声が聞こえ、アッシュは重い右瞼をゆっくりと上げた。
視界が徐々に焦点を取り戻し、月明かりが牢内に白く差し込んでいるのが分かる。
向かいのオッサンも高いびきをかいている。どうやら真夜中らしい。
「どの檻にいるの《《隻眼の灰被り》》は?」
幼い声質なのに、態度は妙に堂々としている。
足音は石畳をリズムよく叩き、罪人の世界とは真逆の匂いをまとっていた。
「そこの一番奥です……しかしですね。
まともに会話した奴なんて、ここ最近いませんよ。
檻の中で腕立て伏せや腹筋ばかりして、暇さえあれば檻に殴りかかる……イカレてますよ」
「私が喋れと言って、話さなかった生き物はいないわ」
エルフィンと呼ばれた少女の足音が、まっすぐにアッシュの檻の前で止まる。
アッシュは身体を丸めたまま、ふて寝を決め込んだ。
(もういい……どうせ誰も話を聞いてくれやしない。
口を開いたって、また好き勝手に言いくるめられるだけだ)
誰も信じてくれない。
言葉尻をつままれ、納得するまで意見を押しつけられる日々は――もうごめんだった。
ならば黙って朽ちていく方が、まだマシだ。
「あそこで丸まってる奴が隻眼の灰被り?
これじゃ、布被りじゃない……おーい、こっち来なさいよ」
「……」
「聞こえてないのかな……ねえってば!」
「エルフィン様、大声は駄目ですって!!」
「仕方ないじゃない、起きないんだから!
最悪、この檻を壊してでも、叩き起こしてやるんだから――!!」
乱暴に檻を掴んで前後に揺らす音が響く。
アッシュから姿は見えないが、凶暴な巨大猿の一種かもしれない。
「無茶言わないでくださいよ、檻破りなんて私の首が飛びますよ!?」
「私を入れた時点でアンタの負け、首でも命でも飛ばせばいいじゃない――こっちはね、やっと見つけたんだから!」
看守と揉み合うような音が響く。
この監獄には似つかわしくない騒がしさだ。
それでも誰一人目覚めないのは、ある意味、奇跡である。
いや、異様な空気すぎて様子を伺っているのかもしれないが。
「――メグ姉さんの、仇を取ってやるって誓ったんだから!!」
(なっ……!?)
一年ぶりに聞いた名前にアッシュの身体が跳ねるように起き上がった。
その瞬間、檻の前にいた少女がぱっと顔を輝かせ、嬉しそうに笑みを広げた。
「見なさい、ほら、私にかかればこんなもんよ!」
金髪に碧眼。
監獄には場違いなほど上等なローブに身を包んでいる。
活発で自信満々な雰囲気はメグとは正反対だが、確かにどこか面影があった。
「隻眼の灰被り、初めまして――そしてさようなら」
彼女は嬉々とした表情で腕をまくり上げる。
「――これでやっと、ぶっ殺せる!!」
【カクヨム】
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