第3話 追放
海沿いの名も無き村はもともと広くない。
今は、それすらも一望できるほど惨憺たる光景に変わっていた。
魔石によって稼働していた濾過器タンクが無残に折れ曲がり、赤い雨にさらされている。
金属が呻き声を上げているようで、アッシュは思わず眉を寄せた。
「さっきよりも雨強くなってないか?」
緋雨は静かに降るのが常だ。
視界を奪うほどの激しさなど、生まれて初めてだった。
(……そうでもないか。俺の村が沈んだ日も、増水した緋海に俺はさらわれた)
真紅の濁流に呑まれ、呼吸すら奪われたあの日。
視界が赤に染まったその瞬間――当時騎士団に入ったばかりメグが迷わず飛び込んできたのだ。
当時のメグは十二歳。
緋海という異常が人体にどれほどの悪影響を及ぼすかも分からないのに、彼女は躊躇なく飛び込んだ。
『辛くて、怖いときはね、笑顔!
あと生きて岸に戻れたらお肉を食べる! って思うと力が湧くよ!』
世界が絶望に沈むのが日常だったあの日。
メグのヒマワリのような輝かしい表情は、思い出すだけでアッシュに力を与えてくれていた。
「今、思えばあの笑顔は自分を鼓舞してたのかもしれないな……うぉっ!?」
唐突に足元の崖が崩れた。
作業用エレメンタルフレームがバランスを失い、巨体が大きく傾ぐ。
「やばい!? 耐えろぉ……!」
操縦桿を引き、重心を必死に移動させる。
人工筋肉がギシギシと軋み、岩壁を掴もうと腕を伸ばした――が。
水を吸って脆くなった壁面は、ただ崩れ落ちるばかりだった。
「ま、まじかぁ――!」
次の瞬間、アッシュの身体は宙に放り出され、レインコートごと泥の斜面を転がっていく。
木々が頬を掠め、土が舞い、視界が回転する。
(絶対、離さない――!!)
胸元を押さえる手に伝わるのは、メグのヘアバンド。
それだけは離すまいと抱きしめながら、何十メートルもの崖下へ――。
だが、不意に痛みが消えた。
支えていた地面がふっと消滅し、身体が軽くなった。
「あ、穴……!?」
崩落で生まれた縦穴へ落ち、緋雨とともに――バシャンッ!!
「ぷはっ……! まさか緋雨に助けられるとはな……!!」
落ちた先は、深い水たまりだった。
見上げると、数メートル上にぽっかり口を開けた穴が見える。
「どこだここ……」
壁面は石煉瓦で固められ、地下施設のようだった。
井戸のような構造で、よじ登るには足場が足りない。
緋雨で増水すれば脱出は可能かもしれない――が、それでは村と共にアッシュが沈むことになる。
(なら今できることは……!)
アッシュはレインコートを脱ぎ捨て、大きく息を吸った。
肺の奥まで空気を詰め込むと、水中へと潜る。
底の方で、壁の横穴が石と小枝で塞がれているのを見つけた。
(……う、うごけぇ!)
岩に肩を押し当てるが、微動だにしない。
詰まった小枝を引いても、わずかに揺れる気配すらなかった。
(やばぃ、い、息が……!)
騎士団が操るピクシーフレームに搭乗していれば、魔術やスキルを発動できるのだが――今あるのは、握った枝一本だけ。
それでもアッシュは枝を深く差し込み、体重を預けて押し込む。
(うおおお、苦しいときほど笑顔おおおお!!)
……ごりっ。
(て、手ごたえあり……!!)
しかし肺は既に悲鳴を上げている。
一度戻るべきか、と迷った瞬間――。
壁の向こうから衝撃が走った。
石が砕け、濁流が一気に破壊された穴から流れていく。
考える暇はなかった。
滝壺に落ちる魚のように、水の勢いに飲まれる。
「うげ、ごほっ、ごはっ……!!」
拒むような石床に叩きつけられる。
肺から空気が完全に押し出され、アッシュは咳き込みながら身を起こした。
「い、いてえ……どこに出た……?」
見渡した広間は古代遺跡の祭壇を思わせた。
煉瓦造りの壁は雨水を受け、そこかしこが滝となって奈落へと落ちている。
東西南北の階段が中央に向かって伸び、広場ほどの空間を形づくっていた。
「あれはレイガさんのピクシーフレームナイト――と、メグ姉さんのファイター……二人も穴に落ちたのかな?」
階段下に膝をつく二機を横目に、アッシュは崩れかけた段を慎重に踏みしめる。
雑草が石の隙間を押し広げており、建造から相当な年月が経っているのは明らかだった。
半分ほど登ったとき――闇天井を裂いて《黒い影》が舞った。
「あ……」
自分でも間抜けだと思うほどの声が漏れる。
よく目を凝らすと、それはまっすぐ彼の上に落ちてきていた。
細い四肢。
ぶらさがる体。
――びちゃ。
「え?」
頬を伝った温かいものを拭うと、袖に赤が滲んだ。
――どちゃ。
「へ?」
崩れ落ちた《《それ》》は笑っていた。
元をひきつらせ、目は細く半月に。
「メ、メグ姉……さん?」
手を伸ばした瞬間、重心を奪われた身体が奈落へ――。
為す術もなく、彼女の亡骸は暗闇へ吸い込まれていった。
「う、うああああああああああああああああ!!」
視界が捻じ曲がり、足もとがふらつく。
階段を駆け上がりながら、どうか、どうかこの先に誰もいないでくれと祈った。
「はあ、はあ……はあ、う、うあああ!!」
祭壇の中央には――血まみれの片手剣を下げた、一人の男が立っていた。
「やあ、アッシュ君。本当に君は気が利くね。このタイミングで現れてくれるなんて」
ミリオン騎士団、次期大隊長候補――レイガ=シュヴァイツァー。
水袋を手渡したときと同じ笑顔を浮かべて、彼はアッシュへと向き直った。
「ならばこの役は君にお似合いだよ。
そう――ミリオン騎士団から、君は追放だ」
【カクヨム】
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