第10話 ニアの仲間
緋雨はアッシュの身体を打ちつけ、髪の先まで冷たく濡らしていた。
背後では鋼と鋼が激しく噛み合う重い衝突音が響き渡る。
「港はこの先!」
暗い森を抜けた途端、フードまでびしょ濡れのニアが指さした――しかし、その先には何もなかった。
「ど、どういうこと……」
森を抜けた先は確かに飛空艇ドッグだった。
絶海の孤島であるレイス監獄の唯一の出入口。
本来なら海面に戦艦型の飛空艇が悠然と浮かんでいるはずなのに。
今は桟橋が波に叩かれて軋む音だけが虚しく響いていた。
「……無線機はないのか?」
「あ、そ、そうね」
ニアはフードの内ポケットを探り、小型の魔石式無線機を取り出す。
一年前は両手で抱えるほどの代物だったはずが、いつの間にか掌に収まる大きさになっていた。
技術の進歩は、こんな場所でも容赦なく続いている。
「こちらニア、聞こえる? ねえ、ねえってば!」
焦り混じりに何度も呼びかける。
数秒後、ノイズが混じり、男性の声が返ってきた。
『――エルフィン様か』
「あ、ガイルズ、どこ行ってるの、早く戻ってきなさいよ!!」
ニアの声には安堵が滲むが、対照的にガイルズと呼ばれた男の声は緊張に染まっていた。
『悪いが俺たちは、ここまでだ。
新型のフェアリーフレームが出てきたとあっちゃ、命がいくらあっても足りないんでね』
「何言ってるのよ!
お金も払ってるし――これまで一緒に旅してきた仲間じゃない!」
『仲間?
錬金術師様にそう言ってもらえるのはありがたいがね。
アンタみたいな頭のイカレタ錬金術師様に付いて行く方が、どうかしてたってわけだ』
「な……誰がイカレてるって!?」
『こっちは次の雇い主も決まってる。
船は危険手当としてもらっていくが、アンタの研究結果は置いてってやる。
逃げるのに重たくてかなわん』
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!
船はどうでもいいけど、《《それ》》を乱暴に捨てたりなんかしたら、許さないんだから――あああああああああああ、切りやがったあああ!!!」
怒りに任せ、ニアは無線機を地面へ叩きつけた。
乾いた音を立てて砕け散る破片が、雨水の中に飛び散る。
「はあ、はあ、あいつら、いつかぶっ殺す……!!」
緋雨の中、アッシュが遠くを見やると、豆粒のような飛空艇が空を飛んでいくのが見えた。
「ああ、もう私のフェアリーフレームがなくちゃ、誰も助からない――ううん、姉さんを助けられない……!!」
「姉さんを……?」
アッシュは泥水も気にせず地面にへたり込んだニアを見下ろした。
その背は大雨の中でしぼんで見えるほど小さかった。
「錬金術師はフェアリーフレームを作り出すの……それはピクシーフレームとは違い、人知を超え、神の御業を扱う――ああ、もうお終いよ!!
なんでこんなに、ついてないの!!」
小さな拳が、びしゃびしゃの地面を繰り返し叩く。
何度も、何度も。
「姉さんを助けられるはずなのに、完成さえすれば――……!!」
拳から滲んだ血が赤い水たまりへ落ち、雨に溶けていく。
波紋は大きさを増し、やがて地面そのものが震え始めた。
「……来るぞ、ヤツが」
「もうダメ、どこにも逃げ場なんてない……!!」
梵天ノ化身が、森を押し分けるようにしてアッシュたちを追っている。
振り返ると、木々の隙間から巨大な頭頂部が、のそりと覗いていた。
そして、手にぶら下がっているのは――ピクシーフレーム:ナイトの胴体だけ。
「なあ、ご主人様、本当にメグ姉さんを助けられるのか。
死んだんじゃないのか」
「可能……だと、思ってる。
多分――誰も信じてくれないけど……頭がおかしいって……」
先ほど逃げて行った船員たちの顔を思い出したのだろう。
ニアは悔しげに唇を噛みしめ、そこから赤い血が一筋こぼれた。
「頭がおかしいか……灰色じゃなくてもそう言われるんだな」
「え……?」
生立ちが違うだけで馬鹿にされる。
見た目が周りと違うだけで無視される。
頑張れば頑張るほど――誰も話を聞いてくれなくなる。
「ご主人様……いや、ニア。
俺に命令しろ、絶対に『私を生かしてほしい』って、ニアが生きてればメグ姉さんを助けられるかもしれないんだろ」
「灰被り、さっきから何言ってるの、あんたが姉さんを殺したんじゃないの……」
「いいから……ここから先は、勇気が必要なんだ。
今まで腑抜けたからさ」
森を抜けた梵天ノ化身は、見せしめかのようにピクシーフレーム:ナイトを地に叩きつけ、錫杖を突き立てた。
「憐。仲間見捨。逃避ノ錬金術師。命差出、又、死、選択!」
振り上げられた錫杖がアッシュたちを真っ直ぐに捉える。
人骨と肉を重ねた悪趣味な武器――あと数秒で、二人の命を押し潰すだろう。
「ニア――俺にニアを守らせてくれ!!」
「アッシュ――私を一生、守りなさああああい!!」
叫んだ瞬間、絶対命令権が発動した。
地面に縫い付けられたように動けなかったアッシュの脚から、束縛が解ける。
アッシュは座り込んでいたニアを軽々と抱き上げ、そのまま地面を蹴り抜いた。
「きゃ……!!」
「大きく息を吸え!!」
世界がぐるりと回転し、視界が滲む。
それでもニアは言われた通り肺いっぱいに息を溜めこんだ。
体を何度か岩にぶつけながらも、アッシュはニアを抱えたまま立ち上がり、さらにもう一度、跳ぶ。
赤雨に染まる空へ――そして、その下の海へ。
暗転する視界の端で、ニアが最後に見たのは。
――口を大きく開け、豪快に笑うアッシュの顔だった。
【カクヨム】
https://kakuyomu.jp/works/822139839842166494
※最新話 毎日更新中!
※カクヨムが先行して配信されています。
小説家になろう様をはじめ、カクヨムでも感想、レビュー、★評価、応援を受け付けておりますので、お気軽にいらしてください!




